ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

光陰矢のごとし

2014年05月06日 | えっせー
 ☆ お互いに年齢を再確認して
 6日は実家の父の命日だが、その日は歩行会のために今日行った。
実家のお寺は梅ヶ丘からバスで渋谷に行き、また都営バスの乗り換え田町行
きで「白金高輪駅前」で降りる。お寺は「大久保彦左衛門」の菩提寺でも
ある立行寺だ。父が亡くなってからすでに50年以上経つが、その頃私は
出産予定日が11日だったため、亡くなった直後に娘を連れて、タクシーで
父に会いに行き、お通夜にも告別式にも出席できなかった。
 仏用のお花を持ってタクシーに乗ったら、運転手さんが「三河島の事故です
か?」と聞かれたが、その何日か前に、あの頃はまだ国電だった三河島で、何人
も亡くなった大事故があった。その後すぐ生まれた息子は、早や50代になった。、
 私達夫婦は今でも時々昔話になると「子育ては楽しかったね」と話すが、年月の
流れは何と早いことだろう。

 お寺のもっとも高台で、代々住職の隣にある実家のお墓は、一昔前には東京タ
ワーが目の前で、空がとても広かったが、今はかろうじて六本木ヒルズが見える
程度で、視界が本当に狭くなってしまった。
 偶然だが昨年亡くなった親友の菩提寺も、実家と同じなので、いつも必ずお参り
するが、今日は彼女好みのピンクのお花を沢山供えた。
 亡くなった継母が年を取ってから、かなり勾配がきつい石の階段を「この階段が
とてもきつくて」とよく言っていたが、「我々もだんだんこの階段きつくなって
きたね。と言うことは私達もだんだんあの世が近づいてきんただね」と夫と
笑ったが、それは紛れもない事実だ。
 50年間は長いようで、とても短いと感じた父の命日だった。
 ※ 立行寺の山門と史跡「大久保彦左衛門」
  

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