昨年秋に自宅で観た映画であるが、当時1週間ほど夜雨が降ると映像が脳裏に浮かびあがり、ハリウッド映画にはない韓国産ミステリー映画の力を実感した。
1986年から91年にかけて、韓国ソウル郊外の台安村で10件に及ぶ連続強姦殺人事件で、30万人の警官が3千人の容疑者を取り調べながらもいまだに未解決である実際にあった「華城連続殺人事件」をモチーフに、1969年生まれのポン・ジュノ監督が製作した。年末「週刊文春」誌上で、ミステリー映画ベスト10にランクインした実績もある上質の映画ともいえる。
1986年、韓国の美しい秋の田園地帯の一角、用水路の側溝に若い女性死体が発見される。遺体の、下着姿でガードルを頭部に被せられ縛られた猟奇的な姿に、のどかな田舎刑事たちは驚きながらも、まだ気持ちには余裕がある。パク・トゥマン(ソン・ガンホ)や「俺は人を見る目がある」と非科学的な査課長(ピョン・ヒボン)には、前世紀的な手法とはいえ、犯人検挙の過去の実績がある。やがて、第2の犠牲者が出る頃になると、ようやく犯人と”レッテルをはれる”知的障害者である焼肉屋の息子ペク・クァンホ(パク・ノシク)を容疑者に捉えて、相棒の刑事チョ・ヨングとともにパク刑事は旧式の尋問をはじめる。
そこへ、ソウルから派遣されてやってきたのが大卒のエリート、ソ・テユン(キム・サンギョン)刑事。かっては日本にもあった強制に近い自白による犯人逮捕という手段でつきすすむパクたちと、証拠や事件時の背景から推理をくみたてていくソ刑事は激しく対立していく。しかし捜査が一向にすすまぬうち次々と殺人事件がおこるようになり、犯人への憎しみや被害者への気持ちからふたりは協力しあい、あるひとりの男に焦点がしぼられていくのだが。
前半は、のどかでユーモラスな笑いもふりまきながら、次々と発生する猟奇的な事件。容疑者の衝撃的な行動、刑事の悲劇などが、当時の郷愁をそそる美しい田園地帯や軍部独裁による学生のデモ、機動隊による弾圧や夜間灯火管制の暗い世相との対比のなかに、観客もリアルな映像とともに恐怖と犯人への憎悪が深い闇に追い詰められていく登場人物たちに感情が重なっていくところに、ポン監督の力量がある。新聞の批評でこの映画のあらすじを知った時、私は残された遺族の映画化への感情を考えたが批判はなかったという、単なるミステリーをこえた社会映画としての成果を納得する。連続殺人は「個人対個人」でなく、「個人対社会」、未解決ということは個人に社会が負けたという監督のことばに、この映画製作への誠意と高い意識がうかがえる。
ソウルオリンピックが開催され、高度成長へ向かう韓国の分岐点である時代に映画のタイトル”追憶”がさえてくる。封印されたかのような時代と汚点も、振り返ればつい昨日のことのようではないか。
ちょっと素適な監督のインタビュー
ラストシーンに関しては、賛否両論ありそうだ。
映画を観て、時をへて、この映画を振り返ってみると最初は不如意に思えたラストシーン、今では真相が謎に包まれた静かな結末に、名優ソン・ガンホのアップの表情、落ち着きなくさまよう視線が、ずしりと後から衝撃をもたらしてくる。
暗いトンネルへ消えた容疑者。その後、犯人はいまでもあなたのすぐ隣で静かな市民生活を送っているかもしれないというリアル感、これこそが最大の恐怖なのだから。
韓国のイケ面俳優も登場。刑事役の肉体派と、容疑者の知性派のどちらかに好みが別れるが二人とも実にいい味をだしている。顔よりもカラダ派としては、キム・サンギョにいきたいが監督が脚本執筆中の時からイメージキャストとして構想していた容疑者役パク・ヘイルの存在感と佇まいに目が離せなかった。番外でおじさん俳優ソン・ガンホ好きもありかも。
18歳未満にはお薦めできないが、裏道の奥にある本格韓国料理を食べたい方は、是非一度来店してみよう。但し、ひとり住まいの女性はおひとりさまはやめるように。。。
1986年から91年にかけて、韓国ソウル郊外の台安村で10件に及ぶ連続強姦殺人事件で、30万人の警官が3千人の容疑者を取り調べながらもいまだに未解決である実際にあった「華城連続殺人事件」をモチーフに、1969年生まれのポン・ジュノ監督が製作した。年末「週刊文春」誌上で、ミステリー映画ベスト10にランクインした実績もある上質の映画ともいえる。
