旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

シルトホルンへの途上、牛を見つける

2023-07-10 11:28:50 | スイス
「あんなとこに牛がいる~」
↑見えますか?
ミューレンからシルトホルン展望台へ上がるロープウェイからの雄大な景色の中、よく見つけられました。

↑スマホ撮影ではこれが限界↑
光学ズームの立派なカメラをお持ちの方が撮った一枚↓

↑みたところ牛たちだけで幸せそうに草を食んでいる↑柵はあるからちゃんと管理された場所なのだ。
**
朝食を15分だけ早くしてもらって、07:15にミューレンの宿を歩き出した。

十分ほどで村を抜け、ロープウェイ乗り場へ。

朝いちばんのロープウェイ。

すっきり晴れている。
↑クレーンが見えるのは?

Brigで一度乗り継いでシルトホルン展望台に到着。
↑「2」の上の尖りがアイガー峰、その右がメンヒ峰。
ユングフラウエリアの中でも指折りの絶景展望台である。

アイガー、メンヒ、ユングフラウの三山は

ちょうど逆光↑
***
また、
ここは映画「女王陛下の007」で悪役のアジトとして登場したので

展望台にはジェームズ・ボンドが待っている(^^)

展望台の下の階で映画の一部を上映。

映画の中でカーリングをしていた?

「体験コーナー」?ではヘリコプターの座席にも座れます。

トイレに行ってまたびっくり

目の前の鏡に突然ボンド・ガールが浮かび上がり
「ジェームズ、どこへ行ってたの?」と語りかけてくる。

↑右奥の言葉はボンドがウォッカ・マティーニを注文する時の決まり文句
"Shaken, not stirred."
「シェイクで、ステア(まぜる)でなく」の秀逸なパロディ。

半世紀以上前の映画だけれど007シリーズの知名度は世界的に抜群(^^)
****
下からクレーンが見えていたように、

展望台は改修工事真っ最中。

↑雪渓を資材を運ぶヘリコプターの着陸場所にしている↑

工事中でもお土産屋さんは開いていて

上手に見つけられます!(^^)

天気が良い今日は
厚物を置いて、Tシャツででかけよう。
ミューレンに連泊する利点です(^^)



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グリムゼル峠を越えて灼熱のブリエンツ湖畔、そして崖の上の涼しいミューレン村へ

2023-07-09 16:50:27 | スイス
正面に立ちはだかるジグザグ道はフルカ峠↑
↓地形図右上のジグザグ

今日の我々は↑左に見えるもうひとつのジグザグ道=グリムゼル峠をのぼり、
グリムゼル湖畔で休憩し、
ダム湖の中にあるグリムゼルホスピッツ↓を見ながらブリエンツ湖に降りていった。


2012年の嵐の夜↑あそこに泊まったなぁ…
※グリムゼルホスピッツに閉じ込められた忘れられない出来事をこちらに書きました

ダムの中の内部通路を通って脱出させてもらう機会など二度とないだろう。

**
さて、話はこの日の朝10時にもどる。
テーシュ駅で乗り込んだバスの前で
届かないスーツケースにやきもきしていた。
※ツェルマットはガソリン車の侵入が禁止されているので、
一般のバスは手前のテーシュ駅までしか入れない。
スーツケースはホテルポーターからタクシーに受け渡されて
テーシュ駅の駐車場まで別送されることになっている。

手配会社の連絡先のジュネーブに電話しても
「急ぎ確認します」というだけ。

来ないなら取りに行く!と、
近くにいたタクシーにとびのった。
ツェルマットの荷物受け渡し駐車場まで行くが
スーツケースはみあたらない。
リッフェルアルプに電話するとポーターが「ここまで運んだ」と確認できた。
ポーターは「エリートというタクシー会社に渡した」という。
テーシュ駅で待つバスのドライバーに電話すると、
「エリートはテーシュのホテルだよ、すぐそこだから行ってみてくる」という。
小松もそのままテーシュに戻る。
電話のやりとりをきいていたタクシーのドライバーが
「たいへんだねぇ、次回役にたつことがあったら言ってよ」と
自分の会社の名刺をくれた彼

バスに戻ると、スーツケースは届いていた。
タクシーが持ってきたという。
いったいどこで道草をくっていたのか、わからない。
出発はちょうど一時間遅れた。
一時間ですんでよかった、のか?
スーツケースがなくならなくてよかった、のか?
**
バスはツェルマットの谷の出口へ向かう。
Vispでローヌ川の流れと合流。
谷に沿って上流へドライブし、ゴムスの谷に入ってゆく。
良いお天気でバイク乗りがたくさん。

