台南・ダイアリー

台湾の台南市で3年、新竹市で2年駐在して、色々な所へ行ったり美味しいものを食べたりしました。

延平郡王祠前陽春麺-台南陽春麺③

2006年06月20日 | うまいもの





前回行けなかった
   ” 延平郡王祠 ” の前にある
   ” 陽春麺 ” 屋に行ってきた。



それで最初に、
初めてこのBLOGに来た人の為に
” 陽春麺 ”
について、前の
”金鳳陽春麺 ” と、
”老黄陽春麺 ”
の時に書いたのと同じ説明をしておく。

それと今回は台湾版の ” 一杯のかけそば ”、
” 一碗陽春麺 ”
の話を最後に紹介する。

泣ける話だから、
ミセに興味が無い人はそっちだけ読んでもいいヨ。

- ” 陽春麺 ”
っていうのは、簡単に言うと、
まぁ日本でいう
” かけそ ば”か、” 具のないそば ”
のことだ。
( 台湾では一般に、全然具がない訳じゃなくて、
  小白菜の葉が少しと、
  うすーい豚肉片か肉燥 ( 肉そぼろ ) が少しだけ
  入っているのが普通だけどネ。 )

このことばから派生して台湾では、
” ベーシックで飾りがない/安い感じがするもの ”
のことを
” 陽春○○ ”
と言うことがある。
例えば、
” スタンダード仕様のままで、オプションが何もついていない車 ”
のことは、
” 陽春車 ”
な~んて呼んだりするんである。

麺とダシしかないシンプルなものなのに
「 陽春麺がうまい。 」
って言われる様なミセは、他のもの食っても大体うまいから、
メシ食うミセを選ぶときに目安になる。
- んじゃないかナ。



( 開山路付近の地図と ” 延平郡王祠 ” )

今回行ったミセは、
特に店名が無いミセで、
でかい赤い看板にも、ただ
” 陽春麺 ”
としか書いてない。
でも、
台南ローカルの間では
” 延平郡王祠前の陽春麺 ”
と言えば、すご~く ( かな? ) 有名なミセなんだゾ。

それで、
開山路をはさんでこのミセの向かいにある
” 延平郡王祠 ”
っていうのは、
” 鄭成功 ”
を祀ってあるお寺のことだ。

元々は
” 開山王 ( 台湾を立国した王の意味 ) 廟 ”
と言う名前の寺で、
台湾の日治時代は、鄭成功の母親が日本人なんで
” 開山神社 ”
なんて呼ばれていたんだが、
戦後、清の時代の呼び名
” 延平郡王祠 ”
に変わって現在に至っている。

” 延平郡 ”
って言うのは、昔の福建省内の地名で、
” 延平郡王 ”
は、
鄭成功が明朝からもらっていた大将軍の位のことだナ。

” 延平郡王祠 ”
は戦後、もとの福建省スタイルの建物を
コンクリート製の大陸北部様式に建て替えてしまったので、
古跡には指定されていないが、
鄭成功関係の重要な文物が多数保管されているから、
観光で台南に来る人や、
駐在で休みに時間が余っている人は、
ぜひ行って見るといい。

それでついでにこのミセで陽春麺を食ったら、
見物と食べ歩きが一緒に出来て、
なかなか都合が良いやネ。




上が、オレが食った陽春麺の
” 湯麺 ( タンメン、スープあり麺 ) ”
と、
” 乾麺 ( ガンメン、スープなし麺 ) ”
だ。
うまそーな写真だろー。
実際ここの陽春麺は、
なっかなかうまいゼ。

味つけ的には、
前の老黄陽春麺と同じで、
” 乾麺 ” を頼むと自動的に
” 麻醤麺 ( マージャンメン、ゴマダレ味の麺 ) ”
になり、
” 湯麺 ” を頼むと、普通の
” 醤油味 ” になるみたいだ。

麺は、
ふつうの細い麺と上の写真みたいな太麺とが
セレクトできる。
色が真っ白で、かん水や卵を使っていない
いわゆる
” 外省麺 ”
の生地だが、
ここの麺には外省麺にしては珍しく、
ちょうど程よくコシがある。

スープも、
あまり醤油くさくなく、
ダシも効いていて、
日本の塩ラーメンと醤油ラーメンの中間みたいな
なんか新しさを感じる味でうまいネ。




上の写真は、
麺と一緒に注文した
” 肉骨湯 ”

