千の天使がバスケットボールする

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「深代惇郎の天声人語」深代惇郎著

2010-06-27 19:53:47 | Book
手元に一冊の本がある。地元の公立図書館で借りた本で昭和51年発行、出版社は朝日新聞社。以前、読んだ本で今回は再読。貸出期限は2週間だが一回のみ延長ができるので、ほぼ1ヶ月間手元において何度も読み直しをしたにも関わらず、手離すことが惜しくてまだ読んでいる。著者は、深代惇郎。とくれば、自ずからタイトルが予想できるだろう。「深代惇郎の天声人語」である。

深代 惇郎は昭和4年東京生まれ。昭和28年に朝日新聞社に入社して、ロンドン、ニューヨークの特派員などを経て48年に論説委員になる。深代が「天声人語」を執筆したのは48年2月から50年11月1日、急性骨髄性白血病で入院するまでのわずか3年に満たない期間であった。しかし、朝日新聞にとっては、深代の登場によって「天声人語」のブランドが他新聞社の同類との差別化に成功し、不動の輝きをもたらせた。我家は私が生まれた時から父がジャイアンツ・ファンということでY新聞である。朝、まず一番に目を通すのが「編集手帳」なのだが、これがおそろしくおもしろくないのだ・・・。つまらない!論説委員の方は、特に”古今東西の名文を微妙な引用”で人生の四季を描き出す当代随一の名コラムリストとして世間では評価が高いそうだが、巧みな文を書くための技巧を凝らし筆が走り、肝心な著者の魂がきこえない。

久々に再読した深代の文章は、珠玉の名文なのである。プロの書き手として超一流。しかも、本物の文章力があるから、どんなに名文でもその”技巧”の鮮やかさに気をとられることもなく、ずしりと心に響き余韻を残す。勿論、論文や過去の著名人の言葉の引用もあるのだが、単なるうすっぺらな借用ではなく、後年、マスコミ史上、最高の知性派のひとりと評価された彼の深い教養こそ感じられ読ませられる。現代の名コラムリストとどこが違うのか。深代は、教養人でありながらその懐は人間味溢れて深い。そして、自分の言葉で語る。もともとの人間力も違うのだろう。49.4.10「竜治君の死」を読んで涙を流さない読書人はいないであろう。それでいて田中角栄など政治家や権力者を見る目は厳しかった。表層ではなく、物事の本質を見抜くジャーナリストととしての目は確かで、鋭くもユーモアがあり、心はあたたかかった。こういう名文家にしてジャーナリストという人物が久しく現れないのも、日本という国の衰退なのだろうか、くだらない番組を延々と垂れ流すテレビのスイッチを切って、まともな本を読もう。

「政治家と政治屋」(49.2.13) 「政治家は国民のフトコロのことを考え、政治屋は自分のフトコロのことしか考えない」といったら、われわれは「政治家」に恵まれた国民であるのか、どうか

「風圧」(49.3.24) インフレの本当の恐ろしさは経済問題ではない。それが人間を侵食し、誠実な人生をせせら笑うことになる

「狂気の時代」(49.10.23) 狂気の時代には、正気なことをいう者が狂気じみた人間にされる

「劇的英雄」(49.7.8) 舞台が小さくなれば踊りも小さくなる

「爆弾教本」(49.10.17) 硬派は「男気」で売り、軟派は「男前」でいく

「滅亡への道」(50.4.30) この男が、ヨーロッパ大陸を征服するまでの過程は戦慄に満ちたものだ。彼(ヒトラー)はだれよりも歴史を作ったが、また、歴史によって作られた人間でもあった。滅亡への道を歩んでいると考えるヨーロッパの恐怖心が、憎悪と復讐をかかげた「ヒトラー」という狂気を生み出したのかも知れない。


他にも「柳腰美人」「虚名虚業」「差別と区別」など、そのままそっくり掲載しても現代に通じるコラムもある。わずか800文字で完結される文章。話題も豊富、ネットだったらさしづめ究極のブログである。本書は各テーマ別に編集され、352回分が収められている。続編もあるのだが、新聞紙上で毎日掲載されたほぼ3日に一回分に該当するのだが、あとがきの森・論説委員顧問の言うように、すべてにおいて出来過ぎているのである。大学時代、深代を神のように崇めていた友の顔を思い出してしまったのだが、まるで自らの早世を予期したかのように凝縮されたエッセンスだけのような神がかり的な名文が並ぶ。「編集手帳」の名コラムリストとはレベルが違い過ぎるのだ。

「絶筆」では「斑鳩の白い道のうえに」という著書の感想から、理想的政治家としての聖徳太子の生涯の感想の後に、「権力に狂奔し、怨霊におののく古代人たち、いつかもう一度、法隆寺を訪ねてみたい」でおわっている。
深代の最後の希望は叶わなかった。もし彼が長生きをしていたら、現代をどのように喝破し、いかに論じ、いかに感じたのか。
本は一旦、図書館に返却したのだが、こんな優れた本が絶版になっているとは。本が売れないなら、このような名作を掘り起こせばよいのではないか。深代を忘却の彼方に失いつつあるのは、それこそ朝日新聞の怠慢であろう。それとも現役論説委員の方々は彼と比較されるのが怖いのだろうか、ついつい疑ってしまう。