台南・ダイアリー

台湾の台南市で3年、新竹市で2年駐在して、色々な所へ行ったり美味しいものを食べたりしました。

關鬼門 ( 番外編 )

2006年09月23日 | 風習・習慣



     



今日は、農暦の7月29日、
“  關鬼門 ( クァンクェイメン ) ”  といって、
前に “ 農暦中元節 ” で紹介した
農暦7月 ( 鬼 = さまよう霊  の月 )が終わる日だ。
 
今日、現世と死後の世界を 分ける門は閉まり、
この一ヶ月 さまよっていた霊は
死後の世界へ帰って行く。



このBLOGを書き始めて3年以上になるが、
毎年、農暦7月の終わり、
” 關鬼門 ” の日の頃には、
オレは、
オレの周りで起きた奇怪な現象のレポートを、書き続けてきた。





だが、
去年の暮れに新竹市に引っ越してきてからは、
さっぱり、不思議なものを見たりしなくなってしまった。

一方、
同じ時期に新竹にやってきた黒シャツ隊のT君は、
よく酒をのみながら、

「 今度のオレの部屋、色々おかしなことが多いんですよネー・・・ 」

と言う。

そこでオレは今年は、自分の話はあっさり放棄して、
關鬼門の夜に、
黒シャツT君の部屋にその
” おかしなこと ”
というのを検証に行くことにした。

一人で行ってもつまんないから、
飲み友達のモウさんも誘って一緒に行くことにした。



       



人っ子一人いない、夜の工事現場の向かいにある、
壊れた門からアパートの建物に入り、
暗いエレベーターに乗るとT君の部屋に着いた。






一見しただけでは、
どこといって変わったところの無い普通の部屋だ。

だが、
T君によると、この部屋では

(1)写真を撮ると変わったものが写ることがある
(2)誰も触らないのに電話の受話器が勝手に上がっていることがある
(3)風呂などを洗ってもしばらくすると変な模様が浮かんでくる

というようなことが起こる 
- らしい。



       



ちなみに上の写真は、
前にT君から見せられたものだが、
会社の仲間がT君の部屋で酒を飲んだときに、
たまたま撮ってしまった写真で、
暗いT君の部屋の床上30~40cm位のところに
青みがかった光と赤みがかった光が写っている。

これだけ見ると、
窓の外の灯りが写っているように見えるんだけど、
T君によれば

「 オレの部屋7階だし、窓の外にこんな街灯みたいなのないっすヨー。 」

なんだそうだ。
オレとモウさんはT君の部屋について早速、
その窓の方を調べてみた。






・・・・ すると、確かに
窓の外にはそんな光に見えるようなものは何も無かった。

 - って言うか、
T君の部屋のベランダは腰くらいの高さまで
タイル張りのコンクリート壁になっていて、
外の光が写真に写る可能性が無い!


             ・・・ げぇっ!



        


いきなり、
ちょっといや~な気分になったオレ達だったが、
根性を出して

” 勝手に受話器があがる電話 ”

というのを見てみた。
ところがまぁ、こっちの方は
ただの新しくて可愛い電話で、
何も変なことが無かった。

それと、
” 染みが浮かんでくる風呂 ”
というのも、続けて見たんだが、
ホーローの浴槽だったんで、
焼付け塗料に小さな穴が開いていて、
そこから錆びが広がってくるだけのようだった。

そこまで見て、
最初の光の写真が写ったベランダにはすごく驚いたけど、
全体的には

「 な~んだ大したことないね。 」
「 T君大げさだナ。 」

と、みんなで笑ってビールでも飲むことにした。





男3人で、
ビールを飲みながらテレビを見てたんだが、
ろくな番組がなくて、
T君のDVDを見ることにした。


      


しかし、
T君の持っているDVDと言えば、
ホラーかスプラッターばっかりだ。

どーいう性格してるんぢゃ!

しょーがないから、







       



こんなヤツとか、











こ~んなヤツを見ながら、
夜中まで、ビールを飲み続けていた。










いい加減飲み疲れて、
モウさんとオレが

「 帰ろうかな・・・。 」

と言った、 その時 !!


3人は同時に、
大げさなDVDの音に混ざって、
部屋のどこかから、
かすかに聞こえてくる変な音に気がついた。


そして、
それを確認をするため、でかい音のDVDのスイッチを切り、
いっせいに音がする方を向いた



すると ・・・・・・・














       



・・・・・ 誰も触っていないのに
さっき、
確かにしっかりセットされていたはずの
あの電話の受話器が少し浮き上がっている!


そして・・・・
DVDが消えて、
いきなり静かになった、暗い部屋の中には、
電話器のぼんやりした光が浮かびあがり、

” ビ・ビ・ビ・ビ・ビ・ビ・ビ・・・・・・ ”

という、
受話器を上げたままにした時の警告音が
小さいけどはっきりと響きわたっていたんだ。









「 おい! 」
「 ウワーッ。 」
「 なんだこれ! 」

とみんなは叫びだし、

「 ちょっと待ってヨ! 」

と引き止めるT君に対して、オレとモウさんは

「 オレやっぱり帰るわ。 」
「 オレも! 」

と、
友達がいもなく、
大急ぎでT君の部屋を飛び出してきてしまった。









わけもわからず、
オレとモウさんは走って、
一番近くの扉からアパートの外へ飛び出した。

すると、
入ってきた方角とは違う、
T君の部屋の裏手に当たるその場所には、
思いがけず、
大きな病院が建っていた。


それを見て

「 アッ! 」

とモウさんが大きな声を出した。

そしてそれから、
急にすべてを理解したように肩を落とし、
病院の方を気が抜けたように見つめながら、
つぶやいたんだ。


「 さっき来た時は、
  タクシーだったから気がつかなかったけど、
  ここは、
  前に友達が入院してた病院だ。 」


















「 ・・・・ それで
  T君の部屋のちょうど裏手が
  病院の霊安室に下りる階段のある所だよ ・・・・」







                  ・・・













それでは、今回はここらにてご無礼!









民国九十五年元宵節之天燈

2006年02月19日 | 風習・習慣


     
        ( 台北県の ” 天燈 ” )

元宵節の日、オレは初めて ”天燈 ” というものを上げた。

今年は、
2月11日の日曜日が元宵節
( 農暦1月15日、道教でいう ” 天官 ” の誕生日 )だった。
去年は台南のランタン祭りに行ったんだが、
”2005年台湾燈会 ”の回参照 )
今年は土曜・日曜とも新竹で仕事があって、
日曜の夜は、最近時々行くようになった北門街の
” 春菜 ”
へ一人淋しくメシを食いに行くことにした。



( 春菜の前で天燈を上げようとしている様子 )

春菜に行ってメシを食っていると、
「 ミセに来る途中で天燈売っていた。 」
というお客さんがいて、
ママや他のお客さんが
「 自分達も上げてみようか。 」
と言い出したので、オレも混ぜてもらうことにした。
ミセが1個、客全員で1個上げるということで、
板前の寥さんが、外に出て2個買ってきてくれた。

台南に居た頃はこういう風習は無かったので
( もともと台北県の固有の習俗らしい。 )
わくわくしながら買ってきた天燈に火を灯した。


     
       ( 空に浮かび始めた天燈 )

天燈は紙で作った熱気球のようなもので、
中に針金の台座があって、
その上に石油を染み込ませた紙を置いて火をつけると、
温まった軽い空気が気球を膨張させて浮遊する仕掛けになっている。

火をともして、紙の躯体が十分膨らむのを待ち、
慎重に平行状態を確認しながら、支えていた手を離すと、
天燈は実に優雅に
” ふわり ”
と空に浮上しはじめた。



( 天燈発進作業を無事に終えたメンバーの集合写真 )

天燈には、
とばす前ににマジックでみんなが願いごとを書いていたが、
オレはその時は、あまり願いごとも思いつかず、
自分の名前だけ書いておいた。

春菜のママは結構真剣になっていて、
全部の面に願いごとを書いて、
” 香( シャン、台湾のお線香 ) ” にも火をつけ、
天燈を浮かべる瞬間は、
” 拝拝 ( パイパイ、台湾のお祈り ) ”
もちゃんとやっていた。


     
       ( 次第に高く上がっていく天燈 )
  
天燈は、
暗い空に吸い込まれていくように、
どんどん高く上がって行き、
やがて小さな光の点のようになっていった。

その、静かな光景は、
最近銭勘定の仕事ばっかりに追われて、
ちょっと干からびかかっているオレの心も
十分以上感動させるような
なにかしみじみさせるものだったゼ。



・・・・ と、いう様なところで
今回は、ここら辺でご無礼するヨ。



三日前のアクセス数  - 423
一昨日のアクセス数  - 428
昨日のアクセス数   - 697

一昨日は、練習は休みでした。
昨日は、ジムでウェイトとトレッドミルを8kmやりました。
今日は、ジムでウェイトとトレッドミルを8kmやる予定です。

新竹は、
台南に比べると雨の日やすごい強風の日が多いので、
外で気持ちよくトラックを走れるような日はかなり少ないです。

民国九十五年之除夕

2006年02月14日 | 風習・習慣



( 台南最大の観光名所 ” 赤嵌楼 ” 除夕の様子)

忙しくてBLOG更新できず、気がついたら
  前の記事が西暦の正月の話なのに、
  一昨日もう元宵節の日になっていた。

( 一月半何も更新していなかった。 )

だがこの一月半の間、仕事ばかりしていた訳じゃあない。
隙を見計らっては、折り目節目の行事には参加しているので、
遅ればせながらそういう行事の記録を、
今週手短かに書き留めておくことにした。