この谷の小さな村で「ホテル王」と呼ばれることになるセザール・リッツが生まれた。

谷のどん詰まりに(今は見えなくなった)ローヌ氷河の跡があらわれ
フルカ峠のジグザグ道が見えてくる※冒頭の写真。

★「氷河特急」と1930年に命名されたのはこの峠を通る時にローヌ氷河が眼前に迫っていたから。
1982年にフルカトンネルが開通し、難所でもあったこの峠の線路は廃線になった。
夏期にだけ、観光用の蒸気機関車が運行されている。
※2007,2008,2010年のフルカ峠、ローヌ氷河、復刻蒸気機関車の写真をこちらに載せています

↑フルカ峠のジグザグの左に白く見えている崖が
↑かつてローヌ氷河が盛り上がって流れ出していた跡。
今日の我々はグリムゼル峠をこえて、インターラーケンに通じるブリエンツ湖畔に降りていった。
2012年にはダムから抜けてこのホテルに送ってもらったなぁ。雨の中、アーレシュルフトの谷を歩いたなぁ。

今日は寄らず、標高546mのブリエンツ湖畔に出た。

ここからはロートホルンクルムへの鉄道が、
今も蒸気機関車で運行されている。
※2012年にロートホルンクルムに宿泊した時のブログをごらんください

それにしても暑い。
「スイスは涼しい」というイメージは
標高560メートルほどのこのブリエンツ、インターラーケンあたりでは満足させられない。

だからクルーズをしたかったのだが朝の荷物遅れで今日はその時間はとれない。
サンドイッチでも買おうとおもったら日曜日でコープも閉まっている。
一軒だけ開いていたのは、「シリヤ系スイス人(実はクルド人)」のやっているケバブのお店だった。

あんがい美味しかった(^^)
※この時のことについてはまた別に書きます
****

ブリエンツを出発しインターラーケンは素通りして、もっと涼しい今日の宿泊地をめざす。

標高1650mのミューレン村へ、シルトホルン展望台へのゴンドラに乗ろう↑とおもったら、乗り場駅が全面工事中でスーツケースを乗せるリフトがみあたらない。
ぐるっと一周すると、関係者用?のがみつかってひと安心。

乗り継いでミューレン駅到着。
宿泊するホテルのオーナーがスーツケースを運びに待っていてくれた。

ここまで来てやっと「スイスは涼しい」を実感できた(^^)

十五分もあれば通り抜けられるミューレン村は、アクセスしにくいからこそその美しさをたもっていられるのだろう。

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「モーゲン・ロート」のマッターホルンを見てからツェルマット駅⇒テーシュ駅へ

2023-07-09 10:42:09 | スイス
日の出五時半の少し後、リッフェルアルプ前を散歩する。
谷から立ち上がるマッターホルンの全景。
きのうの朝とはうってかわってひとかけらの雲もかかっていない。

「モーゲン・ロートだ」旅メンバーのお一人から共通LINEにコメントがあがる。

↑飛行機がゆっくりよこぎる↑

↑iPhoneでこんな写真も撮ってみたくなる(笑)

リッフェルアルプの方をふりかえると↑静かにテラスからマッターホルンを眺めている旅メンバーが手をあげてくださった。

あの部屋が連泊でとれる日付にあわせてこの旅を企画した意味はこの瞬間にある。

↑山頂にだけあたっていた光が裾野まで降りてくる

いつもは足を向けない喫煙室の窓からも


部屋に戻り、七時に朝食に降りた。

朝日が前庭のぜんぶに満ちてきた。

★リッフェルアルプホテルは1856年にアレキサンドル・ザイラーが小さくはじめた。
ザイラーはツェルマットを観光地として開拓していった一族である。
当時はイギリスをはじめとする王侯貴族の社交社会が厳然と存在しており、
冬の避寒地・南仏に対しての避暑地・スイスが開発されていった時期にあたる。
ツェルマットの谷には鉄道も到達しておらず、
リッフェルアルプはロバで10時間以上かかる「秘境」であったにもかかわらず
ザイラーは「ここは人気がでる」と確信し、
1884年までに無借金で・六年かけて・四階建て150ベッドのホテルを建設した。
目論見は成功。
「シャーロック・ホームズ」シリーズで有名なイギリスの人気作家コナン・ドイルは
1893年に長期滞在し、ライヒェンバッハの瀧や敵役モリアーティ教授の着想を得たとされている。

↑こちらの石にその記憶が刻まれている。
1898年にはスイス初の電化登山列車が開通。
1899年には280ベッドの大型ホテルに拡張された。
ここから第一次世界大戦がはじまる前までが隆盛のピークだったのかもしれない。

