この世を去っても、いつまでも人々の心をつかんで離さない最高の、そして最後の歌姫(ディーヴァ)。オペラを聴かなくても、たとえ音楽には無縁の生活を送っていても、誰もがその名を耳にしたことがあるマリア・カラス。
これまでもカラスの友人でもありオペラを演出してきたフランコ・ゼフィレッリ監督による『永遠のマリア・カラス』、ショルジュ・カピターン監督の『マリア・カラス 最後の恋』と数年の間に2本の映画が製作されてきたが、本作はマリア・カラス没後30年目の2007年9月16日に、ミラノ・スカラ座、パリ・オペラ座で上映されたドキュメンタリー映画である。
ドキュメンタリー映画の作り方として、製作サイドにとって”絵になる”都合のよい写真や映像を順番に貼り付けて、もっともらしいナレーションをそこにかぶせる方法もある。しかも映画のタイトルは、マリア・カラスの”真実”。もしかして、故人にまつわる暴露話めいた展開も。いやいや、余計な心配は全くの杞憂だった。稀代の歌姫の最後の恋をスキャンダラスに描くわけでもなく、勿論お相手の海運王アナシスを誹謗するような印象も与えず、そして最後の孤独な死をことさら悲劇的にドラマティックに盛り上げることもなかった。けれども、歌手としての栄光と凋落、ひとりの女性としての不幸は、装うこともなく”真実”をさらけた。マリア・カラスという女性がギリシャ移民の子としてニューヨークに生まれた時、男児を望んだ母の失望のために幼少より孤独であり、後に懸命に歌のレッスンに励み独特な声と卓抜した技術でベルカント・オペラのディーヴァとして、オペラ界の女王のように君臨するまでが前半、後半はまさに「トスカ」の名曲でありカラスの十八番ともいえる「歌に生き、恋に生き」をオペラの中の主役だけでなく自分の人生でも貫いた生涯を描いた。ここにいるのは、個性的な美貌とそれを強調するメイク、16ヶ月もの間に35キロも体重を落としたモデルのような肉体に流行の先端のファッションと高価な宝石で装った、確かに聴衆に愛された最高の歌姫である。しかし、その素顔は、いくつかの恋愛の果てにたどり着いた最後の恋、最愛の男との結婚を願いながらも失った、もろくて繊細なひとりのごく当たり前の女性の姿である。
強さの裏にのぞく脆さ。喝采と栄光の後に贈られる、人々の失望によるあからさまな非難。愛される立場の自由から、愛を追う人の苦しみ。慎みと抑制のきいた事実を語るナレーションに、それとはあまりにも対照的なカラスのドラマチックで豊かな歌声が重なる。映画は、カラスの53年の短かった生涯の足跡をたどりながら、カラスの声の偉大な曳航も堪能できる。この声に一度とらわれたら、誰もがもはやとりこになってしまうだろう。またルキノ・ヴィスコンティ、グレース・ケリー、チャーチル首相などの貴重なアーカイヴ映像も豊富。声だけでなく生き方もベルカント唱法をまっとうしたカラスの生涯は、現代のギリシャ悲劇さながらである。妻子あるオナシスとの恋愛でスキャンダラスと世間からずっと非難されていたカラスだったが、ようやくオナシスが離婚した時に、いよいよ彼と結婚されるのですかというインタビューに晴れやかに応えた笑顔が忘れられない。どんなに着飾った舞台衣装を着た時よりも、おだやかで満ち足りた表情には女性としての幸福感があふれていたのに。
フィリップ・コーリー監督
2007年フランス製作
■アーカイヴ
・『マリア・カラス 最後の恋』
これまでもカラスの友人でもありオペラを演出してきたフランコ・ゼフィレッリ監督による『永遠のマリア・カラス』、ショルジュ・カピターン監督の『マリア・カラス 最後の恋』と数年の間に2本の映画が製作されてきたが、本作はマリア・カラス没後30年目の2007年9月16日に、ミラノ・スカラ座、パリ・オペラ座で上映されたドキュメンタリー映画である。