そういうことで、
今回はその ” ちょっと前のこと書留め ” シリーズの最初として、
農暦の大晦日、” 除夕 ” ( 日本では ” 除夜 ” だが ) の様子を
簡単に書いてしまうゾ。
ちょっと時期外れになってしまっているので
そこらへんの所が気にならない人は読んでみてくれ。
タイムリーな話でないと我慢できない人は、
今回はすっ飛ばしておくのが良いかもしれない。




一番上の写真は、多分みんなが知っている
” 赤嵌楼 ” の除夕の様子だ。
台湾の色々な場所から観光客が来ていて、
夜遅くまで賑わっていた。
庭に左手の方ではライブ演奏をやっているのが見えた。

そして、上の写真は
赤嵌楼周辺の食い物屋の様子だ。
大晦日はかきいれ時らしくて、
どこも休んでいるところはない。

左上のミセが
” 小南米糕、シャオナンミーカオ ” で、
米糕というのは、今まで何回も紹介しているが、
米の汁で作ったプリンみたいなものだ。
米が良いのが条件だが、中に干しエビなどを入れて
美味しくする工夫もしてあったほうが良い。
このミセのはまあまあうまいゾ。

右上のミセは
” 度小月 ” 。
中正路にある本家の度小月との関係は不明だが、
ここも度小月と名乗って、
” 担仔麺、タンザイメン ” を売っている。
オレは内容の割りに勿体ぶった中正路のミセより、
こっちの方がましと思うナ。




同じく赤嵌楼の周辺のミセで、
左上は ” 氷鎮滷味 ” 。
オレ達がよく食う魯味は、
選んだ食材をサッとダシで煮て出してくれる所が多いが、
ここのは、もう味付&加熱済みで、
冷めた食材を切るだけで出してくる。
このミセのは、こういう食い方でも結構うまい。

右上は、前にも紹介したことがある
”赤嵌担仔麺 ”
の民族路店。
写真の中で垂れ幕に
” 除夕春節不打祥、チューシーツンジェプーダーシャン ”
と書いてある。
こいつは決まり文句の一つで
” 大晦日も正月も営業しますヨ。 ”
の意味だ。
台南の人達も、なかなか働きものになってきたよナ。




除夕の晩に赤い下着を着て寝ると、次の年に良いことがある
- というオレからするとアホみたいな伝承が
台湾では結構広く信じられていて、
下着屋では、この時期いつにも増して、赤いパンツの販売に力を入れている。
これは、女の人だけじゃなくて男にも共通の話らしく、
” 大潤発 ” とか ” 家楽福 ” みたいな量販店にいくと
赤地にキンキラ文字が書いてあるデカパンを沢山売っているから、
話の種か、飲み屋の一発芸の為に、
一つ買ってみるのも良いかもしれない。




上は去年の記事の時にも撮った
” 大天后宮 ”
の除夕の様子。

去年は、除夕・春節の時に
誰も知り合いが台南に残っていなかったし
余り飲み屋や食堂も開いてなかった。
だから一人暮らしのオレは、大天后宮の写真を撮ったあと
たった一軒だけ開いていた
” かぐや姫 ” で
孤独に水割りを飲んでから、淋しく家に寝に帰ったもんだ。
( 赤いデカパンは穿かなかったゾ )

だが、今年は去年と違って
仕事はむちゃくちゃ忙しいし、
” 蕾 ”
も除夕でも開いてるから、飲んで騒ぎに行かなきゃならないし、
なんていっても、
翌日の春節初一から大人数で、
” 關子嶺温泉 ”
にバスで遠征する予定も入っていて
なかなか賑やかなオレの除夕・春節の時期だった。

そして、
前回の記事で一緒にメシを食った人達も
多数参加したこの温泉バス旅行の報告は、
まもなく書く次回に報告するので、
「 最近は更新が全然ないネェ。 」
なんて思っている人でも、
こまめにチェックすることを推奨して
今回の記事を終わるのであった。

では、ここらでご無礼!



六日前のアクセス数  - 517
五日前のアクセス数  - 308
四日前のアクセス数  - 339
三日前のアクセス数  - 413
一昨日のアクセス数  - 406
昨日のアクセス数   - 340

五日前は、清華大学のトラックで7.5km流して走りました。
四日前は、新年会で練習は休みでした。
三日前は、清華大学のトラックで12km流して走りました。
一昨日は、ジムでウェイトとトレッドミルを7.5kmやりました。
昨日は、練習は休みました。
今日は、ジムでウェイトを少しやりました。


----- P.S. -------

今日は、
世間的には、バレンタインデーらしいが、
オレには何の関係も無い様子だ。

・・・・・・・( ̄n ̄)/ フン!

------------------

民国94年之農暦中秋節

2005年09月18日 | 風習・習慣


 
( 今年も沢山頂いた月餅、右の写真みたいな立派なのもある )


台南での駐在を始めてからほぼ3年、
このBLOGを書き始めてからは、1年数ヶ月が経ち、
” 中秋節 ” の話を書くのも2回目になった。

同じようなことを何回も書くのもどうかと思うので、
今回の記事は、去年書いたものに、
ちょいと改訂+加筆したものをUPする。



今日は、農暦の8月15日。 
日本では単なる ” お月見 ” の日だが、
台湾では、春節 ( 新年 )、 端午節 と並んで
” 三節 ( サンジェ ) ” のひとつに数えられている
” 中秋節 ( ゾンチョウジェ ) ” の日だ。

この日は台湾では、
日本のお盆とか アメリカの感謝祭みたいな、
遠くに散っている 家族が帰省してくる、家族再会の日だ。

そして何でだか、帰ってきた人は みんな揃って庭先で、
ガンガン、烤肉 ( カオロウ、バーベキュー ) をやる。 
外では若者が、意味もなく 爆竹やロケット花火を
バンバン、炸裂させる。 
いたる所で 火事のネタになる事を やる日でもあるんで、
台湾の消防署は この日スゲー忙しい。(?)
 
それと、
やたらに ”月餅 ( ユエピン、解説は下を見ヨ )” を贈りあう日でもあって、
オレが働いているような 小さな事務所でも、
食いきれないくらい ” 頂き物の月餅 ” がたまっちまう。 

ここの従業員は 一人ものの男が多い。 
それも酒のみばっかりなのに、
こんなに 甘いもの沢山もらって どうしろっちゅうんじゃー。

 


日本で ”月餅 ”といえば、
多分 ” 広式( カンスー、広東式 )” の、
上に、難しい字が型押ししてあるヤツを 思い出す人が多いと思う。 

だが台湾では、
油と砂糖がたっぷりの くどい広式よりは、
台湾式の、パイ皮で丸い、かるいものの方が ポピュラーだ。 
中でも ”蛋黄酥 ( タンファンスー ) ” っていう、
塩味がついた アヒルの卵の黄身が 入っているヤツは、
”月餅詰め合わせセット ” に 殆ど必ず入っている 人気のものだ。

上左の写真は、台湾月餅の三役- 上から 
” 蛋黄酥 ”、
” 広東式月餅 ”、
それと、緑豆の餡が入っている
” 緑豆椪 ( リュイトウポン ) ”
が入ったスタンダードな詰め合わせだ。 
それに対して右側は、新しいタイプものなんで、
普通のお菓子の詰め合わせみたいで、
” 月餅だゾー ”
っていう感じが あまりしない。

ところで、
”どうして、中秋節に 月餅を送るようになったか? ”
っていう いわれだが、

その昔、漢民族が元の国 ( 蒙古 ) と戦争してるときに、
劉伯温 ( リョウポーウン ) っていう道士が、
( 史実としては、明の初代皇帝朱元璋の軍師の一人だが )
「 中秋節に食べなさいネー。 」 って言いながら、
月餅を配った 故事が起源になってるらしい。 

配られた月餅の中には
「 打倒元、本日決起! 」
って書いたゲキ文が入れてあって、
中秋節にそれを読んだ漢民族は
「 やるべー! 」
ってんで一斉に立ち上がって、戦争に勝っちゃって
” 明朝 ”を 打ち立てることができた。
そして 劉伯温は ” 明の国師 ”
と呼ばれるようになったんだナ。

NOTE:
中国で、
元の時代は西暦1271年~1368年
明の時代は西暦1368年~1644年。
元が日本に襲来した文永、弘安の役は、元代初期の出来事。



由来のようなものはしらないが、
中秋節には、月餅の他に
” 文旦 ( ウンタン、ぶんたん ) ” も食べる。

この文旦の 皮の向き方には、独特の作法があって、
タテに切れ目を入れておいてから、バナナみたいに
皮を向いて中身を取り出す。 
そして残った皮は
” 文旦帽子 ” にして 子供にかぶせて遊ぶのサ。

( 今年の文旦帽子モデルは、去年ほどゴツくないゾ )



それでは、ここらで、ご無礼!