第一次大戦が終わるとオーストリア帝国は解体され、ドイツ帝国は共和国になり、
ヨーロッパの貴族社会は衰退していった。
1929年の世界恐慌では新興ブルジョアたちも大きな打撃を受ける。
観光は平和な世界の産物なのである。

第二次大戦後、アメリカが隆盛してきた時期だったが
1961年、リッフェルアルプの歴史ある本館が全焼してしまう。
復興はやっと1988年、40ベッドのホテルとして再スタート。
現在の建物が完成したのは2000年になってから。
***

09:08 発の列車でツェルマットへ降りる。

スーツケースはポーターさんの連携で、
バスの待つテーシュ駅の駐車場まで運ばれる予定。

↑こんなタクシー会社用のタグもつけられた。
五年前にはまだなかったサービス。

09:27ツェルマット駅到着。

09:35発の列車に、人間だけで乗り込む。
※以前はスーツケースを持って乗っていた

テーシュ駅に到着。
予約してあったチャーターバスとミート。
しかし…10時になってもスーツケースが届かない!

どうする?

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こんな夕景のマッターホルンが

2023-07-08 19:29:35 | スイス
こんな夕景のマッターホルンが見られると分かっていれば、
朝はがんばらなかったかもしれない。

その日朝7時。上の写真と同じホテルの玄関先。

標高2200mのリッフェルアルプも雨が落ちていたが、
LIVEカメラで見る標高3100mのゴールナーグラート展望台は降っていない。
雲はあるが氷河の絶景は楽しめるとみて、

リッフェルアルプ発07:40に乗った。
今日のツェルマットからあがってくるいちばん列車はとてもすいていた。

標高3100mゴールナーグラート展望台から、モンテ・ローザ峰から流れ出す氷河。

朝食前にやってきた甲斐はあった

1898にはすでにあったホテル

でも、この標高に泊まると高山病の心配がある…。

マッターホルンは雲に隠れているが
クライネマッターホルン展望台に運航するロープウェイは見えている↓

あんなところにまで、1979年にはロープウェイ駅を建設したのだ↑
↑ここから展望台駅が見えているということは、
展望台からの眺望も楽しめるだろう。
午後はあそこに行こう(^^)

**
09:27にリッフェルアルプホテルにもどり

メインダイニングで朝食

11時に再スタートするころには青空がひろがりはじめていた。

標高1600mのツェルマットに降りると暑くなる

市内バスに乗ってクライネマッターホルン行きのゴンドラ乗り場へ

良い感じに晴れてきた(^^)

氷河が溶けてできた小さな池がたくさんある

クライネマッターホルン駅が見えてきた↓


午前中にゴールナーグラート展望台から見えていた場所↑


ここはスイスの最南端・イタリアとの国境。
イタリアへの通路の途中に、屋外展望台に上がるエレベーターがある。

おお!ブライトホルンがすぐとなりに見えた(^^↑

「ちょっとふらふらする」という方もでてきた。
長居はしない。
**

復路、↑シュヴァルツ・ゼー=「黒い湖」で途中下車
※2018年に訪れた時のブログにリンクします

ここまでくればマッターホルンが目の前に迫る。
ヘルンリ小屋もよく見える。
雲がなかなかとれないのがマッターホルン峰。

ふたたびツェルマットに降りる

ツェルマットの村には↑こういった昔ながらの建物がよく保存されている。

教会の塔がそびえる中心の広場↑手前のドームが「山岳博物館」

初登頂の時の、いわゆる「切れたロープ」が展示してある。

百年ほど前のツェルマットがどんな様子だったのか
上手に感じさせてくれる。

村の本通りが

こんなに賑わうなんて想像もできなかったにちがない。

**
ツェルマット発16:24のゴールナーグラート鉄道に乗って

リッフェルアルプまでもどってきた。
19時にダイニングへ

だいぶん雲があがってきたが、まだとれない

20時半を過ぎ、デザートタイムになったころ、
「今、きれいにみえてますよ」とホテルスタッフがおしえてくれた。

これぞ、リッフェルアルプならではの眺望!

