千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

『息子のまなざし』

2005-10-15 18:02:39 | Movie
「死刑もやむをえなし」

連続リンチ殺人、元少年3被告に死刑 名古屋高裁判決 (産経新聞) - goo ニュース

11日間に渡り4人の若者を無軌道に、残虐でゲームのようなやり方で命をもてあそび奪った、元少年3人に昨日死刑が言い渡された。判決後、体中に無数の傷と痣ができ変わり果てた弟の姿を思い出し、遺族の方の流す涙をみると多くの市民は、そう思うだろう。私の中にもそう感じてしまう部分もある。数年前、同じ市民である大学生が夜自転車に乗っていたところ、少年たちに殺された事件があった。単純に言いがかりをつけられ、なんの罪もないのに暴行の果てに殺されたのである。奪われた所持金は、わずか5000円。

死刑制度と少年犯罪はわけて考えるべきだが、死刑制度廃止をうっかり口にすると世のお父さん族から、集中砲火をあびる。特に娘をもつ父の怒りはすさまじい。しかもきまっていうセリフが、「こどもを殺された立場にたっても、死刑制度反対といえるか。」司法の場には、感情と理性のバランスが重要だが、このような被害者の立場にたったら理性などかなぐりすてるであろう、わかっているからその問いには、反論できない。

「人は聖者にならずに最も憎い人間さえも受け入れることができるのか」
だからこそ今日は、ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ兄弟監督のこのテーマで制作された『息子のまなざし』を観る。

オリヴィエ(オリヴィエ・グルメ)は、職業訓練所で大工を少年たちに教えている。そこへフランシス(モルガン・マリンヌ)という17歳の少年がやってくる。彼の姿をひと目見た時から、オリヴィエは彼の姿を追うようになる。まだ少年らしい華奢な彼の後姿、彼の髪やすべすべとした腕、とうとう或る日は鍵を盗んで彼のアパートにまで侵入する。こうした異常な行動を観客は、別れた妻の登場によって、徐々にフランシスが実はオリヴィエの息子を殺した殺人者だったという事実を知らされていく。オリヴィエは、自分自身の行動を理解できない。それは理屈ではないのだ。ただフランシスという息子を殺した少年を観察したいのだ。そしてフランシスのベッドに横たわり、彼の視線で見える世界を知りたいのだ。
そんなこととは知らないフランシスは、行方不明の父親のかわりのようにオリヴィエに大きな存在を感じて、寄り添いたい感情をもちはじめるのだが、オリヴィエはそっと拒絶する。フランシスは淡々と作業をこなすうちに、着実に技術を身につけていく。そんな彼を、或る日フランシスは製材所に誘う。40キロ離れた目的地まで、オリヴィエの運転する車の助手席に乗ってでかけるのだが、執拗に少年院に入った理由を詰問していく。

まるでドキュメンタリーのようにカメラワークと物語がすすんでいく。額の後退した平凡な中年男性そのものの父親役のオリヴィエ・グルメは、カンヌ映画祭史上最小の台詞で最優秀男優賞を受賞した。音楽も感情も会話もすべての装飾を捨てて、ストイックに人間の罪と赦しを問う本作を、この俳優は肉体で語っているからだ。木片のくずが肩につもり、毎日つなぎの作業服を着て、弁当持参で訓練所に通う寡黙で職人気質のオリヴィエ。息子の死をきっかけに、仕事も妻も兄弟とも離れていったアイデンティティを失った孤独な中年男性は、やがてフランシスとの出会いをきっかけに揺らぐ感情をうまく演じている。

果たしてフランシスは、自分が犯した罪に対してどのように考えているのか、オリヴェエの視線に同化して観客も鋭くせまっていく。実は自らの罪の意識で不眠症を抱え慢性的に睡眠薬に依存していること、父親は行方不明、母親の愛人から疎んじられ行き場のない状況を理解していく。そして冷たく距離をおきたがるオリヴィエの態度にも失望したり悲しむこともなく、サッカーゲームに勝っても表情の全く変わらない彼が、一転恐怖のあまりに製材所で必死に逃げるまわる小さな姿に、感情をおさえて生きてきた少年の哀れさと悲しみを知るのである。