一昨昨日は、ジムでウェイトと、5kmJOGをやりました。
一昨日は、ジムでウェイトと、5kmJOGをやりました。
昨日は、成功大学のトラックで、6KmJOGをやりました。
今日は、まだ走っていません。

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一昨日のアクセス数 - 480
昨日アクセス数 - 649



關鬼門 ( 後篇之2 )

2005年08月18日 | 風習・習慣



( 注意 ) 今回の記事は、少し怖い内容なので
     小中学生や、一人で暮らしている女性等は、
     読まない方が良いかもしれません。
     ( 基本的に、読まないことをお奨めします。 )





「 今日は、農暦の7月29日。

 “ 關鬼門( クァンクェイメン ) ” といって、
  前に “ 農暦中元節 ” で紹介した
  農暦7月 ( 鬼 = さまよう霊  の月 ) が終わる日だ。
 
  今日、現世と死後の世界を分ける門が閉まり、
  この一ヶ月さまよっていた霊は、死後の世界へ帰って行く。 」


- っていう書き出しで始まった
“ 關鬼門 ” の話だが、
ついに一年がかりで、今回、全体をまとめることにした。

前回読んだ人は判っていると思うが、
この話は、
台南で、大きな墓地の跡地に住んでいるオレが、
今まで経験した色々な不思議なことについて、
書いているものだ。


そして前回、
中篇の話を再度UPしたとき、
關鬼門の日に 霊気を感じた場所の写真を撮って、
そのデータを、デジカメからPCにダウンロードした途端、
PCが壊れてしまったことを書いた。

その時壊れてしまったVAIOは、
日本に持って行って修理し、
11月に またこちらに ハンドキャリーしてもらったんだが、

おかしなことに、
関係ないICが2個、同時に 壊れていたそうだった。
しかし、ハードディスクは損傷がなく、
写真データは全てそのまま残っていた。
( 約2000枚強 )

その、残っていた写真のうち、
一番上に掲載した一枚と、この下にある一枚が、
去年の關鬼門の日に撮った2枚の写真だ。

とても暗い感じを受ける画像だが、
これらには、
特に不自然なものが写っているわけではなかった。






異質なものは、    別の写真に現われていたんだ。










・・・・・・・・  ここで、話は少し変わるが、
去年VAIOが壊れてから、つい最近までは、
オレにとっては、
これといった異常事もない1年だった。

しかし、
鬼月の三日にあたる、
先週の日曜の深夜 ( 月曜の朝 )
また、変わったことがあったので、
そのことを書くことにする。


その日オレは、夜全く寝付けず、
寝室で、ベッドに横になってからずっと、
「 肩の辺りがだるいなぁ・・・ 」
と思い、あっちこっちに寝返りをうちながら、
うとうとしては 起き、うとうとしては 起きを
繰り返していた。

そんなことを、何回も繰り返して、
左側に 横を向いて寝ていた時、

突然なにかが、
オレの右の耳のそばで
ワケのわからないことを
何度も、カン高い声で 叫び始めた。


「 きひぃ・・ 」

「 きひぃ・・・きひひぃ・・・ 」

「 きひぃ・・・きひひぃ・・・きひひひぃ・・・・ 」

「 きひぃぃぃぃ・・・・・・・・・・・ 」

と。



それは、
頭がおかしくなってしまった女の人が、
なにかにものすごく興奮して、
カン高く叫び続けている、

- みたいな、そんな感じのものだった。







   ------- 異質な写真1 -------



( 上の写真は、だいぶ以前に 担仔麺のミセで 撮ったものだ。
  担仔麺を 作っている 女の人の後方、左側に
  異様な 格好をした ランニングシャツの男の 後ろ姿が 写っている。
  こんな変な ヤツがいたら、普通なら すぐ気がつくはずなのに
  この写真を 撮っているときは、全く気づかなかった。
  そのことと、写っている手とか 肘の感じが、現実の人間っぽくないので、
  後で 写真をみたときには、
  「 壁に描かれた絵 なんだろう、でも、それにしては 変な図柄だな。 」
  とか思っていた。
  しかし、先日 もう一度 同じ担仔麺屋に 行ったときに、

  ・・・・・ 壁にそんな絵など 全く描かれていない ・・・・・

  っていう ことに 初めて 気がついた。 )

 -------------------------------







「 それは、
  頭がおかしくなった女の人が、
  なにかにものすごく興奮して、
  カン高く叫び続けている、
  - みたいな、そんな感じだった。 」




その 変な叫び声を 聞きながら オレは、

「 うあ、また、変なものが来やがったな。
 こいつは 放っておくと 厄介なことに なるかもしれない。 」

と思い、
大声を出して、その変なものを 追い払おうとした。
( 黙って放っておくと、大変なことになるかもしれない
  と、なぜか 直感的に感じたんだ )


しかし、
「 うるさい! 」と声を出そうにも
なんか、夢の中で 金縛りにあっているようで、
どうやっても でかい声をだすことが できない。

そして、
そういう風に オレが大声をだそうと 色々苦しんでいる間も、
ずっと、その変な叫び声は 続いていた。


「 きひぃ・・ 」

「 きひぃ・・きひひぃ・・・ 」

「 きひぃ・・きひひぃ・・・きひひひぃ・・・・ 」

「 きひぃぃぃぃ・・・・・・・・・・・ 」

と。



だが、
何回か 力を入れたあと、ついにやっと
プツっと、

まるで、オレを制限していたなにかが 切れたみたいに、
いきなり大きな声がでた。



  「 うるせえ! 」



それは、
本当に すごくデカイ声で、自分でも驚く位のものだった。
実際、部屋の天井が、共鳴したほどだ。


そして、
オレのデカイ声がでた その後は、
何故か急に 部屋全体がしずかになり、
もう、あの変な叫びも 聞こえなくなった。


オレは やっとここで、目をあけ
( イヤなものを見たくないから、ずっと目をとじていたんだ )
暗い部屋を 見渡したが、
もう特に 何の違和感も無かった。

オレは 部屋の電気をつけ、
「 なんだったんだろう? 」
と思いながら、
しばらくベッドの上で ぼんやりしていた。



・・・ と、そのとき、
妙に 右の耳の所が痒い のに気がついた。

「 あれ、蚊に刺されているみたいだ。 」

「 ・・・・・・・ まてよ、
 するとさっきのは、
 蚊が 耳の周りを飛んでいるのを、
 寝ぼけていて、変な叫び声のように 思っちゃったのかな? 」

「 な~んだ、あほくさい。
 大声なんかでどなって、損したゼ。
 痒み止めでもぬって、
 また寝てしまおう。 」

オレは、起き上がって、
痒み止めを塗りに 洗面所に行った。


そして、
蚊に刺された所を 確認しようと、
オレが、洗面所の鏡に 自分の顔を 映した
その時 !







     ----- 異質な写真2 -----



( 上の写真は、会社の旅行の時のものだが、
  ガラスの所に なにか白い、人の様なもの が写っている。
  あとで、写真を撮った人に そのことを指摘したら、
  「 私が ガラスに映っている だけでしょー。 」
  と、ちょっと 怖そうにしながら 言っていた。
  しかし、それにしては
  写っているものも その人らしくないし、角度もおかしい。  
  大体、撮影者が 写りこんでいるなら、

  写真を撮ったときの カメラのフラッシュ光は、
  ・・・・・・ 何故、写っていないんだろう。 )
  
   --------------------- 









「 そして、
  蚊に刺された所を 確認しようと、
  オレが、洗面所の鏡に 自分の顔を 映した
  その時 ! 」





・・・・・ なんと、

鏡に映っているオレの顔には、
一面に、
蚊なんかに刺されたんじゃあない、
異様な、真っ赤なブツブツが、
数え切れないくらい、できていたのだった。


そしてよくみると、
その気持ちの悪いブツブツは、
驚いたことには、
両手にも、そして足の内側にも
オレの体の いたるところに


 - まるで、
じゅうたんを、敷きつめたように
吹きだしていたんだ。












一昨昨日のヒット数 - 557
一昨日のヒット数 - 571
昨日のヒット数 - 539

一昨日は、ジムでウェイトとインターバルを少しをやりました。
昨日は、休みでした。
今日は、ウェイトとJOGをやる予定です。





關鬼門 ( 後篇之1 )

2005年08月15日 | 風習・習慣


今日は日本では、8月15日でお盆の日だが、
農暦では7月11日になる。

農暦の7月は、前に
 ” 農暦中元節 ”
 ” 拝々 ”
で書いた様に、
” 中元公 ” が霊界との門 ( 鬼門 ) を開いてしまい、
霊が、オレ達のいる現世をさまよう月だ。

オレにもまた、ちょっと気になることがあった。

そういうことでオレは、

一年前から放ってある ” 關鬼門 ” の話を、ついにまとめることにした。

この話は、” 台南・ダイアリー ” の記事としては、
少し怖い話になるので、
一人暮らしの女性とかは、読まない方が良いかもしれない。

それで、
前回からは、ずいぶん間も空いたので、
今回とりあえず、一年前に書いた
” 關鬼門 ” の前編と中篇を、
もう一度まとめ直してUPすることにして、
本格的な取りまとめは、次の回に書くことにした。


それでは 先ず、
去年書いた
” 前編 ” と ” 中篇 ” を読んでみてくれ。



----- ” 關鬼門 ( 前編 ) ” -----
2004年9月13日UP


今日は、農暦の7月29日、
“ 關鬼門( クァンクェイメン ) ” といって、
前に “ 農暦中元節 ” で紹介した
農暦7月 ( 鬼 = さまよう霊  の月 ) が終わる日だ。
 
今日、現世と死後の世界を分ける門が閉まり、
この一ヶ月さまよっていた霊は、死後の世界へ帰って行く。
 
今日のダイアリーは、
オレのPC ( VAIO ) が昨日の晩 壊れてしまったので、
慣れない会社のデスクトップで 書いているから、余り長くは書けない。

そして、信じるか信じないかは みんなの勝手だが、
VAIOが壊れた まさにそのとき、
オレは、霊の月の最終日にふさわしい
“ 身の毛のよだつような怖ろしい体験 ”
をした。

今日注文した新しいPC ( MEBIUS ) が到着して、
また ダイアリーが書けるようになったら、
その
“ 身の毛のよだつような怖ろしい体験 ”
について説明しよう。

