台南・ダイアリー

台湾の台南市で3年、新竹市で2年駐在して、色々な所へ行ったり美味しいものを食べたりしました。

日月潭文武廟-台湾史超簡介

2004年10月24日 | 台湾


 

さっき 会社の旅行 ( 日月潭 - ズーユエタン、南投県の山の中の湖 )
から帰ってきて、明日更新しようと思ってたけど、
待ちきれなくてもう書き始めちまったゾ。
 
今日から三回は、今回の 旅行をネタにした 結構まじめな記事だ。 
この三回を読むだけでも、台湾について
大雑把なつかみが できるように 書くつもりなんで、頑張って読んでくれよナ!

そして、その三回を 読むために是非、
オレ流の 台湾の超概略の歴史 ( 下に書く ) を参考にしてくれ。
( 現代のこととか 政治がらみのこと は除いてあるゾ。 
  そこらへんは まだオレも 考えが まとまってないからナ。 )

ともあれ、第一回は 日月潭の湖の そばにある デカイ寺
” 文武廟 ” についてだ!

----- KOOL TADA の勝手な台湾史 -----
~1624年 原住民時代 ( 高砂族とか阿美族しかいなかったとき )
1624~1661年 オランダ時代 ( オランダの植民地だったとき )
1661~1683年 鄭成功時代 ( 鄭成功が戦争に勝って明朝の島として独立していたとき )
1684~1895年 清朝時代 ( 清朝の一部になっていて福建省の人が来たとき )
1895~1945年 日本時代 ( 日清戦争後、日本が台湾を領土にしていたとき )
1945~1987年 国民党時代 ( 戦後蒋介石の国民党とか北の人が来たとき )
1990~    今の台湾

細かい年代は 覚える必要はない。
要は 
原住民→オランダ→鄭成功→清朝→日本→国民党→今 
の順番だ!



上の写真は、” 日月潭文武廟拝殿 ” の階段に座ってる、
オレ達の会社の メンバーだ。 
はっきり言って 歴史には チョーよわそーな感じ。

” 文武廟、ウンウーミャオ ” は 上の概略史でいうと、
清朝時代に始まった寺だ。
その後、日本時代に ダム建設が大好きな 日本が
ここにダムを 作ったときに、もとあった チッコイ寺が
水没しちまうもんで、今の場所に 移してきて 大きな建築物にした。 
そのときは、まだ福建省出身の 人しかいない ときだったもんで、
寺のデザインも 全体に南方風で、
屋根の上には 極彩色の龍とか 花鳥とかが 沢山のっていた。 
- 台南でよく見る、
屋根の端が ツルリンと 上に反った感じの デザインね。

だがその後、蒋介石の 国民党 ( 大陸北方のヒト達ね ) 時代に、
この寺は 総改修されて、大陸北方風の デザインになった。 
そういうことで、今は屋根は 直線っぽい稜線だし、
屋根の上に 龍もいない。 
( 蒋介石は 日月潭が 気に入ったみたいで、
  近くにデカイ自前の別荘も建てた。 
  今は ” 涵碧楼、ハンピーロウ ” っていう、
  一晩 最低1万2千円の 高級ホテルに なってるけどな。)
国民党の人は そのときに、
「 この改修工事は 10年かかる予定だったが、
  蒋介石将軍に対する 神のご加護で 2年半で終わった。 」
って大宣伝 したみたいだ。 ( ウーム、コメントは避けるゾ。 )

何はともあれ 現在は、関羽とか 孔子とか 孟子とか、
現実に、生きてた 人を祭りあげて、現世ご利益を願う
にぎやかなお寺として 栄えている。

 

上の写真は、こう言う寺に 必ずある ” 占い ” のセットだ。
この機会に 道教のおみくじ について、説明するゾ。

左側が ” ポエ ” で右が ” おみくじ ” だ。 
左のポエは おみくじを引いた( 抽籤、ツォーチェンした ) あとに、
ポエっと放って ( ポアポエして )、
ひとつが 表 ( 丸みがある方- ” 陽 ” ) で
もうひとつが裏 ( 平らな方- ” 陰 ” ) なら、
神様が 占いに答えてくれている シルシ ( シンポエ ) で、 
それ以外は 「 ダメ 」 の意味に なるのサ。
ちなみに、両側が表なら 神様は笑って 答えないサイン。 
両側が裏なら 神様は怒って 答えないサインだゾ。
 
一昨日は、その前の晩に走りましたので、練習は休みでした。
昨日は、旅行でしたので練習は休みでした。
今日は、夜、無理やりジムを開けて、夜中にウェイトと30分JOGをしました。
( 明日はジムが休みなので、今日走らないと4連休になってしまうので。 )

一昨昨日のヒット数 - 880(80位ランキング入り)
一昨日のヒット数 - 902(70位ランキング入り)
昨日のヒット数 - 833(86位ランキング入り)


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