千の天使がバスケットボールする

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『君の涙 ドナウに流れ ハンガリー1956』

2008-09-02 22:37:53 | Movie
ハンガリーで、観客動員数の最高記録をうちたてた映画がある。2006年「革命50周年」を祝して、ハンガリー政府が民主化運動をテーマにした映画製作に補助金を提供したことがきっかけだが、ハンガリアンだったら誰もが知っている「メルボルン流血戦」を組み入れた「君の涙 ドナウに流れ ハンガリー1956」である。

水球の花形選手であるカルチ(イヴァーン・フェニェー)は、国家の期待と名誉を担う特権階級のスポーツ・エリートである。彼は、自分の知名度に加え、たくましい肉体、精悍で整った顔立ちが、すべての女性の歓心をひきつけるのをよく知っている。しかし、そんな彼が興味をもった相手は、皮肉にもMEFESZ(ハンガリー独立学生連盟)の筋金入りの闘士、ヴィキ(カタ・ドボー)だった。強い意志がひときわめだつ美貌に冴え冴えとした輝きを与えたようなヴィキに、いつものように水球選手としての”顔”で声をかけるカルチだったが、オリンピックをめざすために政治に関わりたくない彼に、ヴィキは「あなたは共産主義者のお気に入り、どうぞ特権を大切にして」と冷たく言い放って去って行った。カルチは、純粋にスポーツをしたかっただけである。ただひたすら水球をしたかったのだが、デモの途中で友人が銃撃され、ヴィキと関わるうちに、目をそむけていた国家の体制、政治にめざめていくのだったが。。。(以下、内容にふれております。)

北京オリンピックが閉幕した。開会式の偽装のような演出には、日本だけでなく諸外国からの批判が集中したのだが、所詮ニセモノのブランド品を”ホンモノ”と偽って旅行者に売りつける国なのだから、総指揮がベルリン国際映画祭金熊賞受賞の張芸謀だとしても、国家の威信の喧伝に叶うのであればそれですべて成功なのだろう。しかし、なんとなく1936年のベルリン・オリンピック大会を連想させられてしまったのは私だけであろうか。当時、ドイツのユダヤ人の迫害から、米国を中心にベルリンでの開催を反対されたにも関わらず、IOC(国際オリンピック委員会)は政治的に中立であることを理由に、平和の祭典を承認したのだった。このオリンピックの成功で国内の求心力を一気に高め、ナチ政権が戦争に向かっていったのはよく知られている。日頃は日の丸を意識することのない私たちも、オリンピックでの日本選手の活躍にわきたつ日々が続いたのは、4年に一度の大会が、かなりの温度差はあるにせよ、今でも国民の国への求心力となり、国を意識する契機となっているからであろう。

メルボルンの地につき、初めてソ連の蛮行を知らされ、絶望を感じた選手にあるのは、国旗に忠誠と誇りを誓い、国民を代表して国ために闘う、文字どおり切れるような気迫だった。大国は大国にふさわしい成績とメダルの数を国の威信として選手に期待し、小さな国は小さな国ゆえに、ナショナリズムにわくのがオリンピックだ。これまでも大国の衛星国として、なにかとソ連チームの影になっていたハンガリー・チームなのだが、この時ばかりは世界中の人々からの励ましの応援に背中をおされ、見事勝ち取った金メダル。国旗に掲げられたセンタポールと国歌の中で、ヴィキから渡された大切なペンダントを握りしめるカルチは、親友に支えられ泣いている。彼は気がついていたのだった。帰国してペンダントを返す恋人が、すでにいないことを。
試合に勝ち、勝利にわく熱狂的な人々の中で、彼ら選手達は静かにおしよせる感情を抱きしめている。本当の自由のない国において、たとえ金メダルを胸にさげても、勝者もなければ敗者もないことを。

オリンピックが、国を代表するチームなり選手なりの戦いであるならば、純粋なスポーツの祭典としてのオリンピックはそもそもありえない。金メダルを獲得して、ハンガリー万歳で映画をおわらせずに、カルチの涙にハンガリー動乱時に多くの犠牲者をうんだ歴史がハンガリアンの哀しみとともに重なる。
それにしても、いつか訪問したいのは、”ドナウの真珠”と呼ばれるハンガリーのブタペスト。

監督:クリスティナ・ゴダ
2006年ハンガリー制作

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・『太陽の雫』


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2 コメント

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国威 (kimion20002000)
2008-10-10 00:32:13
TBありがとう。
オリンピックはやはり色濃い政治ショーであると思います。アスリート個人個人の、人生劇は別としても。
開会式でも200以上の国家の行進を延々と見ましたが、出場選手が数人に満たない小国の選手の屈託のないあるいは素朴なナショナリズムをみると、ほっとしたりしました。
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kimonさまへ (樹衣子)
2008-10-10 22:52:33
こちらこそ、コメントをありがとうございます。
本来なら貴殿のブログでお伝えすべきでしょうが、

>ハンガリーの民衆武装闘争は、いまでも僕たちの「抵抗」の原点となる。

圧倒されました。なんとなく30代半ばの方という印象だったのですが、kimonさまは1953年生まれだったのですね。
「セクト」「オルグ」「アナーキズム」・・・そんな時代があったということは、大学時代に過去の先輩の残された文章で知ってはいましたが、完全に「遅れてきた青年」組としては、このような映画の観方に多少の違いがでてくるような感じもします。

>オリンピックはやはり色濃い政治ショー

そして、ビジネスのからんだスポーツの祭典。
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