【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

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米沢富美子『猿橋勝子という生き方』岩波書店、2009年

2010-08-04 00:12:45 | 自然科学/数学
            
            



 猿橋賞という、女性の自然科学者たちの功績をたたえ、彼女たちの存在を世に伝え、女性を励ますことがその目的である賞があります。地球化学者であった猿橋勝子が勤務先の気象研究所の退官記念のお祝いに贈られた資金をもとにつくられました。

 その猿橋勝子(1920-2007)の生き方の軌跡をまとめたのが本書で、第四回猿橋賞を受賞した物理学者の米沢冨美子さんが著しました。企画は5人の猿橋賞受賞者で練られたとのこと。

 猿橋勝子は1920年3月22日東京生まれ、電気技師であった父・邦治と母・くのの一人娘で、9歳離れた兄がいました。第6高女を卒業後生命保険会社にいったん勤めましたが、向学の志が強く帝国理学専門学校に入学(東京医専にも合格したが、面接官であった著名な吉岡彌生の横柄な態度に嫌気がさし、入学せず[この事情は本書51-55ページに詳しい])、在学中から中央気象台で研究を始めましたが、ここで生涯の恩師とでもいうべき三宅康雄にであいます。

 理専卒業後、大手町にあった中央気象台で正規の研究官として研究するようになり、オゾン層の解析から地球科学の研究に関わるようになります。さらに海洋における炭酸物質の測定問題に挑み、微量拡散分析装置を自ら開発、「天然水中の炭酸物質の挙動」で理学博士(東京大学)が学位授与されました(1957年)。

 猿橋の業績としては、1962年のサンディエゴにあるカリフォルニア大学スクリップス海洋研究所でのセオドア・フォルサム博士との放射能分析に関わる「分析測定法の精度競争」での成果がつとに有名です。猿橋の微量分析の方法が国際的認められることとなる契機となりました。

 猿橋は自らの研究成果に立脚し、人生の後半には核実験による放射能汚染の実態を訴えました。また日本学術会議会員として女性として初めて選らばれ、女性科学者の地位の向上と改善に貢献しました。

 著者は「エピローグ」で書いています、「人間・猿橋勝子を一つの言葉で表すなら、「直向き(ひたむき)」であろう。/何に直向きであったかのか。生きることに。科学に。自分の哲学に」と(p.109)。


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