そして、
日本に修理に出した VAIOのハードディスクが、
もし万一無事だったら、
そこに ファイルされているはずの 恐怖の画像を、
このダイアリーで 公開することを 約束する。

それでは、その時が来るまで、
毎日このダイアリーを チェックしていてくれ。 


では・・・・・・



----- ” 關鬼門 ( 中編 ) ” -----
2004年9月16日UP


今日、
ついに MEBIUS が日本から届いたから、約束どおり  
” 一体、何が起きたのか? ”  
について書くことにする。

話は長くなるが、
このダイアリーを始めたころの、 
” 練習方法変更! ” の回と、その後の  
” 夜市で・・・ ”  の回の間は、
よく見てもらうと 1ヶ月の空白がある。
 
実は この1ヵ月の間に、オレは 10日間くらい ヒザの故障で、
練習をしていない 期間があった。 
後になって 気づいたんだが、この故障というのが、
今回おきたことの ” 前ぶれ ” だったような 気がする。



その故障のとき、オレは別に ハードな練習も何も していなかった。 
ただ、ある晩 変な夢をみたんだ。 
それはあんまり リアルな夢なんで、 
朝起きたときに、
それが夢のことか それとも現実におきたことなのか、 
少し考えないと わからないくらいの ものだった。
 
夢のなかで
オレは、夜中に 変に足が重たい感じがして、 
ぼんやりと目を覚ました。
そして、上を向いて寝ている自分の 違和感を感じる足のほうに
ゆっくりと 目を向けていった。
 
すると 暗い部屋の中で、
寝ているオレの ひざのあたりの上に、 
なんと・・・
向こうを向いて 座っている 小さい女の子がいる!

ここら辺は 夢らしいところだが、 
そのとき オレは何故か あまりおどろきもせずに、 
その 座っている女の子に、  
「 重いからどいてよー。 」
と頼んだ。
 
そして
これほど はっきりした夢だったのに
妙なことに、
朝起きたとき 覚えていたのは、ここまでで、
その後の 夢の内容は 何も記憶に残っていなかった。
   
しかし、
その朝 起きたときから
オレの右ヒザの関節は、どういうわけか
少し動かしても すごい痛みを感じる状態に なってしまい、
その後都合10日間は ろくに歩くこともできなかった。



この話を、 
台南には子供の時から住んでいる、半袖組のポチャンに話したら、
ヤツがこう言った。

「 TADA さんのアパートの建っている場所は、
  前はお墓ばっかりあった場所なんですよ。 
  だから、昔から台南にすんでいる人間だったら、 
  まぁ住みたがらないねぇ。   」

そして、同じ話を
会社の小姐 ( アパートを手配した ) に話したときの 反応がコレだ。

「 TADA さんのアパートを借りたとき、
  すごく家賃が安かったんで、 理由を大家さんに聞いたら、 
  ” 昔、墓場だったからね ” 
  - って言ってましたよ。  」
(  ウッソー。 ナンデ そんなとこ手配したんだよ-! )

足が治ってから オレは、 
契約期限が切れたのを シオに、
自分の部屋を 
同じ建物の中ではあるが、
3階の部屋から 2階に 移すことにした。
  
そして、そうやって部屋を変えた後は
3ヶ月以上が 特に何事もなく過ぎ、 
次第に オレも夢のことは  
「 偶然だったんだろう - 。 」  
と考えるようになり、 
もう 足の故障のことも すっかり忘れてしまっていった。
 
こんな風に、時間が過ぎていって、
“ 關鬼門 ”  の日になった夜 ( 11時位かナ )、 
暇だったオレは ちょっとした試みを思いついた。
 
つまり、自分のアパートの周囲を 歩きまわって、
何か モヤモヤ感じる 場所があったら、
そこの写真を撮ってみることにしたんだ。 
万一、何か 面白いものでも 撮れていれば、このダイアリーに使おうかな 
- っていうウケ狙いの考えも少しあった。

そして、オレはアパートの周りを歩いて、
自分が 何だか変わった感じを うけた場所の写真を、
何枚か撮って 部屋に帰った。
  
だがその後、気が変わって 特に何もしないまま、
インターネットを見て ビールを飲んだだけで、寝てしまった。

その夜中に、オレは おしっこがしたくなって起きた。 
すると、
( おかしいな、2時間くらいは寝てたハズなのに、何でだろう? )
居間においてあったVAIOの液晶が、 
なぜか まだ切れずに点灯している。

モレそうなおしっこを 先に済ませてから、 
オレは VAIOをチェックした。

(  特に異常はないみたいだナ。 
  あ、そうだ。 
  デジカメの SDカードの 容量がもうイッパイだったナ。 
  ・・・ 画像ファイルを VAIOのハードディスクに 移しておこう・・・。  )

そして オレは デジカメの SDカードから、
( 写っているものの 確認はせずに 一括 で ) 
画像ファイルを 切り取って、
VAIOの  ” マイピクチュア ”  に貼り付けた。
 

・・・・・・・するとその時・・・・・・・・





点灯していたVAIOの液晶が、
音もなく スーッと 消えた。
かき消えるように、
今まで点灯していた LED までも 次々に 全部消えて、
急にあたりは真っ暗になった。

そして、
オレと 死んでしまった VAIOだけが、
何のもの音も しない暗闇に ポツリ と取り残された。


その後、オレのVAIOは、 
ナゼかもう二度と 動くことができなくなったんだ。









・・・・・・・ 以上が、
一年前に書いた ” 關鬼門 ” の前編と中篇だ。

そして次回 ( 多分明後日UP ) は、
いよいよ この話をまとめてしまうので
是非また、読みにきてくれよナ ♪



一昨昨日のヒット数 - 586
一昨日のヒット数 - 504 
昨日のヒット数 - 457

一昨日は、練習は休みでした。
昨日は、ジムでウェイトと6kmJOGをやりました。
今日は、ウェイトを軽くやりました。





台湾的結婚式(本編)

2005年06月24日 | 風習・習慣



今日はいよいよ、
先週の土曜日に、半袖組のポチャンの結婚披露宴に行った話を書く。

上の写真は、披露宴に先立って行われた
教会での結婚式の様子だ。
中央の二人が新郎新婦で、
両側が付き添いの従兄弟夫婦だ。

そういうことで、今回のタイトルを、
” 台湾的結婚式 ” にしたけれど、
ポチャンが、台湾ではわりと少数派の、キリスト教だったり、
披露宴の会場が、5スター級のホテルだったりして、
この結婚式が、台湾のすご~く平均的な結婚式 とは言えない
- ってことを、最初に断っておく。

去年が、
陰陽五行説では、結婚によくない年だったことと、
先週の土曜が、6月の吉日だった 
- っていうことが重なって、
同じ日に、全台湾でどえらい数の結婚式があった。
大統領の陳さんの息子も、同じ日に結婚したんだヨ。


 


披露宴の進行は、
かなり日本の結婚披露宴と似ていて、
先に来客が宴席に座って待っていると、
左上の写真の様に、
メンデルスゾーンの結婚行進曲が流れて
新郎新婦が式場に入場してくる。

披露宴の式場は、5スターの台糖長栄ホテルで、
普通の台湾の結婚式なら、席がきまっていなくて
勝手気ままに着席するとこだが、
ここでは、
” 新郎朋友 ” とか、” 新婦親戚 ” とか、
テーブルごとに、大体の区分がつけてあった。

台湾では、一般に招待客が、
披露宴の招待状に返事を出さないし、
家族をつれてきたり、一人できたりするので
披露宴の人数は、会場側では正確には把握できない。

だが、
披露宴の料理は中華だから、
あらかじめ決めた卓の数の分を作るし、
一卓分の料理は、8人から12人前 - と幅がある人数に適合するから
特に問題はおきないみたいだ。

招待客は、右上の写真みたいに、
わりとリラックスした格好でくる。
ネクタイをした人は少ないが、
とりあえず、
男の人は、エリのあるシャツ+スラックス、
女の人は、ワンピース
っていうのが、多いみたいだナ。




入場した新郎新婦が壇上で挨拶したあと、
新郎側と新婦側から、それぞれ一人ずつ
招待客のスピーチがあった。

おおっと、左上の写真に写っている
新郎側のスピーチをしているオッサン、
新郎と張り合うような、白いスーツを着ているヤツは、
オレじゃあないか!

