千の天使がバスケットボールする

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『アンナと過ごした4日間』

2010-01-24 22:40:13 | Movie
最初にアンナの部屋を訪問した深夜、男はロープからさがっている彼女の白衣のとれかかったボタンをつけ直した。
2日目、女の部屋の汚れていた床を磨き、寝息をたてて眠っている彼女の足の小さな爪にそっと深紅のマニュキュアを不器用にぬってやる。
翌日は、女の誕生日。真っ赤な薔薇を抱き、精一杯正装して男はやってきた。机の上の呑み残しのウォッカで陽気に乾杯。懐にはリストラされて渡されたわずかな退職金で買ったダイヤモンドの指輪。そして、4日めは。。。

ポーランドの地方都市に暮らす中年のレオン・オクラサ(アルトゥル・ステレンコ)は、病院で雑役をしながら病弱な祖母のめんどうをみる独身。友人もいない孤独な男の心にある名前は、たったひとり”アンナ”という女性だけだった。夜、自室の小さな窓から向かいの看護師用の宿舎に住むアンナを双眼鏡でのぞくレオン。静かにじっと煙草を吸いながら、彼女の様子を眺めることだけが楽しみな日々。しかし、祖母が亡くなると、思いは狂おしいほどにつのり、深夜に彼女の部屋に侵入するようになった。(以下、内容にふれておりまする。)

私は、不覚にもイエジー・スコリモフスキという監督を知らなかった。ところが、映画館においてあった教会が見える街を歩くひとりの男のワンシーンの、まるでフランドル派の絵画のような映像美につかまってしまった。言葉にこだわり気の利いた一言が大好きな私に、殆ど省略されたセリフ、絵画のような映像美と不安をかきたえるような音楽と効果的な音ですべてを完結させた監督に、映画における芸術を目を開くように教えられた。何よりも芸術性に優れているのが本作の特徴だ。こんな映画もあるのだ。

この映画のテーマーはパンフレットにあるように「愛、愛、愛、すべては愛ゆえに。」の究極の片想いかもしれない。しかし、その愛が深ければ深いほど、ひとりの中年の男の孤独の闇が私には胸にせまってくる。アンナと運命的な出会いになる事件を目撃して通報しながらも、冤罪をはらすことができない不器用さで、この男に誰ひとり関心をもたないことが説明される。長年看護にくれた祖母を亡くした葬儀の夜、祖母の持ちものをすべて燃やし尽くして泣く姿は、たったひとりの肉親を失った悲しみなのか、それとも解放感からなのか。病院で人の嫌がる仕事をする彼は、社会的には最下層に属する人間でその存在はあまりにも軽い。愛情の反対は無関心、と言ったのはマザー・テレサだった。いや、この映画を語るにはむしろ言葉はいらないだろう。高倉健さんのような寡黙な男には、言葉は記号に過ぎない。

事故だろうか、男の左手を焼却炉に投げ入れたその同じ汚い労働者の指でダイヤモンドの指輪を選び、祖母の死から次第に薄汚れていく服そう、川を流れてくる不吉な牛の屍体、ベッドの下にひそむ男の目の前でそれとは気がつかずストッキングをはく肉感的な足、部屋にかかっている使い古したタオル、女性裁判官による裁判と男性裁判官による裁判。映像が、これほど豊穣で能弁だったとは。物語は時系列で進行しない。ひとつひとつの映像が、煙草の火がはぜる音、サイレンの音、鳩時計の音、床をきしませる足音が、少しずつアンナと過ごした4日間の物語に集約されていく。その点で、受身で3D映画のように体感する映画とは違う。94分間、一瞬のゆるみも無駄もなく、最後にアンナのとった行為まで完璧に構成されている。それゆえに、久々に集中力を要する映画だった。めくるめくような官能を味わうよりも、いっそプラトニックな愛情を犯罪とよぶにはあまりにも痛々しい。ストーカー、変態、そんな単語も踊るのもこの映画。しかし、女子的には映画『恋する惑星』のフェイの行動の可愛らしさに共感もしてきた。最後にアンナのとった行為は正しい。そして、それでもレオンの恋は成就できたと。
ところで、 あまりにも美しかったこの映像は、今では我が家のパソコンの壁紙におさまっている。

監督/脚本/製作:イエジー・スコリモフスキー
2008年/フランス・ポーランド


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