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旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

「モーゲン・ロート」のマッターホルンを見てからツェルマット駅⇒テーシュ駅へ

2023-07-09 10:42:09 | スイス
日の出五時半の少し後、リッフェルアルプ前を散歩する。
谷から立ち上がるマッターホルンの全景。
きのうの朝とはうってかわってひとかけらの雲もかかっていない。

「モーゲン・ロートだ」旅メンバーのお一人から共通LINEにコメントがあがる。

↑飛行機がゆっくりよこぎる↑

↑iPhoneでこんな写真も撮ってみたくなる(笑)

リッフェルアルプの方をふりかえると↑静かにテラスからマッターホルンを眺めている旅メンバーが手をあげてくださった。

あの部屋が連泊でとれる日付にあわせてこの旅を企画した意味はこの瞬間にある。

↑山頂にだけあたっていた光が裾野まで降りてくる

いつもは足を向けない喫煙室の窓からも


部屋に戻り、七時に朝食に降りた。

朝日が前庭のぜんぶに満ちてきた。

★リッフェルアルプホテルは1856年にアレキサンドル・ザイラーが小さくはじめた。
ザイラーはツェルマットを観光地として開拓していった一族である。
当時はイギリスをはじめとする王侯貴族の社交社会が厳然と存在しており、
冬の避寒地・南仏に対しての避暑地・スイスが開発されていった時期にあたる。
ツェルマットの谷には鉄道も到達しておらず、
リッフェルアルプはロバで10時間以上かかる「秘境」であったにもかかわらず
ザイラーは「ここは人気がでる」と確信し、
1884年までに無借金で・六年かけて・四階建て150ベッドのホテルを建設した。
目論見は成功。
「シャーロック・ホームズ」シリーズで有名なイギリスの人気作家コナン・ドイルは
1893年に長期滞在し、ライヒェンバッハの瀧や敵役モリアーティ教授の着想を得たとされている。

↑こちらの石にその記憶が刻まれている。
1898年にはスイス初の電化登山列車が開通。
1899年には280ベッドの大型ホテルに拡張された。
ここから第一次世界大戦がはじまる前までが隆盛のピークだったのかもしれない。

第一次大戦が終わるとオーストリア帝国は解体され、ドイツ帝国は共和国になり、
ヨーロッパの貴族社会は衰退していった。
1929年の世界恐慌では新興ブルジョアたちも大きな打撃を受ける。
観光は平和な世界の産物なのである。

第二次大戦後、アメリカが隆盛してきた時期だったが
1961年、リッフェルアルプの歴史ある本館が全焼してしまう。
復興はやっと1988年、40ベッドのホテルとして再スタート。
現在の建物が完成したのは2000年になってから。
***

09:08 発の列車でツェルマットへ降りる。

スーツケースはポーターさんの連携で、
バスの待つテーシュ駅の駐車場まで運ばれる予定。

↑こんなタクシー会社用のタグもつけられた。
五年前にはまだなかったサービス。

09:27ツェルマット駅到着。

09:35発の列車に、人間だけで乗り込む。
※以前はスーツケースを持って乗っていた

テーシュ駅に到着。
予約してあったチャーターバスとミート。
しかし…10時になってもスーツケースが届かない!

どうする?

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