” 魯味 ”。

最近、
アニメーションGIFの使い方を覚えたんで
魯味を選ぶ所と魯味をフラッシュみたいにしてみた。
メモリーを小さくするために、
写真の画素数と色数を減らしたんで、
あまりうまそーに見えなくなっちゃたが、
魯味もけっこう美味しいヨ。

肉骨湯の方もなかなか良いけれど、
このミセは、
スープとスープに入れる青ネギが取り放題なんで、
乾麺を食べるときに
あえてスープを頼む必要はないかもネ。


      

上に、
” 延平郡王祠前の陽春麺屋 ”
のメニューの写真をあげておく。

今回食わなかったが、
けっこう家鴨肉の魯味が充実してるナ。




最後になるけど、
” 陽春麺 ”
に関わる話として、
今年、日本の
” 一杯のかけそば ”
と比較されて台湾で話題になった
” 一碗陽春麺 ”
の話をちょこっと紹介することにするヨ。



------- 一碗陽春麺の話 ---------

南投県の田舎の魏伯彦の家は
父、母、10歳以下の子供5人の家族だが、
農薬散布の手伝いなどしながら生計を立てている
生活保護の家庭だった。

魏家の母の慧萍が、
ひどいこしの痛みから病院をたずねると、
彼女は全身に転移した
末期ガンの患者であることが判明し、
台中の中山医大病院に入院することになった。

母親が入院してしまった5人の幼い子供達は、
他になすすべもなく、
台中の母親の病室で暮らすことになったが、
もとから貧しい家庭の上、
母親が重病になってしまったため、
三度の食事を満足に食べられない様子だった。

看護士の黄秋鳳は子供達の空腹の様子を見かねて、
自分の食事の際に、
そこにいた3人の子を一緒に食事に連れて行った。

食べたいものを聞かれた時、
子供達は遠慮して、
どうしても3人で一杯の陽春麺で良い
と言うので、黄秋鳳は3人に一杯の餛飩麺を買って与えた。

すると、
子供達3人は餛飩麺の麺だけを分けて食べ、
餛飩には手をつけず、
それを病室の母親に持って帰りたいと言い、
包んでもらえるかどうかを聞いた。

この様子を見た黄秋鳳は感動し、
母親のためにもう一杯の陽春麺を買った。
そしてその後、このことを新聞の記者に話したところ
今年3月2日中央通信の記事になり
台湾中にこの話が伝わった。

---------------------------



大体のストーリーは上のようなことなんだが、
オリジナルの新聞記事に書かれている
子供達の食事の場面の、


” たった9歳の少女 魏雪婷が、
 笑った顔の様につま先が破れている靴に目を落とし

 「 おねえさん、
  お母さんはまだご飯を食べていません。
  私達はもういいから
  これを包んでもらえませんか。」

 と言うと、
 もっと幼い二人の弟たちさえも
 持っていた箸を置いた。 ”


- というくだりは、
もとからしまりの無いオレの涙腺を激しく刺激した。



その後
この話が有名になったことで、
台湾中から魏家には何百万円もの寄付が集まったが、
子供達の母の慧萍は

「 自分は末期のガンでもうどうにもならないから
 それはお金があれば助かる人に使ってください。」

と言って受け取ろうとせず、
今年4月21日に亡くなった。


- ということだ。




 本日はここにてご無礼 !





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6月20日の練習 - ウェイト少々(自宅)






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2 コメント

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はじめまして! (砂糖)
2006-06-21 13:50:58
 例のラーメンの件で検索してたどり着きました。

大変参考にさせていただいております。

 実はウチの会社の連中がテレビを見て勘違いしまして、「剣橋の脇にラーメン屋が出来たらしいから食って来い!報告しろ!」と言われまして、事情が解からずさまよい続けました(笑)

 台南地区の情報でこれだけ膨大な量のサイトは初めてみました。ビックリです。いろいろ行ってみたい店もあるのですが、なにせ蕾の夜のOnCall対応が忙しくて、、、、電話が鳴るとつい、フラフラと、、(笑)
砂糖 さんへ (kool_tada)
2006-06-21 21:21:46
砂糖 さん、



コメントありがとうございます。

このBLOGも長いこと書いているので結構量が増えました。

行った場所、あったことを適当に書いていますので、資料としては見にくいと思います。

その内どこか別の場所にでも整理しようかなと思っていますが、こんな調子ではいつになるやら・・・

最近は新竹の仕事が忙しくて更新の間が長くなっていますが、見放さずチェックよろしくお願いします。



蕾に行かれるとのことですが、

もし、

”やけくそになって BOMBER GIRL を歌ってるオヤヂ”

がいたら、それはラーメンマンか私かのどちらかです。



では、失礼いたします。



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