千の天使がバスケットボールする

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「殺人者たちの午後」トニー・パーカー著

2010-01-05 23:05:46 | Book
あけました!おめでとうございます。
めでたいお屠蘇気分がさめない新年早々、最初に弊ブログでとりあげたのがこの「殺人者たちの午後」という辛気臭い暗~~~いタイトルの本である。タイトルから察せられるように、本書は優れたインタビューアー者として「テープレコーダーの魔術師」とも称された英国人作家のトニー・パーカーが、10人の殺人者たちにインタビューした短編ノンフィクションを沢木耕太郎が訳したものである。
殺人者と1対1で向き合い、人によっては何年もかけて彼は尋ね、彼らの心の底のうごめく闇とかすかな希望をすくいとっていったのが本書。

その日まで、どのように生きてきたのか。その日、なぜ、あなたは誰かを殺したのか。そして、その日から今、何を見つめ何を考えているのか。

最初に、著者による相手の殺人者の服装や年齢、簡単な印象な印象が紹介されているが、インタビューアーの質問や会話は、いっさい書かれていない。勿論、匿名性は保たれている。しかし、殺人者の一人称による静かな告白を聞いていると、まるで周囲が薄暗く狭く貧しい閉塞的な部屋に、自分自身がたったひとりで彼らと対峙しているような気分になってくる。インタビューする作家の資質がとても優れていることがわかる。やがて匿名性の告白が、自分たちの身近にいる”隣人”かもしれない殺人者のストーリーになっていく。俺、あたし、僕、、、彼らは自分の目の前にいる。

ある者は、自分の性的欲望を満たすために幼女や少年を襲い排水溝やゴミ捨て場に死体を遺棄し、ある者はすれ違った瞬間に路上で無差別殺人、またお小遣いをくれなかかったからという動機だけで発作的に祖父を鋏で刺したほがらかでくったくのない青年もいる。行為そのものだけをとりあげると、日本の新聞報道でも見られるような殺人事件の典型的なプロファイルのテキストに近い。しかし、本書では行為そのものは重要な要素ではあるが、殺人者の殺した相手への感情とその後のさまざまな「Life」に目的がある。日本には死刑制度があるが、いったい私たちは殺人者の刑が確定してからの彼らの人生や感情に関心をもったり想像したことがあるだろうか。人を殺してしまった時点で、犯罪者のパーソナリティや人生そのものを無意識のうちに否定しているのが、一般的な市民感情ではないだろうか。被害者の方や遺族の感情を優先しなければならないのだが、しかし、さまざまに語られる彼らのその後の「Life」の多様性と複雑さ、誤解を招く表現になるがその濃密さには驚かされる。たとえ殺人者とは言え、人の心の豊穣さに胸がゆさぶれるのである。そして告白そのものが、まるでとてもよくできたミステリーの短編集のようなのだ。何度も結末に衝撃を受けた、小説のように。

「Life after Life」
原題のLifeには、人生、生命だけでなく終身刑という意味もあるそうだが、卓抜なタイトルだと思う。むしろ原題の方が的をえている。
ところで、英国では殺人で有罪になっても死刑制度がなく、終身の禁固刑が宣告される。刑は受刑者が死ぬ日まで続行され、まさしく「命が尽きるまで」終わることないのである。ただし、厳しい条件のもと、保護監察官の監督を受けながら、社会の中で刑期を勤め上げることもある。このような条件つき釈放は、仮釈放委員会の長期にわたる審議を必要とし、何十年も仮釈放が認められないことも多いし、釈放されても多くの制約や条件があり、自由とはほど遠い。その点では、生涯見えない鎖につながれて牢獄にいるようなものだ。尚、犯行に及ぶまでの彼らの生活環境に、おきまりの貧困、暴力、両親の離婚による愛情不足が見られる点では日本と同じであるが、その成り立ちの底辺に英国の固定された階級社会をも感じさせられる。
沢木耕太郎氏の翻訳による本書の出版は、飛鳥新社の編集者の20年近いねばりにより実現した。編集者の慧眼に脱帽!