【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

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大江健三郎氏が20代前半の書いた小説世界

2009-05-10 00:24:37 | 小説
大江健三郎『死者の奢り・飼育』新潮文庫、1958年
            
死者の奢り・飼育 (新潮文庫)
 「死者の奢り」「飼育」「他人の足」「人間の羊」「不意の唖」「戦いの今日」の6編が収められています。

 まだ、わたしが高校生だった頃、大江健三郎氏の小説にかぶれていました。あれから久しぶりに読んだわけですが、ディテールを忘却していたり、かつて受けた印象が異なる部分も多々ありました。

 「飼育」では、戦時中、山村に墜落した飛行機から落下傘で脱出したものの村民に捕えられた黒人兵士と村民(とくに子どもたち)との交流(最後は悲惨な結末)が描かれています。黒人兵士は地下倉庫に閉じ込められ、村民にいわば「飼育」されます。今回の再読では地下倉庫と外界との境界である「明かりとり」という用語が多様されていることに気づきました。

 「死者の奢り」に登場するのは、大学病院の水槽に解剖実習用として使われる死体の搬送に関わったアルバイト学生(わたし)と女子学生、そしてそれを監督する管理人。アルバイトの内容に手違い(死体を新しい水槽に移すことではなく、焼き場に運搬することだった)があったという顛末のことは失念していました。

 「人間の羊」は、バスの中で外国兵に脅されて猥雑な行為を受けた学生が、傍観者である教員からこの事件を訴えて出るように執拗にそそのかされ、屈辱的な状況に追い込まれる話です。

 その他、脊椎カリエス療養所のなかの人間関係を描いた「他人の足」にしても、また山村にジープで入ってきた外国人兵士の通訳が自身の盗まれた(らしい)靴をめぐって逆上し、最後は死にいたるという奇妙なストーリーの「不意の唖」にしても、さらに朝鮮戦争の最中、気軽な気持ちで始めた反戦活動が菊栄という娼婦と関係のある若い外国人兵士の脱走を幇助するはめになり思わぬ結末に帰結する「戦いの今日」にしても、特異な状況下での人間の心理と行動とが、独特の文体で独特の世界と描出されています。

 20代前半の青年によって書かれた小説とは思えない独特の文学世界です。

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