ドキュメンタリー映画の作り方として、製作サイドにとって”絵になる”都合のよい写真や映像を順番に貼り付けて、もっともらしいナレーションをそこにかぶせる方法もある。しかも映画のタイトルは、マリア・カラスの”真実”。もしかして、故人にまつわる暴露話めいた展開も。いやいや、余計な心配は全くの杞憂だった。稀代の歌姫の最後の恋をスキャンダラスに描くわけでもなく、勿論お相手の海運王アナシスを誹謗するような印象も与えず、そして最後の孤独な死をことさら悲劇的にドラマティックに盛り上げることもなかった。けれども、歌手としての栄光と凋落、ひとりの女性としての不幸は、装うこともなく”真実”をさらけた。マリア・カラスという女性がギリシャ移民の子としてニューヨークに生まれた時、男児を望んだ母の失望のために幼少より孤独であり、後に懸命に歌のレッスンに励み独特な声と卓抜した技術でベルカント・オペラのディーヴァとして、オペラ界の女王のように君臨するまでが前半、後半はまさに「トスカ」の名曲でありカラスの十八番ともいえる「歌に生き、恋に生き」をオペラの中の主役だけでなく自分の人生でも貫いた生涯を描いた。ここにいるのは、個性的な美貌とそれを強調するメイク、16ヶ月もの間に35キロも体重を落としたモデルのような肉体に流行の先端のファッションと高価な宝石で装った、確かに聴衆に愛された最高の歌姫である。しかし、その素顔は、いくつかの恋愛の果てにたどり着いた最後の恋、最愛の男との結婚を願いながらも失った、もろくて繊細なひとりのごく当たり前の女性の姿である。
強さの裏にのぞく脆さ。喝采と栄光の後に贈られる、人々の失望によるあからさまな非難。愛される立場の自由から、愛を追う人の苦しみ。慎みと抑制のきいた事実を語るナレーションに、それとはあまりにも対照的なカラスのドラマチックで豊かな歌声が重なる。映画は、カラスの53年の短かった生涯の足跡をたどりながら、カラスの声の偉大な曳航も堪能できる。この声に一度とらわれたら、誰もがもはやとりこになってしまうだろう。またルキノ・ヴィスコンティ、グレース・ケリー、チャーチル首相などの貴重なアーカイヴ映像も豊富。声だけでなく生き方もベルカント唱法をまっとうしたカラスの生涯は、現代のギリシャ悲劇さながらである。妻子あるオナシスとの恋愛でスキャンダラスと世間からずっと非難されていたカラスだったが、ようやくオナシスが離婚した時に、いよいよ彼と結婚されるのですかというインタビューに晴れやかに応えた笑顔が忘れられない。どんなに着飾った舞台衣装を着た時よりも、おだやかで満ち足りた表情には女性としての幸福感があふれていたのに。
フィリップ・コーリー監督
2007年フランス製作
■アーカイヴ
・『マリア・カラス 最後の恋』
えっっ!?そうでしょうか。ミラノの女王は多くの恋をしても、生涯本気で愛した男はオナシスだけだったと私は思っていたのですが。
>オナシスは父親
やっぱりそうですよね。オナシスとジャッキーの関係は、おっしゃるように大企業が経営統合するようなビジネスパートナーとしてお互いに必要だったのでしょうね。だからアメリカ人が失望した気持ちもわかります。
>金のなる木としかオナシスを見ていませんでした。挙げ句の果てについにはオナシスには身を任せたことはなかった一度もなかったとささやかれています
この「ささやかれています」という表現に爆笑させられました。なんとなく・・・の一般人の下世話の想像を暴露していますね。でも、さしもの海運王も御年だったという見方もできませんか。若い時のオナシスの写真を今回映画で見たのですが、なかなか素敵なギリシャ青年でした。それにオナシスは、最後まで海の男でした。背の低さも気にならないくらい、実物は男の魅力があったのではないかと想像します。だから「なぜオナシスのような男に?」という男性側の疑問も、女性にとっては理解できるかもしれませんよ。^^
>その理由がファーザーズコンプレックスではなかったのかと
母親だけでなく、父親からも愛情がうすかったカラスが、浮気症のオナシスに執着した理由ですね。
>ジャッキーの件は市井の噂にしか過ぎませんが、彼女ならやりかねないと思っています。
この「彼女ならやりかねない」という表現に、またまた笑わせていただきました。
所詮、高貴な人間も弱く脆い部分をもっているのでしょうね。米国民から非難もされた結婚ですが、ケネディ家の人間としては必要な手段だったのかもしれません。凡人とは違い、身分の高い人々に政略結婚が成立するのは古今東西変わりませんね。