いつもの地下鉄の満員電車に揺れていると、不図誰かの視線が気になる。
社内吊りの広告の中からGパンをはいた女性が、嫣然と微笑んでいるではないか。いや、最初の印象では挑発しているような感じ。なんとも、その姿がかっこいいのだ。その女性は、作家の桐野夏生さん。50代になっても、孫を出産するたくましい女性もいらっしゃるが、桐野さんのキレルかっこよさには同性としても憧れる。私とはキャラともち味が全く異なるのでこんな50代にはなれないが、老いて尚、死ぬまで現役の女でいたい。Gパン姿には自信がある。そうだ、いくつになっても、おばあちゃんになっても「魂萌え!」でイコウ!!
60歳を目前に、使い古しの夫が急死。それまで専業主婦として堅実で真面目で定年退職した夫と格別波風もたたず、ふたりのこどもも無事巣立ち、小さな郊外の一戸建ての家に住んでいる主人公の敏子だった。享年、63歳。不測の事態に仰天しているまもなく、夫の隆之の葬儀がおわると次々と難題がもちあがる。
そこそこの大学を卒業後、就職した銀行を退職してミュージシャンになると啖呵をきって渡米した息子の彰之は、米国で結婚した千葉の元ヤンキー出身の妻、由佳里とダイアン、ネイサンという2児とともに帰国。すっかり丸くなった彰之には、ミュージシャンのオーラは勿論なく、古着屋の商売をしているが苦戦中のもよう。老後の面倒を見るからと小さく古びた家での同居を申し出、一家でのりこもうとしている。一方、娘の美保の方は、コンビニでバイトをしていて群馬県出身のバイト仲間のマモルと同棲中。
敏子とふたりのこどもたちの間で、遺産相続問題が紛糾する。夫を失った悲しみ、テレビを観ていて夫が風呂場で転倒していたことにすぐに気づかなかった自虐的な悔い、遺産をせびるこどもたちへの対応。ところが日々喪失感と孤独に悩まさせる敏子に、爆弾ともいえる事態が勃発する。
それは夫の携帯電話にかかってきた1本の電話だった。夫が亡くなったことを知らない、ひとりの女性から夫への電話だった。
カンのよい読者は、ここでピンとくるだろう。正解、10年来の愛人?恋人からの電話だったのだ。これは、大事件だ。。。長年連れ添った夫の自分の知らない世界、自分が不要な愛人と夫の将来の計画、次々と夫の秘密があかされるにつれ、当り前のように敏子は悩み苦しむ。しかし隆之を喪ってつらいのは、愛人も同様。
物語はふたりのこどもたち、敏子の高校時代の3人の友人、夫の趣味の蕎麦打ちの師匠や友人もまきこんで展開していく。
古女房とは、結婚当初に買った時代遅れの、しかし取り替えるのも面倒な家具のようなものなのだろうか。
この小説は、10月21日よりNHKでドラマ放映される予定である。
「NHKでやるなら、これしかない」と作家自身が断言したという。この言葉は、いみじくも本作品の”芸風”をひとことで伝えている。
「グロテスク」「OUT」で、ハードで残虐、過激、しかもそこに奇妙で凄絶な”美”すら描いた作者が、新聞小説として初めて書いた「お茶の間小説」が「魂萌え!」ともいえよう。万人向けの主人公や脇役と一緒に同感し、平和に一件落着でおわるドラマである。その意味では、全国津々浦々国営放送向きの本として充分成功している。幅広い読者層をとりこむだろう。作家の巧みな筆力で、人物描写にひきこまれて一気に読了した。物語としてのおもしろさは抜群。が、しかし、である。このような”芸風”は、他の作家でも期待できるのではないだろうか。近頃、金原ひとみさんの新作「オートフィクション」を気に入っているらしい桐野さん。確かに新旧ふたりの女性作家には、なにかお互いに共鳴する部分がありそうだ。若手女性作家の中で独走中の金原さんは、まだまだ若輩者。私としては、そろそろ貫禄たっぷりの真打に登場していただきたい。編集者が望む作品をしあげるのもプロの作家としての実力だが、桐野さんしか書けない他を圧倒するような畢竟の作品を期待しているのだ。
敏子は、やがて女性としても人間としても成長していく。この成長を”たくましく”という表現に変えたいとしたら、女性へのある種の思い込みにしばられる男性側の押付がましい願望だ。老いることの現実を受け入れながら、しかしその先に待っているのは、未亡人だから自由で、考えようによっては豊かな日々だ。
何故か、妻に先立たれた男性がぬれた落穂のようになっていくのに比べ、未亡人になった女性は若返り美しくなっていく。
やっぱり、女は最後まで現役でなくちゃ。
社内吊りの広告の中からGパンをはいた女性が、嫣然と微笑んでいるではないか。いや、最初の印象では挑発しているような感じ。なんとも、その姿がかっこいいのだ。その女性は、作家の桐野夏生さん。50代になっても、孫を出産するたくましい女性もいらっしゃるが、桐野さんのキレルかっこよさには同性としても憧れる。私とはキャラともち味が全く異なるのでこんな50代にはなれないが、老いて尚、死ぬまで現役の女でいたい。Gパン姿には自信がある。そうだ、いくつになっても、おばあちゃんになっても「魂萌え!」でイコウ!!
