千の天使がバスケットボールする

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「小説のように」アリス・マンロー著

2011-01-15 20:27:53 | Book
我家の爺さんは、ご近所のイタリアンのファミリー・レストランがお気に入り。チェーン店なのだから、ファスト・ファッションならぬファスト・フードどおりの早くて味もそこそこレベルなのだが、爺さん的なポイントは、安価なお値段にある。ところがそのお店の最大のネックは、彼によると”ひとりでは行けないお店”ということにある。理由は、みんな家族や友人・知人と来ていて、ひとり客は見たことないからだそうだ。休日のランチのお伴をする度に、爺さんは必ず広い店内の客を見回して「ほら、一人客はいないだろ」と、私に同意を求める始末である。確かに、郊外の住宅地にあるそのファミレスでは、これまでおひとり様をたまたま見たことはなかったのだが、今年の正月休暇のある日のこと、いつも以上ににぎわっている店内で、ひとりで来て食事をしている青年を見かけた。
「ほら、ちゃんとひとりで来ている人だっているでしょ」
と爺さんに声をかけようとして、私は口を閉ざした。食事中のその青年と目があった瞬間、私は思わず気まずくなり顔をそらしたのだった。そっと、まるで自分が非礼なことをしたような罪悪感を感じて。

「小説のように」の著者、アリス・マンローは2005年に、「タイム」誌の「世界でもっとも影響力のある100人」に選ばれ、2009年に国際ブッカー賞を受賞して、ノーベル文学賞候補者でもある。「短編小説の女王」とまで賞される彼女は、1931年カナダ・オンタリオ州生まれで、今年80歳になる。閉鎖的な人間関係の小さな田舎町に生まれたこと、結婚後、図書館に勤務したり書店経営の経験ももつ本好き、そして女性であることが、彼女の作家としての資質をひきだして女王にまで育てたと考えられる。

若くして結婚し、夫とふたりの愛児に恵まれながらも、これ以上ない悲劇を迎えて今はただ生きているだけのドーリーだったが、乗車していたバスの交通事故に遭遇して、たったひとつの行動からかすかな再生を感じる「次元 Dimensions」。家族でピクニックに行き、穴に落ちた息子を救出する地質学者の父と母。信じてはいなかった神に感謝すらした母だったが、九死に一生を得て成長した長男ケントは、大学を中退して失踪する。数年後、家族に届いた便りには、家族への気遣いもなく自分自身の人生を語り、最後に「僕が捨て去ることを学んだひとつが、知的高慢さなのです-」と結ばれていた。やがて夫も亡くなり、次男と娘もそれぞれりっぱに成長し、不自由なく老後を送る母が最後に再会したケントの姿は・・・。「深い穴 Deep-Holes」や、19世紀ヨーロッパで女性が学者として生きる困難な時代に、その才能を枯らすことなくロシア史上初の女性数学者として生きた実在の人物、可憐な人柄ながらも向上心を燃やすソフィア・コワレフスカの死に至るまでの数日間に人生をフラッシュバックのように振り替える形式の「あまりに幸せ Too Much Happiness」 など、いずれも珠玉のような短編が10作並ぶ。

ここには、家族の死、毒、残酷さや、意外な愛情、深い哀しみや絶望がありながら、生きることのいとおしさ、そして人生の秘密が隠されている。確かに”小説”である。アリス・マンローの作品の特徴を知るエピソードととして、訳者が最初のイギリス版を読んだ後、後発のアメリカ版を見直ししたら、何度か修正された後、再度、数行削られていて最後の景色が微妙に変わっていたりもしたそうだ。このように、マンローは推敲を重ねてそぎ落としていくタイプの作家だが、本書でもまるでジル・サンダーがデザインした白いシャツのように、シンプルで素っ気ないが、芸術性がある。80年の人生を生きた熟練の作品は、本物のオトナ向け。

「顔 Face」は、社交クラブにも入っていて、大学でも町でも人気があり社交的な父と平凡な母の間に生まれた主人公の話。彼は生まれた時から顔に痣があり、そのひとり息子の顔が家庭不和の原因を引き起こしたのだったが、むしろ本来の夫婦のすれ違いに向き合わないで過ごせる皮肉な幸運にもなった。そんな家族の離れの家に、未亡人となった寡婦が娘を連れて間借りするようになり、主人公と少女は親しくなり庭で一緒に遊ぶようになったのだが。。。マンローはかって「天才的な筆で描かれた醜聞」と評されたこともあったそうだが、作家の想像には立ち入り禁止区域はない。

家族連れでにぎわう正月休暇のファミリー・レストラン。寒くて落ち着かない入口の一番近い席で、たったひとりで急いで食事をしている青年のその顔が、目があった瞬間の表情とともに、何度も私の心に浮かんでくる。


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