旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

長浜駅舎はかつて琵琶湖に面していた

2024-04-22 12:00:30 | 国内

↑1887年(明治二十年)の長浜駅の模型↑琵琶湖に接し↑船との乗り換えが便利なようにつくられている。
現存する日本最古の駅舎。
↓今も同じ姿で「鉄道スクエア」博物館として使われている↓

※ホームページにリンクします
※後半でもう少し詳しく書きます


4月2日の午後は
まず、「国友鉄砲博物館」を訪れた。

国友は江戸時代に天領。鉄砲の生産地として保護された特別な街だった。トータルで100万丁ぐらい生産したと考えられている。

解説ビデオを見せてもらってから

20分ほど館内を案内していただいた。


鉄砲本体の数も大事だが、使える弾の数が勝敗を決めたという話。
長篠の戦では多くの弾が輸入品で、
ゆえに堺をおさえた織田方は有利で
港をもたなかった甲斐武田軍に不利だった。

鉄砲ミュージアムではあるが、
小松が特に知っていただきたかったのは国友一貫斎による天体望遠鏡製作

※2022年2月雪の長浜城博物館を訪れて専門の学芸員Oさんからお話をきいた
2023年2月には一貫斎製作の四基が勢ぞろいした展覧会にも訪れた※リンクします


長浜城公園で軽くお昼時間をとり↑お城のカタチをした博物館にも入った。

最上階から↓

↑伊吹山の向こうは関ケ原
**
冒頭写真の長浜旧駅舎を入ると

↑かつては窓から琵琶湖が見えていたのを再現してある

↑走ってきたのは蒸気機関車。
明治15年の鉄道開通時↓長浜から南に線路はなく

↑琵琶湖をゆく蒸気船に乗り換えなくてはならなかった↓

↑上の鉄道路線図を見ると↑日本海側への線路が途切れているのがわかる↑
この鉄道建設の難所に、当時の日本最長の「柳瀬トンネル」が開通したのが明治17年。

日本海側からのこのルートは明治2年の鉄道構想と同時に計画された重要ルート。
長浜駅は重要な中継地点。

↑初代駅長の高橋善一はのちに1914年東京駅の初代駅長になる。

↑開通した「柳瀬トンネル」の滋賀県側に掲げられていた扁額↓

↑伊藤博文が「萬世永頼」と揮毫している。
↑「柳瀬トンネル」開通後五年を経た1889年(明治22年)には米原から膳所(ぜぜ)への路線が開通=東海道全線が開通。
長浜で船に乗り換える必要がなくなる。

↑北陸本線と東海道線の交差は米原駅となり、長浜駅の重要性は薄れた。

↑使われなくなった古い駅舎が壊されず・戦争の時代にも爆撃を逃れたことは幸いだ。


長浜スクエアにはSLと共に交流電気をつかった機関車の一号機も展示されている↑
このあたりのことについては小松の理解が足りていないのでまたの機会に('◇')ゞ





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