この映画を観るためには、受身ではなく自らのセンシティブな感覚が必要だ。そしてDVDの特典映像での、監督をした饒舌な兄弟によるインタビューでもわかるように、セリフも感情的な行動も極端に少ないこの映画が、細部に渡り人物の背景や撮影場所(ベルギーの工場地帯)、キャスティングまで徹底的につくりこまれた作品であることに気がつくには、それ相応の洞察力も求められる。愚直で寡黙な夫に息子を失った母としての苦しみを癒されずに離れていく妻の感情、そんな妻が新しい命が宿り再婚すると聞いた夫は、苦しめるためにフランシスの存在を教える男の愚かさ。驚き、激しくフランシスを憎み、彼に近づく夫の不可解さにおびえる妻の新しいこどもが授かっても決して救われない魂。

唐突におわる最後の場面に関しては、議論の余地があるかもしれない。オリヴィエは、フランシスを赦したわけではないのかもしれない。けれども、オリヴィエのところに戻るしかない彼の悄然とたたずむ姿を拒絶できず、そしてまた共同作業をはじめるフランシスを受け入れるオリヴィエ。受け入れることからはじまるのだ。

「たとえ死刑になっても、この苦しみ、悲しみは一生癒えぬ」
残された遺族の慟哭を思うと、ことばを失う。
けれども、もしかしたら加害者を赦すことによってしか被害者の魂は救済されないのではないか。映画を観た後、そう考える今日この頃でもある。


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4 コメント

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デッドマンウォーキング (ペトロニウス)
2005-10-15 23:10:27
見たことありますか?。この作品。死刑囚にコミュニケーションのケアをするシゴトをする女性とレイプ殺人の死刑囚との会話を追った作品です。



僕はたぶん、死刑制度賛成派です。まぁ意見というのは、より深く勉強してみないとなんともいえないので、現時点で、ではですが。ただ条件付きで、デッドマンウォーキングのような、コミュニケーションのケアのシステムが深く整っていることが前提です。



アメリカでは、死刑囚と、そのケアをするワーカー(専門の人やNGO)と被害者の家族が、死刑の日までずっと会話し続けるシステム整っています。そういった、様々なオプションなしに、死刑だけあればいいわけではないと思うのです。



罰には、社会的なカタルシス機能(古くは公開処刑などの感情の溜飲を下げさせる)が強くありますが、



やはり、その罰を与えることで、その罰を与える罪が出てきた構造的背景の社会を変革する触媒にならなければ、意味がありません。



女子高生をぼろ切れのように殺した少年たちの罪は、どうしようもないものだが、残されたものは、それを理解し、それが起きた背景を変えるきっかけにしなければ、「ただそれがあった」だけで終わってしまうではないですか・・・・。



犯罪者の被害にあった被害者が統計的に望むのは、まずは、復讐、そして、犯罪者自体が後悔や積みの念をもったかどうかの確認、そして最期にそれがきっかけに、そういう犯罪が起きないように社会自体が変わること、です。



こうした機能の一部としての死刑は必要ですが、ただの死刑ならば、それない方が良いです。



などなど、いろいろ考えました。・・・でも、僕は思うのです。僕の妻が殺されたら、多分僕は、殺し返すと思うんです。。。。近代法は復讐を認めませんが、、、、でも、そこで犯罪者を許してしまったら、妻への愛がウソになるようで・・・・だから、家族が犯罪に巻き込まれて欲しくないな・・・と切に願います。
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デッドマン・ウォーキング (樹衣子)
2005-10-16 23:08:58
死刑囚にコミュニケーションのケアをするシゴトをする女性→スーザン・サランドン、死刑囚→ショーン・ペン、スーザンの夫のティム・ロビンスが監督・脚本をした実話を基にした映画でしたね。最後の死刑囚が死の恐怖と悔恨におびえ涙を流して、紙おむつをはいて処刑される場面は、今でも覚えています。一番衝撃だったのは、薬物で処刑されていく死刑囚の様子をガラスの窓越しに、被害者の遺族や、死刑囚の家族に公開していることでした。



>犯罪者の被害にあった被害者が統計的に望むのは、まずは、復讐



公開しているのが、被害者がもっとも望む復讐のためなのでしょう。それを直接的にわかりやすく、しかも薬物という残虐でない方法でさらしているのが、米国のこの州でのやり方なのです。