だが、はっきり言って、
このスピーチの準備は、しんどかったヨ。

話だけだと、オレの北京語じゃ、
みんな、何を言ってるか判らないだろう -と思って、
右上の写真みたいに
パワーポイントで、プレゼン用のマテリアルを作って
プロジェクターで映写しながら、スピーチしたからネ。
( ちゃんと、BGMとか音声も入った映像だゾ )


 

台湾の普通の結婚式だと、
「 いつ始まったんだろう? 」 っていう感じで、
大体、だらだら始まって、終わって、
途中が、ただのカラオケ大会みたいになっちゃうんだが、
この結婚式は、結構、企画というか演出がしっかりあった。

左上の写真は、
ウェディングケーキ入刀の様子だが、みんな
「 こんなことするのはじめて見た。 」
って言っていた。
司会のせりふが、日本と同じで
「 新郎新婦の、結婚後最初の共同作業でございます。
  皆様拍手をお願い致します。 」
って言うんで、ちょっと笑っちゃったヨ。

右上の写真は、
日本の結婚式の ” キャンドルサービス ” とよく似た、
” 各テーブルへの挨拶 ” で、
新郎新婦が、ワインをもって乾杯に回ってくる。

この結婚式は、400人も招待客がいたので
オレは、
「 これは、ポチャンみたいに酒に強くないと、
  テーブルを回っているうちに、たおれちゃうゾ。 」
とか、いらない心配をした。


(゜▽゜;) オドロキー

披露宴の最後の方で、
台南市長のスピーチがあった。

「 おお~、ポチャンって、こんな良いウチの息子だったんだぁ。 」
( 事務所で一緒に働いている時は、判らなかったヨ。 )

右上は、
日本と同じで披露宴の終わりにある
新郎新婦のお見送りだ。
引き出物はないけれど、
ここで新郎新婦から、キャンディーなんかをもらって
「 お幸せにネ! 」
なんて声をかけて、招待客は帰って行くわけだ。



  

 

スピーチとか色々あったんで、
料理の写真は、全部は撮れなかったけど
上がその半分位を写したもんだ。
冷菜盛り合わせ と エビのサラダ
がおいしかったネ。


それで、最後になったけど、
結婚式のご祝儀のことを少し説明する。

台湾では他のご祝儀と同じで、ご祝儀は
” 紅包、ホンパオ ”
っていう、赤い定型封筒みたいなヤツに入れて渡す。

紅包には、
” 百年好合 ”
とか、決まり文句を中心に書き、
自分の名前を
” 多田晃 賀 ”
なんていう風に、” ○○○ 賀 ”って左下に書いて、
封を、糊付けはしないままで、あげるのが普通だ。

金額は、
偶数であげなくてはいけなくて、端数があってもかまわないので
安い方から、
1000円、1200円、1600円、1800円、
( これは、若い人の場合 )
2000円、2200円、2600円、2800円、
( 会社の同僚とかの場合 )
3000円、3600円、6000円、12000円
( 会社の上司とかの場合 )
位が、よくいれる金額だろう。
( ちょっと言っておくと、
  オレのBLOGでは 円と書いてあったら、
  台湾の人の表現と同じで、
  日本円じゃなくて、台湾元のことなんで、誤解の無いように。 )

披露宴に出席する場合のご祝儀は、
出席しないときより少し高め、
今回みたいに、お金がかかっていそうな披露宴なら、
披露宴に出席する人は、少し高めにするみたいだネ。




さて、そういうことで、
すごく長くなったけど、やっとまとめた
” 台湾の結婚式 ”
の話はここで お・し・ま・い・だ・よ ♪


またこれからも、
色々 楽しい/おいしい 話を書いていくんで、
ヒマがあるときには、このBLOGも、見に来ると良いゾ !



四日前のヒット数 - 551
一昨昨日のヒット数 - 649
一昨日のヒット数 - 610
昨日のヒット数 - 475

一昨昨日、ウェイトとトレッドミルで5kmのJOGをやりました。
一昨日は、練習は休みでした。。
昨日は、夜中に顧客から、設備異常の呼び出しがあって、
    朝まで徹夜で修理しましたので、何もできませんでした。
今日も、調子戻らず、休みました。


台中国際レースまで、あと106日。

台湾的結婚式(予告編)

2005年06月16日 | 風習・習慣





台南はまだ、強烈な雨が降り続けている。

だから、
オレは事務所と自宅をまっすぐ行きかえりしている。

食い物の話を書こうにも、ネタがない。

上の写真は、
しょーが無いから載せた、実家で飼っているネコの
” ミュー ” だ。

でも、可愛いだろ。


 


それで、
この上の写真は、やっぱり家で飼っている犬の
” アラシ ” だ。

目が光っちゃたんで、ペンで黒く塗ったら
変な顔になった。
ホントは下の写真みたいな顔をしている。



 


なかなか男前だ。




しかし、
今現在最大の問題点は、
犬や猫のことでも、雨のことでもない。


あさっての土曜日に、
半袖組のポチャン の結婚式がある。
そして、オレはスピーチを頼まれている。
( 当然北京語か、台湾語 )
だが、準備を全然やっていない。

今、オレが感じている強烈な 焦り。

こいつを人は
” プレッシャー ”
と呼ぶのだろうか?


こいつは、
オレ個人の問題なんだが、
その一方、みんなが台湾の結婚式について
知らないことも多いはずだ。


あさっての結婚式は、
高級ホテルの
” 台糖長栄酒店 ” 
で開催されるが、こういう場合、
台湾の結婚式 はどんなものになるのか?

そして、怠け者の上に小心な kool_tada がやるような
来賓のスピーチはどういう話をするのか?

衣服は、どんなものを着ていったら良いんだろう?
どのテーブルに、座ったらいいのか?
( 日本みたいに、テーブルに自分の名前が書いてないゾ! )
ご祝儀は、どのくらいあげるんだ?

知らないことが、いっぱいあるだろ!


こういうことに、興味が有る人、
あるいは、実際に台湾の結婚式の情報が必要な人。

そんな人達、
全ての情報については、
もうすぐやる
” 台湾的結婚式 ( 本編 ) ”
を、是非見ていただきたい!


台湾式結婚式の顛末を、できるだけリアルに公開するゾ!
ホントにサ。


と、いうことで、
今日の所は、あっさりここまでにしておくヨ ♪

では!


一昨昨日のヒット数 - 621
一昨日のヒット数 - 588
昨日のヒット数 - 620

一昨日は、練習は休みでした。
昨日は、雨だったのでジムで、ウェイトと50km位のJOGをやりました。
今日は、雨だったのでジムで、ウェイトと800mX5本のインターバルをやりました。

台中国際レースまで、あと113日。

農暦端午節-台湾最初的龍船比賽(後編)

2005年06月10日 | 風習・習慣
 
( 2005年・台南の龍船レース )


あしたの6月11日 ( 土曜日 ) は、
農暦では5月5日で、端午節の日だ。

端午節は台湾では、
春節、中秋節と並ぶ 三大イベント ( 最重要的三個節日 ) になっていて
台南でも色々な催しものがある。

そこで前回は、
ここんとこずっと続いた 食い物 の話をちょっと休んで、
端午節 について書くことにして、
前半にあたる
” 端午節の起源 ”
について、レポートした。

そういうことで、
今回は、後半にあたる
” 端午節の特徴的な行事 ”
についての話を書くので、
食い物の事だけじゃなく、こういった方面にも興味の有る人は、
ぜひ頑張って読んでみてくれ。



 
( 上は、ファミリーマートで売っている企画粽 ” 古早北粽 ” 30円 )



------- 端午節の特徴的な行事 -------


台湾での、端午節の特徴的な行事というと、

(1)粽を食べる
(2)龍船レースをする
(3)菖蒲や艾を間口に飾る
(4)香包を子供につける
(5)薬用酒をのむ

等になると思うが、その内、

(1)と(2)は、前回説明した
” 屈原の遺体探しの儀式 ”
から始まった行事で、

(3)、(4)、(5)は、
” 陰陽五行説による5月の祭式 ”
を由来とする行事だ
と考えられる。

他にも、
” 正午に卵を立てる ”
なんていうのもあるが、とりあえずここでは、
(1)から(5)について、
少しだけ 詳しく説明をする。
 

(1)粽を食べる

粽を食べるのは、
前回説明したとおり、
” 屈原の命日に 死体を魚が食べないように、
  竹筒に米を入れたものを、揚子江に流す。 ”
儀式が起源になっているんだが、

昔の
” 陰陽五行説 ” でも、
” 五月には角黍 ( 黍=キビで作った粽のこと ) を食べるのが良い。 ”
と言われている。

ただ、ここで言う粽は、
現在、セブンイレブンで売っているような
” 肉粽 ”ではなく、
アルカリ性の灰汁を使った、
消毒食品のような
” 黍もち ”
だったらしい。
そのままだと食いにくいから、
砂糖を沢山加えたりして、お菓子 みたいにしていたようだ。

こういうのが、日本にあるような
甘い粽のルーツかもしれないナ。
( もちろん、大陸や台湾にも甘い粽は残っているが )

ここで、粽の形の話をするが、
日本で端午節に食うような、長くとがった形は、
実は、ごく古い粽の形なんで、
今の中国や台湾では、あまり一般的ではなくて
現在では、
” 客家人 ”
だけが、この形の粽を作っているようだ。

大陸や台湾でポピュラーな、
正四面体みたいな形は、
陰陽道が推奨する形で、
” 陰と陽が分散する前の、混在した状態 ”
を表しているもの なんだそうだ。

晋代の
” 風土記 ” などには、
屈原の故事にならった、
” 竹筒につめるタイプ のものもポピュラーだ ”
という記載が見られるが、
今は、端午節の食べ物としては、一般的ではなくなっている。

” 角黍 ” と呼ばれていた粽が
” 粽子 ” という名称に変わってきたのは、
黍がもち米にかわり、
包装材料が
呂 ( しゅろ ) とか竹の皮
に変わった頃かららしい。


 
( 上は、ファミリーマートで売っている企画粽 ” 飄香南粽 ” 30円 )


(2)龍船レースをする

龍船レースをするのは、
” 屈原の命日に、揚子江に船をだして、遺体を捜す儀式 ”
に由来していて、
” 陰陽五行説 ”
とは関係ない。

龍船は、一般には
” 划龍舟、ファーロンゾウ
  ( ファーは ” 漕ぐ ” の意味 ) ”
と呼ばれていて、
漢民族の行くところ何処でも
( 大陸、台湾、香港、シンガポール )
ドラゴンボートレースの船として、必ず見ることができる。

