千の天使がバスケットボールする

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『突然炎のごとく』

2008-06-18 23:04:22 | Movie
そもそも論だが、日本の婚姻制度は一夫一婦制になっているが、それで男も女も、いや女も男も、本当に納得しているのだろうか。長年疑問に思っていたのだが、ここでは加賀乙彦氏著書の「雲の都」の主人公、フランス留学の経験もある精神科医の小暮悠太の意見を拝聴してみよう。

「一夫一婦制という制度に無理があると思うんだ。フランスの小説を読むと、あの国じゃ不倫が普通に思える。バルザック、スタンダール、フローベル、みんなそうだ。ああいう小説家たちは人間の本能の幅が一夫一婦制からはみだすことに気づいていた。日本は維新で一夫一婦制度をとりいれたけど、徳川時代は自由奔放だものね」
そうすっか、だったら篤姫でなく腰元でもいいから、徳川時代に生まれてかった・・・。

オーストリア出身の青年ジュール(オスカー・ヴェルナー)とフランス人のジム(アンリ・セール)は、パリ、モンパルナスで出会い、共通の趣味である文学を通して親友になる。ある日、アドリア海の島にある美術公園の彫像の女の顔にひかれる。やがて、ふたりはカトリーヌ(ジャンヌ・モロー)に恋をする。あの女にそっくりだったからだ。ジュールは彼女に求婚し、結婚した。第一次世界大戦が勃発すると、ふたりは兵士として戦い、カトリーヌを思いながら、なんとか戦渦をまぬがれて生き延びた。夫婦の山小屋で再会する3人。6歳の娘がいながら、男と女という意味ではジュールとカトリーヌの夫婦関係は終わっていた。
そして、話し合いの結果、3人は共同生活をはじめることになったのだが。。。

大きな瞳、意志的に結ばれた唇。『ぼくを葬る 』で毅然として魅力的なおばあちゃん役を演じたジャンヌ・モローは、若いときからジャンヌ・モローだった。3人の恋愛の主導権を握っているのは、ジャンヌ・モロー演じるカトリーヌ。自由奔放で、世間の道徳ではなく、自分の感情、情愛のままに生きる情熱的な女性は、古今東西、殿方たちにもたまらなく魅惑的なキャラクターなのだろう。親友の恋人、妻と寝る行為、また逆に親友にもっとも大切な女を譲ること。男性にとっては、心から信頼できる親友だからこそ可能なこのような関係、女性からすれば、異なるタイプのふたりの男性をそれぞれに愛する関係。こんな世間をはばかるようなときめく関係は、恋の国フランスだけでなく日本だって、その昔、負けずに存在していた。

夭折の詩人、中原中也は17歳で美貌の女優志望の女性、長谷川泰子と同棲した。その後、東大生の小林秀雄を紹介されると、泰子は小林のもとに奔走した。同じ文学の世界に生きている中也と小林秀雄だが、かたや詩人で、もうひとりはそれらの作品を批評する人。完全なる人間が存在しないのであれば、ふたりの男性を愛する、恋したことで成就できる「恋愛」があるのかもしれない。
当時の泰子の気持ちがいかばかりか推測できないが、泰子にとっては恋の対象が変わったけれど、ふたりの男性のこころを同時に奪っていたことは、中也の詩からも想像できる。
カトリーヌも3人の共同生活をおくりながら、夫への愛情は情愛に変節し、ベットをともにする男性としてジム、また別の男を選んでいった。1962年制作のアンリ=ピエール・ロシェの小説を映画化した本作は、今観てもスタイリッシュな新鮮さにめまいがしそうである。彼らの服装、研ぎ澄まされた小説のようなナレーション、そして生き生きとした映像。観終って数週間たったのだが、いくつものシーンが不意にうかんでくることから、想像以上に鮮明な印象が残ったのだろう。あくまでも淡々とした物語の運び方が、エキセントリックで奔放なカトリーヌのキャラクターをシックにおさめているのが成功している。激発する感情をコントロールできない素養も、男性からすれば逃れられないファム・ファタールの要件である。
劇中で歌われる「つむじ風」というシャンソンもとても素敵。

明治政府時代に制定された「姦通罪」が廃止されたのは、実に1947年10月26日のことだった。

監督:フランソワ・トリュフォー
1962制作 フランス映画


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