千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

『ペパーミント・キャンディー』

2008-06-07 17:31:36 | Movie
暗闇の中にごくごく小さなわずかな光が見える。やがてわずかだった光の広がりが加速して、それがトンネルを抜ける出口だったと気が付く頃、列車は郊外の美しい風景をかけぬけていく。鉄橋の下に、ひとりの中年に近い男性が、寝ながら空を眺めていた。
1999年ピクニック。ある工場の労働組合員だった男女が、久しぶりに同窓会を主催していたのだった。中年の男女たちが踊ったり歌ったりと、その宴が佳境に入る頃、長年消息不明だったヨンホ(ソル・ギョング)がふらりとやってきた。ピクニックに不適当な端正なスーツに身を包んだ彼は、シャツの裾がだらしなくズボンからはみでていて、憔悴していて表情もうつろである。そんな彼を気遣いながらも、なんとなく迷惑げなかっての友人たち。
やがて気が付くと、彼は高架になった陸橋の線路の上をふらふらと歩いていた。そこへ列車が警笛を鳴らしながら迫ってくる。
「帰りたい、帰してくれ!そして俺の人生を返してくれ!」

衝撃的な男の絶叫と自殺が、物語のはじめである。
何故、彼はこのようなかたちで死を選んだのだろうか。帰りたいのは、どこなのだろうか。

40歳のキム・ヨンホの人生を、「3日前 1999年春」「1994年夏人生は美しい 」「 1987年春告白」「1984年秋 祈り」「1980年5月 面会」「1979年秋 ピクニック」とさながら人生を凝縮した短編集のように過去に時間を戻りながら、20歳の時の彼にたどりつくという斬新な手法の意図が、物語にこめられた意味に驚くほどかなっている。監督と脚本も書いたイ・チャンドンの才能にすっかり魅了された。名もない花の写真を撮ることを夢みるようなひとりの平凡なもの静かな青年が、やがて、初恋の女性のささやかな夢、体制を変革したい学生の夢、世の中を改革したい労働者の夢、そして妻に対しても、夢見る人々に対して、ある時は静かに、ある時は寂しげに、そして狂気にも満ちたかのように残酷にふるまう姿を容赦なく描いている。人間の優しさと脆さが、残酷さにかわりうること、罪への意識が他人を傷つけることで自分をもっと傷つけ追い詰めるようにすること、単なる自暴自棄とは違う水底に漂うひとりの男の哀しみを描いている。彼は、自ら希望の種を捨て、種を刈り、人を捨て、自分を捨てる人生を選んだ。そんな彼の弱さ、自己への深い嫌悪感が罪だったのだろうか。人は自分の人生を個人の力だけで生きられるわけではない。いつの時代も歴史と政治と体制から逃れることはできない。

韓国のイースト・フィルムプロダクションと日本のNHKによる初の共同の文化事業という記念作品にふさわしい価値のある優れた作品だが、よくここまで描いたと日本人の私が感じるくらい、この映画には韓国の恥部が主人公の自己喪失と堕落が重なっている。学生活動家や労働組合員に対する警察権力による残酷な拷問。ここで監督は、被疑者の学生の水責めにされている裸体の映像や、ヨンホが拷問のやり過ぎで手についてしまった汚物を執拗に洗う滑稽な姿に、韓国人の受けた深い傷を哀れむかのように思える。1980年5月、光州事件の時、当時25歳だった監督は絶望し、この絶望感が人生を支配するという予感を証明したかのような作品だが、韓国での50万人の観客動員数を考えると、この事件で負った韓国の人々の心の痛みに同情を禁じえない。
監督に言わせると「砂漠のような外見に、豊かな水を内面にたたえている」男、ソル・ギョングが40歳から20歳まで、その時々のひとりの男性を演じきった演技力は、その後の活躍ぶりを待たなくともよくわかる。すごい俳優だと思う。

短編集をつなげる列車の映像が、ノスタルジックな淡い抒情を誘いながら、その線路が描くスロープに行方が見えない危うさも感じる。長年ずっと観たかったこの映画のビデオを駅前の本屋のレンタルショップで発見。最後の構成と、ヨンホの最後の語りと表情。深い慟哭とともに思い出したのが、ある1冊の本だった。

■こんなアーカイブ
「友情」西部邁著


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