千の天使がバスケットボールする

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『いのちの食べかた(OUR DAILY BREAD)』

2009-05-06 17:24:14 | Movie
先日、聞いた話なのだが、彼女の友人がイギリス人と結婚した。結婚した時はシティのビジネスマンだったのに、その後新郎は脱サラをして郊外の自宅に戻りヴァイオリン製作職人になってしまった。ある日のこと。食材がないとつぶやいた新妻の話を聞いたダーリンは、よし!とばかりに鉄砲をかついで庭に飛び出て見事にキジを射止めた。まな板の上にデンとのせられた血を流して絶命したキジに、新妻は失神したそうだ。

私はこの話をけっこう気に入っている。もっとも人ゴトだから笑い飛ばしたのだが、もし自分だったら失神しないまでも頭や手足を落とすことは、、、できそうにもない。(魚は大丈夫。その魚も怖くて切り身でないと料理できない人もいるそうだが。)けれども、菜食主義者でなければ、鶏肉を食べない人はあまりいないだろう。焼鳥片手に焼酎!はサラリーマンのおなじみの光景。私たち日本人が、1年間に食べる牛・豚・鳥の肉は約300万トン。けれども、それら食材を買うのは、スーパーやデパート、肉屋の店頭で清潔にきれいにパックされた切り身である。これらの素材は、どこからやってきたのか。食卓に上るステーキの元の原型の牛クンは、どうやって飼育されて、どうやって殺されて、どうやって解体されて、私たちの口に運ばれる運命にあるのか。

「いのちの食べ方」は、食材が安価になったことに疑問を感じたオーストリア出身のドキュメンタリー映像作家のニコラス・ゲイハルター監督が、2年間かけて食品生産工場で撮りつづけた作品である。音楽どころか、ナレーション、インタビューのたぐいはいじわるなくらいに見事にいっさいなし。鮮明で美しい色彩、完成された比率の構図。もっとも日常的の食材を扱いながらその現場はグロテスクで非現実的で、その対比をクールに撮った監督には、映像作家としての才能が感じられる。
次々に映し出される映像にある程度の覚悟?をしていたとはいえ、衝撃を受ける。生物系の研究室のような無機質な工場の棚の中にびっしり飼われている可愛いひよこたちがカゴに移され、そしてベルトコンベアーにのって大量に移動する。生きているひよこがベルトコンベアーに!、というだけでも驚きなのだが、どうやら彼ら彼女たちは予防接種を受けているようだ。ぴよぴよと小さなさえずる声と、機械が稼動しているかすかな音だけでしか工場の中には聞こえない。やがて成長してりっぱになった鶏は、またまた大きな機械で吸引されて”収穫”されて、実に効率よくベルトコンベアーにぶらさがりながら頭と脚を切られていく。次々に登場する魚、豚、牛たち。動物愛護者の方だったら怒りそうなショッキングな映像が続き、物語性もプロバガンダもメッセージ性もいっさいない。感情もなく、ただ食の生産現場の現実だけが短いシーンで羅列されていく。12歳未満のお子ちゃまは保護者の許可があれば観ることができるのだが、気弱な私のようなおとなでも思わず目をそむけてしまう場面もある。食欲がなくなること間違いなし。
これらの短い映像のつながりから感じるのは、次の3点に集約するだろうか。

①とにかく大量生産
②移民などの安価な労働力
③薬剤を使用した動物や植物を育てることの安定性と安全性

この3点をじっくり考えると、近未来への嫌な不安が残る。人類の歴史は殆ど飢えとの戦いだった。それが今、TOKIOは、世界に冠たる美食の街。賞味期限のきれた弁当や捨てた残飯は、年間11兆1000億円。けれども、世界では8億人の人が栄養失調状態であり、いまだに餓死する人が毎年900万人にものぼるという。原題の「OUR DAILY BREAD」は、「我ら日々の糧」という聖書の言葉である。たべること、そんなごくごく日常のことを考えさせられる映画である。

ところで、猟銃で撃たれたキジは、義理のお母様の見事な手さばきで羽を毟られ、こんがりと焼かれて無事に夕餉の食卓に登場した。一羽、一頭、一匹の解体作業は、その存在の重さに頭を垂れるが、次々とベルトコンベアーで片足を吊り下げられて運ばれるたくさんの豚の姿や口をあけてさばかれる魚には、ちょっとユーモラスさえ感じてしまった。そんな私は、不謹慎だ。。。
さて!今夜も、おいしくいただきます。

監督:ニコラウス・ゲイハルター監督
2005年ドイツ・オーストリア映画