みんな夢中で撮影

こんな逆さマッターホルンまで(^^)

デザートも忘れず食べなきゃ。

明日の朝は、朝焼けが見られるかしらん(^^)

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ベルンから電車でリッフェルアルプへ

2023-07-07 10:47:31 | スイス
ベルン駅の地下に突然現れる巨大な顔は何?
※350年も立ち続けていた巨大クリストフォロス像の話をこちらに書きました

2012年に訪れたベルン歴史博物館でホンモノに出会った。

色はなくなっていても↑ホンモノの方が怖いなぁ。


この日の朝、駅の目の前にあるシュヴァイツァーホテルの朝食は

レトロなカフェ?元ベーカリー?にて。
ホテルの小さなロビーがドアひとつで古いレストランにつながっていた。

パンとチーズとハムの質がよければシンプルでもスイスらしい食事になる(^^)


午前九時半。
徒歩で駅へ向かう。
スーツケースは先に送ってある。
電車のホームにご案内するまえに冒頭のクリストフォロスの巨像をご案内しようと歩いていると

食品メーカーが試供品を配っていた↑みんなでもらって飲んでみると…
「脱脂粉乳みたいだな」という感想もあったが、これは豆乳だ。

※以前ドイツで「クヌーデル」を食べて、「すいとんみたいで戦時中を思い出す」と言われたことがあった。
※2003年のバンベルクの写真ご覧ください
味が呼び起こすものは、世代によってちがう。


↑こちら暖かい↑パイ生地でハムとチーズが入っている。

10:07のVispへ向かう列車に乗り込んで

二回目の朝食にした(^^)

今回もそれぞれにスイス・トラベル・パスを携帯してもらっている。

※スイス・トラベル・パスについてこちらにも書きました

コロナ禍後、観光地はどこも混雑に拍車がかかっているから
1等席でも空席があるとはかぎらない↓予約してもらった。

一等車両のどこかに↑この紙が貼ってある※前日にネットで確認して席番をショートメールで送ってもらうこともできる※海外でショートメールをうけられる携帯が必要
※2012年11月5日の雪の日、同じ路線を乗った日のブログにリンクします

ベルンからツェルマットのあるヴァリス州へ向かうには
ユングフラウ峰のあるベルナーオーバーランド連山の地下をぶちぬいているトンネルを抜ける必要がある。

↑あの山の下を抜けて南のヴァリス州の谷へ向かうのだ↑
ベルン出発から45分ほどで長いトンネルに入った。

11:02VISP(ヴィスプ=フィスプ)駅到着・乗換。
多くの人がツェルマットへ向かうから次の列車も同じくかなり混んでいる。
一等席でも座席予約をしておいて正解(^^)

ツェルマットへ向かう谷は雨が少なく、

ワイン造りが盛んな地域。


↑20年ほど前に崩落して鉄道も道も埋まってしまった跡↑

↑氷河

↑ツェルマット駅に到着

↑ツェルマット駅前からはマッターホルンのほんの先っちょしか見えない↑
マッターホルンの全容を楽しむにはツェルマットの谷より上にいく必要がある。
なので、今回もリッフェルアルプホテルを選んだ。

ツェルマット⇒リッフェルアルプは、たとえ宿泊客といえども切符を買わなくてはならない。
2018年は窓口にヴァウチャー(支払証明書)を出して発券してもらったが、
今回は↓この発券機にQRコードを読み込ませて発券する↓

ひとりひとり自動改札を抜けるのだが

チケットを入れるのではなくタッチする。
「どこにタッチすればよいの?」
以前は団体旅行なら人数だけチェックされていっきに改札を通ることができていたのだが、現在は個々人で行うように変わっている。チケットをなくさないようにしなくちゃ。

ゴールナーグラート鉄道に乗ると、ツェルマットの街が沈むにつれてマッターホルンが全容をあらわしはじめる。
午後到着のタイミングでこれだけ見えていればよしとしよう。

リッフェルアルプに到着。
ホテル利用者専用の電動トロッコが数百メートルの軌道をゆっくり走る。

リッフェルアルプは滞在するだけでスイスを満喫できるホテル。
ここの「マッターホルンが見える部屋」を連泊で確保できることが
今回の旅の出発日を決めるいちばん重要な要素だった。

小松は裏の部屋でじゅうぶん(^^;おちつきます

まだ午後二時。
夕食はホテルのダイニングで午後七時。
今日もう一カ所ぐらい行けそうだ。
*****
「部屋でゆっくりしているよ」
お二人の方が参加しなかったが、リッフェルアルプならそれでも退屈しない。

ツェルマットまで降りて、川沿いを歩き

スネガ展望台への地下ケーブルに乗った。

標高1600mのツェルマットから2288mまで上がると
マッターホルンがすそ野まで見えてくる。

雲はあるけれどまた違うマッターホルンを楽しめて満足。
******

午後五時にはリッフェルアルプに戻ってきた。

↑本館のメインダイニング「アレクサンダー」の入口前↑羊の置物がたくさんあって座りたくなりますが椅子ではないのだそうです(笑)

隙のないきちんとした洋食を楽しませてくれた(^^)

さぁ、明日も晴れますように!
明日朝六時に、天気によって、
07:40の列車でゴールナーグラート展望台に上がるかを連絡いたします。
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