沖縄や、日本本土にも、この習俗は伝わっていて、
沖縄では
” 爬龍船、ハーリー船 ”
と呼ばれて、5月4日にレースをすることになっている。
また、長崎では、
” ペイロン船 ”
と呼ばれて、レースがあるのは7月末だ。

ところで、
台湾で一番最初に、龍船レースが行われたのは
” 台南古跡史 ” によれば、
清の時代、乾隆29年 ( 1764年 ) のことで、
241年も前のことだ。

そして、台湾発の龍船レースは、
当時台湾の首都だった、ここ、
台南 で開催されたということだ。



(3)菖蒲や艾(ヨモギ)を間口に飾る

これはまるっきり、
” 陰陽五行道 ” の祭式だ。

前回書いたとおり、
” 陰陽五行説 ” では、
5月は、陰と陽が相克する月で、
” 百毒月 ”
とも呼ばれる。
一年の内の、この時期に、
” 百陰 ”
と言われる、毒蛇、サソリ、トカゲ等 が活動を開始し、
色々な疾病も増えてくる。

だから、
これらのケガレに対抗して、家を守るために、
” 五祥 ” という、
めでたいものの、その中でも 首位とされる、
” 蒲剣 ” 
つまり、葉が剣の形をした 菖蒲 を間口に飾るんである。
( 日本では、間口に飾る代わりに、風呂にいれてるけどね )

また、ヨモギは
” 招百福 ” という
ありがたいものの、代表だ
- とされているので、
これで虎の形とか、人の形を作った
” 艾人 ”
というものを、やはり間口に飾ることになっている。


 
   ( 香包 )


(4)香包を子供につける

これも
” 陰陽五行道 ” の祭式で、
古くは
” 風俗通 ”
という書物の中に表れている
五色の糸をひじにつけて、
” 百毒月 ”
の五月を乗り切って、夏に備える
- というまじないが、変形したものだ。

この習俗は、
遠く日本にたどり着いて、
日本でも
” 易 ” や ” 陰陽五行 ”
が大流行した江戸時代には、
5月5日の、
” 端午の節句 ”
の代表的な飾り物である
” こいのぼりの一番上の 吹流し ”
に形を変えて、すごくポピュラーなものになった。



(5)薬用酒を飲む

これは、
中国大陸でも、比較的北の地域で、行われていたことで
” 雄黄 ”
という鉱物 ( 硫化砒素 ) を酒に入れて
飲む習慣だ。

砒素というと、毒薬の代名詞みたいだが、
本当の毒薬の
” 亜砒酸 ”
ではないこの化合物は、少量を使うと、
化膿性球菌 や 病原性大腸菌
なんかの、夏のわる~いバイキンを抑制する
結構、良い薬になるんである。

酒を飲めない子供には、
この酒を筆に浸して、額に
” 王 ”
の字を書く まじないなんかも
昔から、広く行われてる。


ここまで、
” 端午節の行事 ”
のことを書いてきたが、
オレも明日は、チャンさんや、イェンさんと
安平運河の龍船レース
( 10年ぶりの大きな大会になるそうだ )
を見に行く予定だし、

事務所メンバーのカミさんの中には、
なんと、実際に龍船レースに出て、
船を漕ぐ人もいるらしい。
( それも、優勝候補 だってことだ )

オレ達も、
知らないうちに
じわ~り じわ~りと、
” 土着化 ” 
しつつあるような気がするゾ。



------- 端午節の特徴的な行事の話、おわり -------



いやいやいやいやいやいやいや、

やっとこさっとこやっとこさ
端午節の起源とか、特徴的な行事とかについて、なんとかまとめてみた。


\(´。`;)ノ   ほぇぇぇ~、疲れた~。


でも、調べれば、調べるほど、
もっと面白い異論とかが、どんどん出てくるんで、
この2回で書いただけじゃ、
不足な感じも残っている。

もしか、来年の今頃もまだ
台湾に駐在しているようだったら、
きっとまた、この続きを書くことにしよう - っと。


では!




昨日のヒット数 - 425

今日は、練習は休みでした。

台中国際レースまで、あと119日。

農暦端午節-台湾最初的龍船比賽(前編)

2005年06月09日 | 風習・習慣
 
( 2005年・台南の龍船レース )


あさっての6月11日 ( 土曜日 ) は、
農暦では5月5日で、端午節の日だ。

端午節は台湾では、
春節、中秋節と並ぶ 三大イベント ( 最重要的三個節日 ) になっていて
台南でも色々な催しものがある。

そこで今回は、ここんとこずっと続けてきた
食い物の話をちょっと休んで、
端午節について、
起源とか、特徴的な行事とかの話を書く。
( そういうことでここから後は、
  歴史とかは 「 だいっきらいだ-。 」 って言う人には、
  相当つらい内容になるので、
  ここらへんで、ブラウザの ” 戻る ” ボタンを押すのが賢明だ。)

話全体が、すごく長くなるはずなんで、
今日が ” 起源 ” の話で
明日が ” 特徴的な行事 ” の話だっていう
前・後編構成にするゾ。


ところで、
端午節という習俗については、
従来、本当に色々な研究がある。
最近では、
韓国が、自国の端午節を、ユネスコの無形文化財として
登録申請したことに対して、
中国が
「 端午節は中国発祥の文化だゼ。 」
と、クレームをつけたりする騒ぎまで起きている。

そういうことで、
今回オレが書く内容は、
色々書かれている、過去の端午節の解釈のうち
オレのセンスに無理なく当てはまるものを
一つ一つ、パッチワークの様につなげたものなので、
( 過去の研究を、全部書くわけにはいかないだろ。 )
本当の専門家が主張する史実とは、必ずしも一致しない
- ってことを、
いっとう最初に、ちゃ~んと断っておくゾ。


 
( 上は、セブンイレブンで売っている高級粽 ” 山珍海味粽 ” 40円 )



------- 端午節の起源 -------


端午節の起源というものは、
大陸中国の戦国時代に、

(1) 楚の国の愛国者、
” 屈原、チュイウェン ( BC343-278 ) ” の
” 遺体を捜した儀式 ” と

(2) 斎、魏、趙、燕に仕えた学者、
” 鄒衍、ツォウイェン ( BC305-240 ) ” のまとめた
” 陰陽五行道 ” が薦める5月の祭式が、

5月5日の行事として、
セットになって、中国全体に広まっって行ったものだと考えられる。

( 戦国時代の国 = 楚、斎、秦、魏、趙、燕、韓、宋 )

以下に、
上記の(1)と(2)について、少しだけ詳しく説明する。
 

(1)屈原の ” 遺体を捜す儀式 ”

屈原は、楚の国の忠臣で、
壊王の時代に、
” 連斎抗秦 ( 斎と仲良くして、秦に立ち向かう ) ”
路線を進言したが、
王の末子の子蘭に反対されたりして、
壊王は屈原の言うことを聞かず、
ほいほい秦の国へ出かけて、結局、殺されてしまう。
その後、子蘭や、奸臣の靳尚と対立した屈原は、
楚を追放されて、江南省に住み、
” 離騒 ”、 ” 九歌 ” などの詩を詠んで名声を博すが、
楚の一部の、都郢がついに秦に併合された際、
あんまりにも世の中が情けないもんだから、
” 壊沙の賦 ” という有名な詩を作った後、
( 農暦の5月5日 )
汨羅江という場所で、石を抱いて揚子江に飛び込んで
自殺してしまった。

屈原を惜しむ付近の民衆は、
沢山の船を出して、長い間その遺体を探し、
また、
竹筒に米などを入れたものを、沢山揚子江に投げ入れて、
遺体が、魚や蝦に食べられないように祈った。

そして、そういう儀式的な行為を、
毎年屈原の命日に行ったのが、
農暦の5月5日に龍船レースをしたり、
粽子を食べたりする行事の起源になったんだ。


 
( 上は、セブンイレブンで売っている大型粽 ” 真飽福粽 ” 25円 )


(2)鄒衍の ” 陰陽五行説の祭式 ”

鄒衍は、戦国時代の高名な学者で
もともと中国にあった、
” 易経 ” などに書かれた ” 陰陽 ” 説
( 物事を、陰と陽の相対的な2相で表す ) と
” 書経 ” などに書かれた ” 五行 ” 説
( 物事を、木、火、金、土、水の五気に還元する )
を合わせて、
” 陰陽五行説 ” にまとめたんだが、
この思想は、当時中国全土で ( 今でも風水なんかで ) 大流行した。

ここで、超簡単にこの説の解説をすると、
世の中の森羅万象は全て、陰と陽からできていて、
その混在の仕方から、
木、火、金、土、水 の5元素に分類できる。
この5元素の間には、それぞれ
うまくいったり/いかなかったり
補完したり/相克したり
する関係があるので、
人生バラ色だったり、ドドメ色だったりするのは
みな、この ”陰陽五行 ” の自然物理の影響する所だ
- ってな感じになる。

この ” 陰陽五行説 ” によると、
5月は、陰と陽の混在する月で、
このころから気温が上がることによって
病気や、毒虫など、色々な問題が発生するので、
それらに対処するために、祭式が必要な月らしい。

その祭式とは、
菖蒲を飾ったり、薬用酒を飲んだりすることなんだが、
こういう、” おまじない ” みたいなことが
(1)の、
” 毎年屈元の命日に遺体を探す儀式 ”
なんかと一緒になって
5月5日の行事として、中国全体に広まっていったようだ。



 
( 上は、セブンイレブンで売っている高級粽 ” 五穀龍粽 ” 38円 )