>公開処刑などの感情の溜飲を下げさせる



遺族はこれをもって、犯人への憎悪の感情を少しは溜飲できるのでしょう、多分。それが犯罪抑止の解決とは、別の次元で。

オプションつきの死刑制度というのは、死刑囚自身の犯罪への悔恨、自分の犯した罪を悟ること、そして最後の魂の救済というものを含めなければ意味がないということですね。



死刑制度は難しい話です。私も女子高校生を残酷に殺害した犯人が、また大きな罪を犯したという報道に接するとこういったけだものは、生きる価値はないとも思えます。そしてご遺族の方の深い無念さや、苦しみ、悲しみを考えると、本当に死刑制度の是非を語ることばを失います。

もともとこのようなことを考え始めたきっかけは、大学時代、キムタクタイプなのにいつもGパンのポケットに文庫本をいれていた友人にすすめられて、永山則夫の「無知の涙」、それから加賀乙彦の著書を読むようになってからですね。ブログでも書きましたが、検察審査員を務めたときに検察官の方に死刑制度を尋ねたら、お二人とも死刑制度はあった方がよいと明確に答えてらっしゃいましたし、私が法律のバイブルとしている小林直樹さんも「法の人間学的考察」で死刑制度を支持しておりました。けれども、実際死刑制度を廃止したフランスでは、犯罪が減っているのが事実です。(詳細は、ヒロコさんにも薦めた「そして、死刑は廃止された」

http://www.manah.net/book/product.jsp?sku=B4878934530にのっています。)このたびの事件で死刑判決を言い渡された時、弁護士の方は「頭が真っ白になった」と記者会見をキャンセルされています。その状況は、理解できます。

理性的にシステムとしての死刑制度を考えたら、日本もそろそろ廃止する頃だと思うのです、、、が、難しいですね。なかなか歯切れが悪いです。ふむ。



ペトロニウスさまが、深~~く奥様を愛されていることは、ブログ愛読者の間では、周知の事実ですよっ!毎度ごちそうさまっす。



>妻への愛がウソになるようで

映画でも最愛の息子を殺された父が、犯人を赦したかどうかまでは、観るものにゆだねております。私は、最後の最後までは赦せないと思うのです。それを前提として息子を殺された父親が、11歳ではずみで罪を犯した孤独な少年を受け入れるという部分に、この映画の評価が高いのだと。もちろん最後まで名前も年齢も顔も不明だった息子への愛は、ホンモノ。



>だから、家族が犯罪に巻き込まれて欲しくないな・・・と切に願います

本当にそうですね。こういう事件報道を見ると、不安にもなりますよ。しかも年々凶悪犯罪が増えていて、幼いこどもが犠牲になる事件が多すぎます。犯罪がどうしたら減るのだろうか、もっと社会全体で考えるべきなのでしょう。
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重い問題を深く考えさせられる一本でした (たろ)
2006-08-29 20:55:19
初めまして。こんばんは。

弊ブログへのトラックバック、ありがとうございます。

こちらからもコメントとトラックバックのお返しを失礼いたします。



詳細に書かれた貴ブログの記事を興味深く読ませて頂きました。

非常に重い問題を主題とした本作品は、特に終盤の展開を中心として、観る人に深く考えさせる内容であり、DVD内 特典映像のジャン=ピエール氏とリュック氏のダルデンヌ兄弟、オリヴィエ・グルメさんのインタビューも含めて、大きな見応えを感じる映画でありました。



また遊びに来させて頂きます。

今後共、よろしくお願い致します。

ではまた。



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はじめまして・・・たろさまへ (樹衣子)
2006-08-29 23:31:13
朱雀さまのブログから、貴ブログにたどりつきご挨拶なしでTBさせていただき失礼しました。

それにも関わらず、TB&コメントもありがとうございます。



「カサノヴァ」のような娯楽作品も好きですが、この映画のように少年犯罪や罪と罰、その先の更正や被害者側の感情心理など、深く考えさせられる映画も観る価値大ですよね。大変地味な作品ですが。

貴殿のブログでは、『ロゼッタ』もお薦めだったので、近いうちに観ておきたいと思いました。

こちらこそ、今後とも宜しくお願いします。
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