旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

グリムゼル峠を越えて灼熱のブリエンツ湖畔、そして崖の上の涼しいミューレン村へ

2023-07-09 16:50:27 | スイス
正面に立ちはだかるジグザグ道はフルカ峠↑
↓地形図右上のジグザグ

今日の我々は↑左に見えるもうひとつのジグザグ道=グリムゼル峠をのぼり、
グリムゼル湖畔で休憩し、
ダム湖の中にあるグリムゼルホスピッツ↓を見ながらブリエンツ湖に降りていった。


2012年の嵐の夜↑あそこに泊まったなぁ…
※グリムゼルホスピッツに閉じ込められた忘れられない出来事をこちらに書きました

ダムの中の内部通路を通って脱出させてもらう機会など二度とないだろう。

**
さて、話はこの日の朝10時にもどる。
テーシュ駅で乗り込んだバスの前で
届かないスーツケースにやきもきしていた。
※ツェルマットはガソリン車の侵入が禁止されているので、
一般のバスは手前のテーシュ駅までしか入れない。
スーツケースはホテルポーターからタクシーに受け渡されて
テーシュ駅の駐車場まで別送されることになっている。

手配会社の連絡先のジュネーブに電話しても
「急ぎ確認します」というだけ。

来ないなら取りに行く!と、
近くにいたタクシーにとびのった。
ツェルマットの荷物受け渡し駐車場まで行くが
スーツケースはみあたらない。
リッフェルアルプに電話するとポーターが「ここまで運んだ」と確認できた。
ポーターは「エリートというタクシー会社に渡した」という。
テーシュ駅で待つバスのドライバーに電話すると、
「エリートはテーシュのホテルだよ、すぐそこだから行ってみてくる」という。
小松もそのままテーシュに戻る。
電話のやりとりをきいていたタクシーのドライバーが
「たいへんだねぇ、次回役にたつことがあったら言ってよ」と
自分の会社の名刺をくれた彼

バスに戻ると、スーツケースは届いていた。
タクシーが持ってきたという。
いったいどこで道草をくっていたのか、わからない。
出発はちょうど一時間遅れた。
一時間ですんでよかった、のか?
スーツケースがなくならなくてよかった、のか?
**
バスはツェルマットの谷の出口へ向かう。
Vispでローヌ川の流れと合流。
谷に沿って上流へドライブし、ゴムスの谷に入ってゆく。
良いお天気でバイク乗りがたくさん。

この谷の小さな村で「ホテル王」と呼ばれることになるセザール・リッツが生まれた。

谷のどん詰まりに(今は見えなくなった)ローヌ氷河の跡があらわれ
フルカ峠のジグザグ道が見えてくる※冒頭の写真。

★「氷河特急」と1930年に命名されたのはこの峠を通る時にローヌ氷河が眼前に迫っていたから。
1982年にフルカトンネルが開通し、難所でもあったこの峠の線路は廃線になった。
夏期にだけ、観光用の蒸気機関車が運行されている。
※2007,2008,2010年のフルカ峠、ローヌ氷河、復刻蒸気機関車の写真をこちらに載せています

↑フルカ峠のジグザグの左に白く見えている崖が
↑かつてローヌ氷河が盛り上がって流れ出していた跡。
今日の我々はグリムゼル峠をこえて、インターラーケンに通じるブリエンツ湖畔に降りていった。
2012年にはダムから抜けてこのホテルに送ってもらったなぁ。雨の中、アーレシュルフトの谷を歩いたなぁ。

今日は寄らず、標高546mのブリエンツ湖畔に出た。

ここからはロートホルンクルムへの鉄道が、
今も蒸気機関車で運行されている。
※2012年にロートホルンクルムに宿泊した時のブログをごらんください

それにしても暑い。
「スイスは涼しい」というイメージは
標高560メートルほどのこのブリエンツ、インターラーケンあたりでは満足させられない。

だからクルーズをしたかったのだが朝の荷物遅れで今日はその時間はとれない。
サンドイッチでも買おうとおもったら日曜日でコープも閉まっている。
一軒だけ開いていたのは、「シリヤ系スイス人(実はクルド人)」のやっているケバブのお店だった。