1986年、韓国の美しい秋の田園地帯の一角、用水路の側溝に若い女性死体が発見される。遺体の、下着姿でガードルを頭部に被せられ縛られた猟奇的な姿に、のどかな田舎刑事たちは驚きながらも、まだ気持ちには余裕がある。パク・トゥマン(ソン・ガンホ)や「俺は人を見る目がある」と非科学的な査課長(ピョン・ヒボン)には、前世紀的な手法とはいえ、犯人検挙の過去の実績がある。やがて、第2の犠牲者が出る頃になると、ようやく犯人と”レッテルをはれる”知的障害者である焼肉屋の息子ペク・クァンホ(パク・ノシク)を容疑者に捉えて、相棒の刑事チョ・ヨングとともにパク刑事は旧式の尋問をはじめる。
そこへ、ソウルから派遣されてやってきたのが大卒のエリート、ソ・テユン(キム・サンギョン)刑事。かっては日本にもあった強制に近い自白による犯人逮捕という手段でつきすすむパクたちと、証拠や事件時の背景から推理をくみたてていくソ刑事は激しく対立していく。しかし捜査が一向にすすまぬうち次々と殺人事件がおこるようになり、犯人への憎しみや被害者への気持ちからふたりは協力しあい、あるひとりの男に焦点がしぼられていくのだが。
前半は、のどかでユーモラスな笑いもふりまきながら、次々と発生する猟奇的な事件。容疑者の衝撃的な行動、刑事の悲劇などが、当時の郷愁をそそる美しい田園地帯や軍部独裁による学生のデモ、機動隊による弾圧や夜間灯火管制の暗い世相との対比のなかに、観客もリアルな映像とともに恐怖と犯人への憎悪が深い闇に追い詰められていく登場人物たちに感情が重なっていくところに、ポン監督の力量がある。新聞の批評でこの映画のあらすじを知った時、私は残された遺族の映画化への感情を考えたが批判はなかったという、単なるミステリーをこえた社会映画としての成果を納得する。連続殺人は「個人対個人」でなく、「個人対社会」、未解決ということは個人に社会が負けたという監督のことばに、この映画製作への誠意と高い意識がうかがえる。
ソウルオリンピックが開催され、高度成長へ向かう韓国の分岐点である時代に映画のタイトル”追憶”がさえてくる。封印されたかのような時代と汚点も、振り返ればつい昨日のことのようではないか。
ちょっと素適な監督のインタビュー
ラストシーンに関しては、賛否両論ありそうだ。
映画を観て、時をへて、この映画を振り返ってみると最初は不如意に思えたラストシーン、今では真相が謎に包まれた静かな結末に、名優ソン・ガンホのアップの表情、落ち着きなくさまよう視線が、ずしりと後から衝撃をもたらしてくる。
暗いトンネルへ消えた容疑者。その後、犯人はいまでもあなたのすぐ隣で静かな市民生活を送っているかもしれないというリアル感、これこそが最大の恐怖なのだから。
韓国のイケ面俳優も登場。刑事役の肉体派と、容疑者の知性派のどちらかに好みが別れるが二人とも実にいい味をだしている。顔よりもカラダ派としては、キム・サンギョにいきたいが監督が脚本執筆中の時からイメージキャストとして構想していた容疑者役パク・ヘイルの存在感と佇まいに目が離せなかった。番外でおじさん俳優ソン・ガンホ好きもありかも。
18歳未満にはお薦めできないが、裏道の奥にある本格韓国料理を食べたい方は、是非一度来店してみよう。但し、ひとり住まいの女性はおひとりさまはやめるように。。。
この作品で描かれたような連続殺人事件は、世界のどこでも起こりうるものですね。
実際、日本でも同じような事件がありましたから。
その意味で、この作品は韓国映画が初めて「半島を飛び越えた」傑作だと、私は思います。
ラストのソン・ガンホの表情がすべてを語っていましたね。
それから実際に日本で同じような事件があったとき、ちょうどビデオを観てその余韻が消えない時だったので心底ぞっとしました。近頃、韓国映画の水準は高いです。それについてはいろいろな理由があるでしょうが、ソン・ガンホのような名優の果たす役割も大きいですね。
ご訪問ありがとうございました。
>犯人が捕まってないのが不気味です。
そうです・・・。次々に猟奇的な犯罪を犯した犯人は、今でも生きているかもしれない。
当時大量の捜査官と警察官を投入して調査したにもかかわらず、まんまと逃げたわけですね。
映画では米国に送ったというDNA鑑定は、実際は日本で鑑定されたそうです。
ちょっとこの辺にも、日本に対するライバル意識のような感情があるのかな、とうがった見方をしています。