千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

『孤島の王』

2012-05-19 22:15:10 | Movie
自他ともに認める暗いヨーロッパ映画好き。
そんな私でもなかなかお目にかかれることのできない北欧ノルウエーの映画がやってきた。それも、オスロの南方に浮かぶバストイ島という絶海の孤島、監獄島から。。。

1915年のことだった。バストイ島にある11~18歳の非行少年の矯正施設にエーリング(ベンヤミン・ヘールスター)が送還されてきた。彼がどのような罪を犯したかは語られない。髪を刈られ、私物をとりあげられ、コードネームはC-19と決められる。名前を剥奪され、新入生を待っている施設の少年たちの前に初めて表れた時は、作業服を持たされて全裸だった。すべて生まれ変わり、白紙の状態で一から更正させようという院長の崇高な教育方針なのだろうか。しかし、そこには矯正という大義名分のもとに少年たち自身の精神の自由は踏み潰されていた。

尊大で厳格な院長(ステラン・スカルスガルド)、冷酷で強圧的な寮長のもとで、矯正施設の中では理不尽なきつい労働作業や体罰が横行していた。屈強な新入生エーリングのたった一人の反乱は、やがて卒業を控えた模範生のC-1オーラヴとの友情を通して、少年達の一斉蜂起への爆発へと向かっていく。

1900年に建設され、非行少年150人ほどを収容していたバストイ島の矯正施設は、本来は児童に体罰を与えるよりも、通常の授業に加えて農場での仕事などの就労研修を行い、彼らにあった環境の中で成長させるという理想からはじまったそうだ。しかし、現実は理想からほど遠く、理不尽な体罰や暴力が日常的に行われていたという。『孤島の王』は、ノルウエーの国民ですらよく知らなかった、1915年に実際に起こった少年達の反乱と、彼らを鎮圧するために軍艦が兵士150人とともに上陸した事件をモチーフに描かれている。

映画館には、この傑作への批評記事の切り抜きが掲載されていた。映画を観てから読むか、観る前に読むか、私にはちょっとしたお楽しみなのだが、迫真の映画を鑑賞した後に、全国紙や雑誌に筆をふるった映画評論家たちによるそれらの記事に目を通しながら、なんだか違うという違和感がぬぐえなかった。矯正施設はあくまでも矯正が目的なのだから、教育とは少し違う。ある意味、非行に走る少年たちに自由が制限されていることもありだし、優しさよりも厳しさが必要な時もある。この映画で描きたかったのは、非行少年の更生方法のあり方や、歴史に埋もれた重い事実でも、反体制でも自由を求める気持ちでもない。『カッコーの巣の上で』とも似ていない。

唯一、土屋好生さんの「切羽詰まっ『顔』の迫真」と表現した批評に、私は同じ感想をもった。
映画がはじまるやゆるみがちだった神経がぴりりとしまり、厳冬の北欧の映像に意識が集中していく。孤島を吹きすさぶ風、降り続ける冷たい雪、そして作業着でびっしりと並んだこどもたち。そんなリアルな映像の中にも、北欧らしいリリシズムが抒情的である。そんな景色に浮き上がってくるのは、登場人物たちの怒り、絶望、希望、悲しみ、軽蔑。殆ど無名といってもよい俳優陣の個性的な表情が、ずっしりと心にせまってくる濃密な人間ドラマにこそ、この映画で観るべきところだ。全くもって、優れた映画である。
そして、忘れてはならないのは、エーリングの言葉だ。

「誰でも王になれる」

3月の卒業式のことだった。
大阪府立高校の某校長が、国歌斉唱時に教師の口元をチェックして歌っていない教師の人数を橋下徹大阪市長にメールでご注進した。大阪府では、大阪維新の会が提案した国歌起立条例が成立して、1月には全教職員に起立斉唱を求める職務命令の通達があった。早速、大学時代からの友人でもあり、命令を厳密に解釈した校長を絶賛して、橋下市長は返信文とともに府市の幹部や教育委員に転送した。「もっと悠々たる度量でご検討を」というまともなメールで反論したのが、当時の教育委員長。これに激高した橋下市長は激しく反論し、委員長の責任問題にまで言及した。

これまでにも市長選で対立候補の平松邦生前市長を応援した職員をあぶりだすために、公用パソコンに残る幹部職員のメールまで極秘に調べた事件もあった。近頃では、職員に入れ墨の有無を記名式で調べ上げ、入れ墨をしていたら「分限(免職)もあり得る」とまで気合を入れてちょっとした騒動になっている。これももう少し悠々たる度量でご検討を・・・、と言いたいところだが、なるほど、確かに誰でも王になれる!孤島の王が孤立の王になったとしても。

監督:マリウス・ホルスト
2010年ノルウェー=フランス=スウェーデン= ポーランド製作


最新の画像もっと見る

コメントを投稿