60歳を目前に、使い古しの夫が急死。それまで専業主婦として堅実で真面目で定年退職した夫と格別波風もたたず、ふたりのこどもも無事巣立ち、小さな郊外の一戸建ての家に住んでいる主人公の敏子だった。享年、63歳。不測の事態に仰天しているまもなく、夫の隆之の葬儀がおわると次々と難題がもちあがる。
そこそこの大学を卒業後、就職した銀行を退職してミュージシャンになると啖呵をきって渡米した息子の彰之は、米国で結婚した千葉の元ヤンキー出身の妻、由佳里とダイアン、ネイサンという2児とともに帰国。すっかり丸くなった彰之には、ミュージシャンのオーラは勿論なく、古着屋の商売をしているが苦戦中のもよう。老後の面倒を見るからと小さく古びた家での同居を申し出、一家でのりこもうとしている。一方、娘の美保の方は、コンビニでバイトをしていて群馬県出身のバイト仲間のマモルと同棲中。
敏子とふたりのこどもたちの間で、遺産相続問題が紛糾する。夫を失った悲しみ、テレビを観ていて夫が風呂場で転倒していたことにすぐに気づかなかった自虐的な悔い、遺産をせびるこどもたちへの対応。ところが日々喪失感と孤独に悩まさせる敏子に、爆弾ともいえる事態が勃発する。
それは夫の携帯電話にかかってきた1本の電話だった。夫が亡くなったことを知らない、ひとりの女性から夫への電話だった。
カンのよい読者は、ここでピンとくるだろう。正解、10年来の愛人?恋人からの電話だったのだ。これは、大事件だ。。。長年連れ添った夫の自分の知らない世界、自分が不要な愛人と夫の将来の計画、次々と夫の秘密があかされるにつれ、当り前のように敏子は悩み苦しむ。しかし隆之を喪ってつらいのは、愛人も同様。
物語はふたりのこどもたち、敏子の高校時代の3人の友人、夫の趣味の蕎麦打ちの師匠や友人もまきこんで展開していく。
古女房とは、結婚当初に買った時代遅れの、しかし取り替えるのも面倒な家具のようなものなのだろうか。
この小説は、10月21日よりNHKでドラマ放映される予定である。
「NHKでやるなら、これしかない」と作家自身が断言したという。この言葉は、いみじくも本作品の”芸風”をひとことで伝えている。
「グロテスク」「OUT」で、ハードで残虐、過激、しかもそこに奇妙で凄絶な”美”すら描いた作者が、新聞小説として初めて書いた「お茶の間小説」が「魂萌え!」ともいえよう。万人向けの主人公や脇役と一緒に同感し、平和に一件落着でおわるドラマである。その意味では、全国津々浦々国営放送向きの本として充分成功している。幅広い読者層をとりこむだろう。作家の巧みな筆力で、人物描写にひきこまれて一気に読了した。物語としてのおもしろさは抜群。が、しかし、である。このような”芸風”は、他の作家でも期待できるのではないだろうか。近頃、金原ひとみさんの新作「オートフィクション」を気に入っているらしい桐野さん。確かに新旧ふたりの女性作家には、なにかお互いに共鳴する部分がありそうだ。若手女性作家の中で独走中の金原さんは、まだまだ若輩者。私としては、そろそろ貫禄たっぷりの真打に登場していただきたい。編集者が望む作品をしあげるのもプロの作家としての実力だが、桐野さんしか書けない他を圧倒するような畢竟の作品を期待しているのだ。
敏子は、やがて女性としても人間としても成長していく。この成長を”たくましく”という表現に変えたいとしたら、女性へのある種の思い込みにしばられる男性側の押付がましい願望だ。老いることの現実を受け入れながら、しかしその先に待っているのは、未亡人だから自由で、考えようによっては豊かな日々だ。
何故か、妻に先立たれた男性がぬれた落穂のようになっていくのに比べ、未亡人になった女性は若返り美しくなっていく。
やっぱり、女は最後まで現役でなくちゃ。
どこかにイイ男は落ちていないか・・・。ふふふ。