標高3883メートルの展望台へこんなに楽に上がれてしまってよいのかしらん
ツェルマットからこのゴンドラに乗ると
マッターホルンがぐんぐん近づいてきて
一度だけの乗換で、このクライネ・マッターホルンの展望台「グレーシャー・パラダイス」に到着出来るのだ↓
↓下の写真で三角にとがっているのがゴンドラが到着する場所↓
調べてみると、この場所へのゴンドラが運航開始されたのは1979年の12月からだった。認可を得るまでに五年近く、建設がはじまってからは三年以上、かかっている。運行ルートも現在とは少々ちがっていたようだ。
山岳鉄道を建設することは技術的には可能でも、認可を得ることのほうがたいへんなのだろう。果たして富士山に登山鉄道が開通する日はくるのかしらん…
**
展望台のいちばん高い場所へ。富士山の頂上より高い場所だからゆっくり行動しましょう(^.^)
上のパノラマ写真で真ん中にうつっている三角の山はマッターホルンなのだが、まわりの山のひとつに同化してしまっている。
すぐとなりに見えている雪をいただく頂はなんという山?↓
調べてみるとブライト・ホルン4164メートル。
頂上に目を凝らすと、登頂する人々が蟻のようにつながっているではないか↓
観光客でも体力さえあれば、アイゼンなどそれ相応の装備を借りて、二時間半であそこまで行けるのだそうだ。
山岳鉄道・ケーブルは登山の在り方も変えてしまっている。
↓今日は天気が良いので、遠くユングフラウまで見える↓
↓黒くとがっているのはアレッチ・ホルン。その左の雪をいただく峰がそれ↓
↓ここはイタリアとの国境にもなっていて、このままスキーでイタリアへ抜けることさえてきてしまう
風がないので、この標高にもかかわらずとても過ごしやすい
下りには寄り道してシュヴァルツ・ゼーに行ってみよう。ゴンドラを途中下車してほんの十分ほどのところにある小さな池。
氷河にクレバスが口を開けているのを見下ろしながら再びゴンドラでくだる↓
↑上の写真で右上にうつっている三角の山はマッターホルンなのだが、方向や高さが違うと別の山のように見える
マッターホルンは先ほどのブライトホルンと違い、登頂するには体力検査を受けて許可をとりガイドをといっしょに行くことを求められる。前日に宿泊するヘルンリ小屋もここまでくるとよく見える↓
ハイキング日和です
↓湖畔には小さな礼拝堂がある。伝説によると、16世紀に峠越えをしようとしていたイタリアの商人がこのあたりで霧に迷い、遭難しかけた。無事に生還出来たら感謝の礼拝堂を建てると祈ったのだそうだ。
素朴な木彫の祭壇がある↑
ツェルマットからこのゴンドラに乗ると
マッターホルンがぐんぐん近づいてきて
一度だけの乗換で、このクライネ・マッターホルンの展望台「グレーシャー・パラダイス」に到着出来るのだ↓
↓下の写真で三角にとがっているのがゴンドラが到着する場所↓
調べてみると、この場所へのゴンドラが運航開始されたのは1979年の12月からだった。認可を得るまでに五年近く、建設がはじまってからは三年以上、かかっている。運行ルートも現在とは少々ちがっていたようだ。
山岳鉄道を建設することは技術的には可能でも、認可を得ることのほうがたいへんなのだろう。果たして富士山に登山鉄道が開通する日はくるのかしらん…
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展望台のいちばん高い場所へ。富士山の頂上より高い場所だからゆっくり行動しましょう(^.^)
上のパノラマ写真で真ん中にうつっている三角の山はマッターホルンなのだが、まわりの山のひとつに同化してしまっている。
すぐとなりに見えている雪をいただく頂はなんという山?↓
調べてみるとブライト・ホルン4164メートル。
頂上に目を凝らすと、登頂する人々が蟻のようにつながっているではないか↓
観光客でも体力さえあれば、アイゼンなどそれ相応の装備を借りて、二時間半であそこまで行けるのだそうだ。
山岳鉄道・ケーブルは登山の在り方も変えてしまっている。
↓今日は天気が良いので、遠くユングフラウまで見える↓
↓黒くとがっているのはアレッチ・ホルン。その左の雪をいただく峰がそれ↓
↓ここはイタリアとの国境にもなっていて、このままスキーでイタリアへ抜けることさえてきてしまう
風がないので、この標高にもかかわらずとても過ごしやすい
下りには寄り道してシュヴァルツ・ゼーに行ってみよう。ゴンドラを途中下車してほんの十分ほどのところにある小さな池。
氷河にクレバスが口を開けているのを見下ろしながら再びゴンドラでくだる↓
↑上の写真で右上にうつっている三角の山はマッターホルンなのだが、方向や高さが違うと別の山のように見える
マッターホルンは先ほどのブライトホルンと違い、登頂するには体力検査を受けて許可をとりガイドをといっしょに行くことを求められる。前日に宿泊するヘルンリ小屋もここまでくるとよく見える↓
ハイキング日和です
↓湖畔には小さな礼拝堂がある。伝説によると、16世紀に峠越えをしようとしていたイタリアの商人がこのあたりで霧に迷い、遭難しかけた。無事に生還出来たら感謝の礼拝堂を建てると祈ったのだそうだ。
素朴な木彫の祭壇がある↑