あんがい美味しかった(^^)
※この時のことについてはまた別に書きます
****

ブリエンツを出発しインターラーケンは素通りして、もっと涼しい今日の宿泊地をめざす。

標高1650mのミューレン村へ、シルトホルン展望台へのゴンドラに乗ろう↑とおもったら、乗り場駅が全面工事中でスーツケースを乗せるリフトがみあたらない。
ぐるっと一周すると、関係者用?のがみつかってひと安心。

乗り継いでミューレン駅到着。
宿泊するホテルのオーナーがスーツケースを運びに待っていてくれた。

ここまで来てやっと「スイスは涼しい」を実感できた(^^)

十五分もあれば通り抜けられるミューレン村は、アクセスしにくいからこそその美しさをたもっていられるのだろう。

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「モーゲン・ロート」のマッターホルンを見てからツェルマット駅⇒テーシュ駅へ

2023-07-09 10:42:09 | スイス
日の出五時半の少し後、リッフェルアルプ前を散歩する。
谷から立ち上がるマッターホルンの全景。
きのうの朝とはうってかわってひとかけらの雲もかかっていない。

「モーゲン・ロートだ」旅メンバーのお一人から共通LINEにコメントがあがる。

↑飛行機がゆっくりよこぎる↑

↑iPhoneでこんな写真も撮ってみたくなる(笑)

リッフェルアルプの方をふりかえると↑静かにテラスからマッターホルンを眺めている旅メンバーが手をあげてくださった。

あの部屋が連泊でとれる日付にあわせてこの旅を企画した意味はこの瞬間にある。

↑山頂にだけあたっていた光が裾野まで降りてくる

いつもは足を向けない喫煙室の窓からも


部屋に戻り、七時に朝食に降りた。

朝日が前庭のぜんぶに満ちてきた。

★リッフェルアルプホテルは1856年にアレキサンドル・ザイラーが小さくはじめた。
ザイラーはツェルマットを観光地として開拓していった一族である。
当時はイギリスをはじめとする王侯貴族の社交社会が厳然と存在しており、
冬の避寒地・南仏に対しての避暑地・スイスが開発されていった時期にあたる。
ツェルマットの谷には鉄道も到達しておらず、
リッフェルアルプはロバで10時間以上かかる「秘境」であったにもかかわらず
ザイラーは「ここは人気がでる」と確信し、
1884年までに無借金で・六年かけて・四階建て150ベッドのホテルを建設した。
目論見は成功。
「シャーロック・ホームズ」シリーズで有名なイギリスの人気作家コナン・ドイルは
1893年に長期滞在し、ライヒェンバッハの瀧や敵役モリアーティ教授の着想を得たとされている。

↑こちらの石にその記憶が刻まれている。
1898年にはスイス初の電化登山列車が開通。
1899年には280ベッドの大型ホテルに拡張された。
ここから第一次世界大戦がはじまる前までが隆盛のピークだったのかもしれない。

第一次大戦が終わるとオーストリア帝国は解体され、ドイツ帝国は共和国になり、
ヨーロッパの貴族社会は衰退していった。
1929年の世界恐慌では新興ブルジョアたちも大きな打撃を受ける。
観光は平和な世界の産物なのである。

第二次大戦後、アメリカが隆盛してきた時期だったが
1961年、リッフェルアルプの歴史ある本館が全焼してしまう。
復興はやっと1988年、40ベッドのホテルとして再スタート。
現在の建物が完成したのは2000年になってから。
***

09:08 発の列車でツェルマットへ降りる。

スーツケースはポーターさんの連携で、
バスの待つテーシュ駅の駐車場まで運ばれる予定。

↑こんなタクシー会社用のタグもつけられた。
五年前にはまだなかったサービス。

09:27ツェルマット駅到着。

09:35発の列車に、人間だけで乗り込む。
※以前はスーツケースを持って乗っていた

テーシュ駅に到着。
予約してあったチャーターバスとミート。
しかし…10時になってもスーツケースが届かない!

どうする?

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