(3)” 端午節 ” という呼称の由来

追加で、
なんで5月5日の節日を ” 端午節 ” と呼ぶのか
- の解説をする。

ちなみに
” 陰陽五行説 ” では、5月5日のことを
仲夏 ( 夏至 ) に近い日として、
” 端陽 ” と呼んでいるんだが、
中国北部では、その由来から
5月1日を ” 端一 ”、2日を ” 端二 ”、・・・・・・
5日を ” 端五 ( タンウー ) ” と言い表していた。

これが後に、5月5日の節日のことを、
” 端午節 ( タンウージェ ) ”
と呼んだ、起源になっていると思われる。

唐の玄宗時代になると、
すでに、5月5日のことを ” 端午 ” と呼ぶ詩が
書かれていることなどから考えると、
この時代のころから以後は、
” 端午 = 5月5日 ”
であるって言うのは、
すでに中国全体の、常識になっていたみたいだナ。




------- 端午節の起源の話、おわり -------





やっとこさと
端午節の起源について、なんとかまとめたので、

♪ とりあえず・今日はここまで、あとは明日だよ~ ♪




一昨昨日のヒット数 - 583
一昨日のヒット数 - 575
昨日のヒット数 - 648

一昨日は、練習は休みでした。
昨日は、ウェイトと3kmJOGをやりました。
今日は、夜、成功大学で
    400-800-1600m と 800-1600m のラダーインターバルをやりました。

台中国際レースまで、あと120日。

色狼!俄羅斯人

2004年11月25日 | 風習・習慣


今日のダイアリーは 
過去最低の内容だ。
最近、オレと 新竹で働いている BABAちゃんが交換したメールを
そのまま コピペしただけのモンだ。
それに、とても品の悪い話題だ。
誰も見る必要はないので、すぐブラウザの
" 戻る ”
ボタンを押してくれ。

それでも読もう 
- っていうヒトに 注意しておくが
メールを 保存したまま 交換しているので、
コピペしてあるメールは
上にあるほど 新しいもんだ。



上の写真 - 今回の登場人物 Kool_Tada と Babaちゃん



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From: BABA To: TADA
Subject: RE: 金曜の精算
Date: Mon, 22 Nov 2004 21:05:00


TADAさん

” 静 ”
のトイメンに KTVが有るとは 知りませんでした。
今度は 私の通訳を 御願いします。

しかし、オンナノスキー スケベノビッチ 君達は
何故に ” 台南 ” に居たのでしょうか。
港町なら 納得ですがねー。

草々

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From: TADA To: BABA
Subject: RE: 金曜の精算
Date: Mon, 22 Nov 2004 19:05:01 +0800


BABAちゃん

昨日、
” 蕾 ”
にロシア人が二人きて、
「 やらせろー、やらせろー 」
って、台南と林森北路を勘違いしてうるさく騒いだ。
困ったミセに 頼まれたから
” 静 ”
の向かいの KTVにつれ出した。

KTVでは
ロシア人に システムの紹介だけ 通訳してやって
オレは帰ろうとしたが
黒服のアンちゃんたちに 囲まれて、

「 最後まで、やつらの面倒見ろよ。 」

とすごまれて 帰れなくなった。
しょうがないので、
ロシア人たちが いたし終わるまで、
( 一人 コウジャオ、 もう一 人ヘイショー )
ロビーで 黒服に見張られて 座って待っていた。

あんまり長くかかるもんで、
出てきたロシア人に

「 なげー じゃねーかよ! 」

と文句をいったら、

「 いやー、酒のんでたもんで。 」

とか つまんない 言い訳をいわれた。
イエに帰ったのは 4時だった。

明日 新竹の事務所のほうに 朝から行きます。

草々

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From: BABA To: TADA
Sent: Monday, November 22, 2004 11:20 AM
Subject: RE: 金曜の精算


TADAさん

遅くまで お疲れ様でした。
2000円は 後ほどお送りするか、今度お会いした時に お渡しします。

急ぐなら FAX で送りましょうか?

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From:TADA To: BABA
Subject: 金曜の精算
Date: Mon, 22 Nov 2004 09:00:07 +0800


BABAちゃん

金曜は遅くまで ご苦労さまでした。
久しぶりに ゲロ吐いても 飲み続ける BABAちゃんを見ました。

合計6300円だったので 均等わりでいきましょう。

黒シャツM君2000-600=1400円

BABAちゃん2000円

TADA残り

では。

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< 今回メールで使われた用語の解説 >

色狼(スーラン) - すけべな人のこと。 
              ちなみに " ド " すけべな人は 色魔( スーモウ ) という。

俄羅斯(アロス) - ロシアのこと。

KTV - カラオケボックスのこと。 
       しかし、女性を置いて 特殊なサービスを する様なミセもある。
       ミセを外側からみれば、健全か、特殊サービスか、大体の見分けはつく。

      今回登場したミセのように、
      ” 雑居ビルの 上の方の階で営業しており、
       1階の入り口周辺に 受付の黒服が たむろしている ”
      - といったところは かなり過激なサービスを 提供している場合が多い。
      ( 警察が来た時、黒服が1FLで 警察を引き止めて 時間稼ぎする。
        その間に 小姐を 別の出口から逃がす 
- という 典型的なミセのつくりだ。 )

      このダイアリーを読んでいる人は、
      絶対に こういう危険な場所に 行ってはいけない。
      間違いから
( ことばの行き違いがよくある。 )
行方不明になったりしても
      みっともないだけで だれにも同情してもらえない。
      多分 労災の認定も下りないだろう。

コウジャオ - 女性が口を使ってするサービスのこと。

ヘイショー - もともとは
” よいしょっ、よいしょっ ”
という掛け声のこと。
        転じて、セ○クスの意味になった。



< 疑問 >

ところで、
なぜ Kool_Tada は この晩ロシア人達に提供された
サービスの内容について 知っているのだろう?
ちなみにこの日、ロシア人達は コトのあとで
「 まぁまぁだった。 」
というような アイマイなコメントしか していなかった。


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一昨日のヒット数 - 445
昨日のヒット数 - 514

昨日は ウェイトと 30分JOGをしました。
今日は ウェイトだけをしました。
(ING安泰の国際レースまであと24日)

枕頭公!枕頭婆!

2004年11月17日 | 風習・習慣




今日のダイアリーは、読んでるヒトを無視した、殆んどオレの メモ みたいなモンだ。
だから気にしないで、” 戻る ” を クリック して 別のサイトへ行っていいゼ!
なんたって下に書くのは、 ” 蕾 ” の ちーママ から聞いた
” 寝違い ” しちゃった時の オマジナイ -
だけなんだから。

-----オマジナイ-----

枕頭公、枕頭婆、
我是○○○、 今朝起床複発現我落枕了。 脖子無法動弾。
請枕頭公、 枕頭婆、 保佑我、 譲我的脖子趕快起来。
拝託!

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ちなみに上の写真がその ” ちーママ ” と、 黒シャツ隊準構成員 の ” 小ケン ” だ。



この オマジナイ の最初の、 ” ××公、××婆 ”、っていうのは、
台湾の お祈り の一般的なパターンだな。 
” 拝拝 ” の時に ” 土地公 ” に祈るときも、 ” 土地公、土地婆 ” で始めるモンね!
( ” 拝拝 ” についてよく知らないヒトは、前のダイアリー の  ” 拝拝 ” を見るといいゾ。 )

時に、上になんでオンナジような 写真 が2枚あるかっていうと、
一番上の方の 写真 を撮ったアト、 ちーママ が
「 アタシの方が 顔がデカく見えて イヤだ~! 」 ってゴネて、
自分が 小ケンよりチョッと 後ろに下がって、
もう一枚 撮り直しを 要求したから ナンだな。

カオがデカイ - ってのは、台湾でもあまり 人気ないミタイさ。
( 香港女優の ケリー・チャン とか、スゲー でかいのにナ。 )

昨日は、ウェイトと2kmランだけをやりました。
今日は、ウェイトと45分(9km)JOGをやりました。

一昨日のヒット数 - 177
昨日のヒット数 - 218

農暦中秋節

2004年09月28日 | 風習・習慣




今日は、農暦の8月15日。 
日本では単なる ” お月見 ” の日だが、
台湾では、春節 ( 新年 )、 端午節 と並んで
” 三節 ( サンジェ ) ” のひとつに数えられている
” 中秋節 ( ゾンチョウジェ ) ” の日だ。

この日は台湾では、
日本のお盆とか アメリカの感謝祭みたいな、
遠くに散っている 家族が帰省してくる、家族再会の日だ。

そして何でだか、帰ってきた人は みんな揃って庭先で、
ガンガン、烤肉 ( カオロウ、バーベキュー ) をやる。 
外では若者が、意味もなく 爆竹やロケット花火を
バンバン、炸裂させる。 
いたる所で 火事のネタになる事を やる日でもあるんで、
台湾の消防署は この日スゲー忙しい。(?)
 
