千の天使がバスケットボールする

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『サルトルとボーヴォワール』

2011-12-22 22:37:45 | Movie
「 女は女として生まれるのではなく、女になるのだ」

現代のフランスの夫婦の3組に1組は事実婚だという。出産後も女性の8割以上は働き続け、共同名義の銀行口座をもち生活費も割り勘。なかなかシビアだが、女性は経済的に自立している、というか自立せざるをえない。しかし、そんなフランスでもつい最近まで、女が働くのは貧しく卑しいクラスだけ、良家の娘はそれなりの年齢になったらそれなりの家にお嫁に行く以外の道はなかった。1908年に生まれた哲学者シモーヌ・ド・ボーヴォワールが生きた時代だ。

素晴らしい成績をもって帰ってきた娘に不機嫌な父親。家庭でもきちんとした服装と威厳ある態度を崩さない夫と、おとなしく家事をこなし夫に従う妻。それなりの資産階級では、夫婦の考え方は典型的なプチ・ブルジョワ家庭のそれだったのだろうが、そんな両親を見つめる娘は賢すぎたのだった。そして奇跡的にも美しさも併せ持っていた。そんな彼女は、ソルボンヌ大学に進学して初めて自分よりも頭がきれる男に出会ってしまった。身長も低く、魅力的ともいえない容貌にも関わらず、その男ジャン=ポール・サルトル(ロラン・ドイチェ)の知性と強引な求愛は、充分過ぎるくらいに彼女ボーヴォワール(アナ・ムグラリス)をひきつけた。そしてふたりの契約結婚がはじまったのだが。。。

サブタイトルに”哲学と愛”というフランス人が大好きでお得意なキーワードが並ぶが、そんな難しい哲学的な愛でもなければ映画でもない。20世紀を代表する哲学者、60年代の若者を熱狂させたというサルトルは哲学界のスーパースター。さしずめ、ハードロックを歌うカリスマ的なスーパースターか、はたまたサッカー界の大スター選手を夫にもった妻や恋人のドラマチックな苦悩の人生を描いた映画のようなもの。

「君との恋は必然的なものだが、人間は偶然的な恋愛も体験しなければならない」

優れた頭脳が、恋人と契約結婚を提案する時の浮気もします宣言の言い訳である。次から次へと恋人をつくりながら、実存主義の実践を標榜するためにも抱き合わせ販売のボーヴォワールを決して手離さないサルトルだが、サルトル役のロラン・ドイチェは童顔で、モデルで長身のアナ・ムグラリスの美貌の前では、こどもっぽいわがままで自分勝手、自己中心的な男に見えてしまう。もっともサルトルは、あくまでも”添え物”で本作の主役はミューズとなったボーヴォワールにある。彼女も自分のお気に入りの教え子をサルトルに斡旋するなど、現代だったらスキャンダルで致命傷になるようなこともしていたようだ。そして初めて女として快楽を教えてくれたのが、米国人作家のネルソン・オルグレン。アメリカ人らしく知性よりも肉体の方が大事だろ!とばかりに自信満々に果敢に攻めていく。それでも、サルトルの演説会で会場にやってきたボーヴォワールのために聴衆が次々と椅子を回す場面で、彼女の功績と威厳がうまく表現されている。

「一生結婚しないわ。誰の召使いにもならないの」
と言い切った彼女の生き方は、サルトルに比べて覚悟が違う。しかし、夫の召使いだった母は、未亡人になって初めて本当の自分の人生を楽しむようになるのだが、それでも夫を愛していたと言う。たとえ召使い扱いでも、夫の庇護のもと守られている妻としての地位は、自由恋愛の契約結婚よりも確かな”絆”なのかもしれない。もっとも現代の日本の妻たちは、家計を握り、夫の財布も管理し、自由な時間を上手に謳歌しているではないか。本当の召使いは”ご主人様”ではなかろうか。

本作は元々フランスのテレビ局で放映されたドラマだそうが、18禁にふさわしい?ベットシーンがあり、シャネルのミューズはここでも素敵な裸体を披露している。さすがに、こんな内容のドラマが放映されるなんてフランスだ。


原題:Les Amants du Flore 「フロールの恋人たち」
監督:イラン・デュラン=コーエン
2006年フランス製作

■アーカイヴ
『シャネル&ストラヴィンスキー』


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