【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

米沢富美子『ふたりで紡いだ物語』出窓社、2000年

2010-08-05 00:57:00 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談
             
             
 

   著者は理論物理学(物性論)の領域でその業績がよく知られている人です。アモルファス(不規則系)の研究者として知られています。

 夫は証券会社で国際的な仕事をし、その後退職して日本で初のM&Aを手助けする企業を立ちあげましたが、60歳で肝臓の病で亡くなりました。本書はお二人の夫婦愛を紡いだものです。

 著者は自身の研究分野での軌跡を夫との共同作業と考えている節があります。その象徴が夫の名言。結婚か研究かを考えていた若いころに、「物理と僕の奥さんと、その両方をとることを、どうして考えないの?」、「がんばって二人のうちのどちらか一人でいいから、必ず博士号をとろうね」。また「人間、40歳までに人生が決まるんだ。僕もがんがるから君もがんばれ」、「最近、君が勉強している姿をあまり見なくなったよ。怠けているんじゃないのか」。

 二人の出会いは京都大学のエスペラント部。理学部に入学した著者がこの部に入ったときに2年先輩に米沢允晴さんが部長をしていました。運命の出会いでした。

 結婚後、海外での留学の経緯、博士号学位取得、アメリカでの生活、子育て(3人の女の子)の苦労、家族旅行、著者の京都大学基礎物理学研究所から助教授を経て、慶応義塾大学の教授として活躍するプロセスが、家族の愛情深い営みのエピソードとともに、入念に記録されています。

 著者は大病(子宮がん、乳がん)の死を覚悟した経験をもっているそうですが、それを克服して日本物理学会の会長に女性として初めて就任し、大役を果たした他、科研費重点領域研究プロジェクトのたちあげ、数々の国際会議での講演をこなし、まさに「化け物」的な活動ぶりを示しました。

 その最中に夫が倒れ、亡くなりました。友人、同僚、著者の弔辞と謝辞とが胸をうちます。

 著者はたぶんに自身の夫婦の歩みを与謝野鉄幹、晶子夫妻に重ね合わせ、「好きな歌」として晶子の歌をいくつか紹介しています。さらにかつて夫とともに歩いた旅路を再訪したことの記録に最後のページをあて、見事な夫婦愛の歴史を結んでいます。

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