それと、
やたらに ”月餅 ( ユエピン、解説は下を見ヨ )” を贈りあう日でもあって、
オレが働いているような 小さな事務所でも、
食いきれないくらい ” 頂き物の月餅 ” がたまっちまう。 

ここの従業員は 一人ものの男が多い。 
それも酒のみばっかりなのに、
こんなに 甘いもの沢山もらって どうしろっちゅうんじゃー。

 


日本で ”月餅 ”といえば、
多分 ” 広式( カンスー、広東式 )” の、
上に、難しい字が型押ししてあるヤツを 思い出すヒトが多いと思う。 

だが台湾では、油と砂糖がたっぷりの クドイ広式よりは、
台湾式の、パイ皮で丸い、かるいものの方が ポピュラーだ。 
中でも ”蛋黄酥 ( タンファンスー ) ” っていう、
塩味がついた アヒルの卵の黄身が 入っているヤツは、
”月餅詰め合わせセット ” に 殆ど必ず入っている 人気モノだ。

上左の写真は、台湾月餅の三役- 上から 
” 蛋黄酥 ”、
” 広東式月餅 ”、
それと、緑豆の餡が入っている
” 緑豆椪 ( リュイトウポン ) ”
が入ったスタンダードな詰め合わせだ。 
それに対して右側は、新しいタイプものなんで、
普通のお菓子の詰め合わせみたいで、
” 月餅だゾー ”
っていう感じが あまりしない。

ところで、
”どうして、中秋節に 月餅を送るようになったか? ”
っていう いわれだが、

その昔、漢民族が元の国 ( 蒙古 ) と戦争してるときに、
劉伯温 ( リョウポーウン ) っていう道士が、
「 中秋節に食べなさいネー。 」 って言いながら、
月餅を配った 故事が起源になってるらしい。 

配られた月餅の中には 「 打倒蒙古、本日決起! 」
って書いたゲキ文が入れてあって、
中秋節にそれを読んだ漢民族は
「 やるべー! 」
ってんで一斉に立ち上がって、戦争に勝っちゃって
” 明朝 ”を 打ち立てることができた。
そして 劉伯温は ” 明の太祖 ” になったんだナ。



由来のようなものはしらないが、
中秋節には、月餅の他に
” 文旦 ( ウンタン、ぶんたん ) ” も食べる。

この文旦の 皮の向き方には、独特の作法があって、
タテに切れ目を入れておいてから、バナナみたいに
皮を向いて中身を取り出す。 
そして残った皮は
” 文旦帽子 ” にして 子供にかぶせて遊ぶのサ。


でも、今日の写真は 飲み屋で撮ったものなので、
写真の中で ” 文旦帽子 ” を 被っているのは、
” かわいい子供 ” じゃなくて、
むやみに筋肉がついている
” 半袖組のデブン ” だ。 


一昨日、昨日は忙しすぎて、練習できませんでした。
今日は、夕方からウェイトと30分JOGをしました。

一昨昨日のヒット数 - 785(83位ランキング入り)
一昨日のヒット数 - 440
昨日のヒット数 - 792(92位ランキング入り)  

關鬼門 ( 中篇 )

2004年09月19日 | 風習・習慣


今日は、農暦の7月29日、
“  關鬼門 ( クァンクェイメン ) ”  といって、
前に “ 農暦中元節 ” で紹介した
農暦7月 ( 鬼 = さまよう霊  の月 )が終わる日だ。
 
今日、現世と死後の世界を 分ける門が閉まり、
この一ヶ月 さまよっていた霊は、死後の世界へ帰って行く。

 - っていう書き出しで始めた
” 關鬼門 ( 前篇 ) ” だが、
今日、
ついに MEBIUS が日本から届いたから、約束どおり  
” 一体、何が起きたのか? ”  
について書くことにする。

話は長くなるが、
このダイアリーを始めたころの、 
” 練習方法変更! ” の回と、その後の  
” 夜市で・・・ ”  の回の間は、
よく見てもらうと 1ヶ月の空白がある。
 
実は この1ヵ月の間に、オレは 10日間くらい ヒザの故障で、
練習をしていない 期間があった。 
後になって 気づいたんだが、この故障というのが、
今回おきたことの ” 前ぶれ ” だったような 気がする。



その故障のとき、オレは別に ハードな練習も何も していなかった。 
ただ、ある晩 変な夢をみたんだ。 
それはあんまり リアルな夢なんで、 
朝起きたときに、
それが夢のことか それとも現実におきたことなのか、 
少し考えないと わからないくらいの ものだった。
 
夢のなかで
オレは、夜中に 変に足が重たい感じがして、 
ぼんやりと目を覚ました。
そして、上を向いて寝ている自分の 違和感を感じる足のほうに
ゆっくりと 目を向けていった。
 
すると 暗い部屋の中で、
寝ているオレの ひざのあたりの上に、 
なんと・・・
向こうを向いて 座っている 小さい女の子がいる!

ここら辺は 夢らしいところだが、 
そのとき オレは何故か あまりおどろきもせずに、 
その 座っている女の子に、  
「 重いからどいてよー。 」
と頼んだ。
 
そして
これほど はっきりした夢だったのに
妙なことに、
朝起きたとき 覚えていたのは、ここまでで、
その後の 夢の内容は 何も記憶に残っていなかった。
   
しかし、
その朝 起きたときから
オレの右ヒザの関節は、どういうわけか
少し動かしても すごい痛みを感じる状態に なってしまい、
その後都合10日間は ろくに歩くこともできなかった。



この話を、 
台南には子供の時から住んでいる、半袖組のポチャンに話したら、
ヤツがこう言った。

「 TADA さんのアパートの建っている場所は、
  前はお墓ばっかりあった場所なんですよ。 
  だから、昔から台南にすんでいる人間だったら、 
  まぁ住みたがらないねぇ。   」

そして、同じ話を
会社の小姐 ( アパートを手配した ) に話したときの 反応がコレだ。

「 TADA さんのアパートを借りたとき、
  すごく家賃が安かったんで、 理由を大家さんに聞いたら、 
  ” 昔、墓場だったからね ” 
  - って言ってましたよ。  」
(  ウッソー。 ナンデ そんなとこ手配したんだよ-! )

足が治ってから オレは、 
契約期限が切れたのを シオに、
自分の部屋を 
同じ建物の中ではあるが、
3階の部屋から 2階に 移すことにした。
  
そして、そうやって部屋を変えた後は
3ヶ月以上が 特に何事もなく過ぎ、 
次第に オレも夢のことは  
「 偶然だったんだろう - 。 」  
と考えるようになり、 
もう 足の故障のことも すっかり忘れてしまっていった。
 
こんな風に、時間が過ぎていって、
“ 關鬼門 ”  の日になった夜 ( 11時位かナ )、 
暇だったオレは ちょっとした試みを思いついた。
 
つまり、自分のアパートの周囲を 歩きまわって、
何か モヤモヤ感じる 場所があったら、
そこの写真を撮ってみることにしたんだ。 
万一、何か 面白いものでも 撮れていれば、このダイアリーに使おうかな 
- っていうウケ狙いの考えも少しあった。

そして、オレはアパートの周りを歩いて、
自分が 何だか変わった感じを うけた場所の写真を、
何枚か撮って 部屋に帰った。
  
だがその後、気が変わって 特に何もしないまま、
インターネットを見て ビールを飲んだだけで、寝てしまった。

その夜中に、オレは おしっこがしたくなって起きた。 
すると、
( おかしいな、2時間くらいは寝てたハズなのに、何でだろう? )
居間においてあったVAIOの液晶が、 
なぜか まだ切れずに点灯している。

モレそうなおしっこを 先に済ませてから、 
オレは VAIOをチェックした。

(  特に異常はないみたいだナ。 
  あ、そうだ。 
  デジカメの SDカードの 容量がもうイッパイだったナ。 
  ・・・ 画像ファイルを VAIOのハードディスクに 移しておこう・・・。  )

そして オレは デジカメの SDカードから、
( 写っているものの 確認はせずに 一括 で ) 
画像ファイルを 切り取って、
VAIOの  ” マイピクチュア ”  に貼り付けた。
 

・・・・・・・するとその時・・・・・・・・





点灯していたVAIOの液晶が、
音もなく スーッと 消えた。
かき消えるように、
今まで点灯していた LED までも 次々に 全部消えて、
急にあたりは真っ暗になった。

そして、
オレと 死んでしまった VAIOだけが、
何のもの音も しない暗闇に ポツリ と取り残された。


その後、オレのVAIOは、 
ナゼかもう二度と 動くことができなくなったんだ。




昨日はまた二日酔で練習をサボりました。
今日は、ウェイトと60分JOGをしました。

一昨日のヒット数 -959 ( 63位ランキング入り )
昨日のヒット数 - 332 ( 219位 )

關鬼門 ( 前編 )

2004年09月13日 | 風習・習慣


今日は、農暦の7月29日、
“ 關鬼門( クァンクェイメン ) ” といって、
前に “ 農暦中元節 ” で紹介した
農暦7月 ( 鬼 = さまよう霊  の月 ) が終わる日だ。
 
今日、現世と死後の世界を分ける門が閉まり、
この一ヶ月さまよっていた霊は、死後の世界へ帰って行く。
 
今日のダイアリーは、
オレのPC ( VAIO ) が昨日の晩 壊れてしまったので、
慣れない会社のデスクトップで 書いているから、余り長くは書けない。

そして、信じるか信じないかは みんなの勝手だが、
VAIOが壊れた まさにそのとき、
オレは、霊の月の最終日にふさわしい
“ 身の毛のよだつような怖ろしい体験 ”
をした。

今日注文した新しいPC ( MEBIUS ) が到着して、
また ダイアリーが書けるようになったら、
その
“ 身の毛のよだつような怖ろしい体験 ”
について説明しよう。

そして、
日本に修理に出した VAIOのハードディスクが、
もし万一無事だったら、
そこに ファイルされているはずの 恐怖の画像を、
このダイアリーで 公開することを 約束する。

それでは、その時が来るまで、
毎日このダイアリーを チェックしていてくれ。 


では・・・・・・



一昨日はウェイトと30分のJOGをしました。
昨日はウェイトと60分のJOGをしました。
今日は月曜なので練習は休みです。

一昨昨日のヒット数 - 244
一昨日のヒット数 - 276
昨日のヒット数 - 250