【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

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ヘミングウェイ「誰がために鐘は鳴る」(新潮文庫)

2016-10-28 01:02:04 | 小説

       

 2か月ほどかかってヘミングウェイの「誰がために鐘は鳴る」を読了しました。映画を観て、原作に関心をもったからです。


 原作者のヘミングウェイはこの映画を観て、失望したと伝えられています。最後まで見ることなく、退席してしまったとの話もあります。

 原作と映画の関係の難しさがあります。まず映画は2時間ほど、小説は読み始めると終わるまで相当かかります。2時間では、到底読めません。この制約は大きいです。映画の2時間は結構長いです。この間、途中でわからいところがあっても振り返ることはできません。読書ではそれができます。数ページ前から読み直すとかできます。また2時間、あきてしまって、退屈する映画は困りものです。観客をひきつけなければなりません。小説も退屈する叙述がえんえんと続くのは経営したいところですが、それでも何度も読み返すことで理解が深まり、面白くなるということはよくあることです。映画も最近はDVD化され、見直したりすることができるようになり、それは歓迎ですが、やはり映画は即興的に面白くないとなかなか受け入れてもらえないメディアです。

 話を戻して、「誰がために鐘は鳴る」の原作と映画との関係で言えば、映画のほうはゲーリー・クーパー演じるロベルト・ジョーダンとイングリット・バーグマン演じるマリアの恋愛がよりクローズアップされています。小説でも、二人の関係は重要で細かく描かれていますが、それはあくまでもスぺイン内戦の一齣での話です。小説ではロベルトが山中のゲリラ部隊に参入し、目的である橋梁の爆破という任務遂行がメインテーマで、ロベルトとマリアの恋愛はエピソードという感じです(エピソードというよりもっと大きな扱いかもしれませんが、映画の取り上げ方とはだいぶ違います)。

 原作と映画との関係は微妙で、(1)映画が原作の案だけをかりて、独創的に作られる場合、(2)原作に丁寧に忠実に映画に描く場合、(3)原作のある表層を切り取って映画化する場合、などいろいろです。「誰がために鐘は鳴る」は(3)でしょうか。

 注意しなければならないのは、映画を観て小説を読んだことにはならないことです。極端な場合、最後の部分(いわば結論)が全く違うこともあるので、要注意です。「誰がために鐘は鳴る」も最後の場面は負傷したロベルトとマリアの別れ、そしてロベルトの死ですが、描写の仕方は微妙に違います。






 

 


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