【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

小松成美『勘三郎、荒ぶる』幻冬舎文庫、2010年

2012-12-27 12:43:51 | 古典芸能

           
   今月5日未明、中村勘三郎さんが亡くなった。歌舞伎界にとっていうまでもなく、演劇界にとって大きな損失だ。わたしが実際に観た勘九郎さんの舞台は、「桂春団治」「夏祭浪花鑑」「法界坊」の3作品。華のある役者だった。


   本書は、その勘三郎さんが勘九郎を名乗っていた頃、より正確には勘三郎襲名直前までの活動を、著者のインタビューによって構成した本である。勘三郎さんの生の声であり、その人柄が素直に出ていて、歌舞伎への愛情、古典へのこだわりと革新、観客に向かう姿勢と覚悟、父である先代の勘三郎はじめ先輩への尊敬、野田秀樹さん、渡辺エリさん、大竹しのぶさんなど演劇関係の友人との交流、妻である好江さんとの馴れ初めとその後の結婚生活、二人の息子と後輩への熱いまなざしなどが、くまなく書かれている。

  本書から知ることができたのは、勘三郎さんの伝統芸能である歌舞伎への強い想いで、それは例えば、古い資料の読み込みを行って、当たり前のこととして演じられてきたことが、意外とそこに誤解があり、勘三郎さんはその誤解を解きほぐし、かつての役者がいろいろと工夫していたことを掘り起こして演じなおしたことなどである(勘三郎さんはこの例として『藤娘』『京鹿子娘道成寺』『本朝廿四孝』あげている[pp.18-22])。また、歌舞伎は観客に喜んでもらわなければ意味がないとして、盛んに新しい試みをとりいれることに情熱を注いだことも勘三郎さんの功績だった。平成中村座のニューヨーク公演(2004年)、ドイツ、ルーマニアでの公演(2008年)、コクーン歌舞伎(『夏祭浪花鑑』他)など勘三郎さんの活動はとどまるところを知らない展開をみせた。

  そうした活動になぜ取り組んだのか、そこにどんな困難があったのか、また成果は何だったのかを、勘三郎さん自身が生の声で語っている。型を守るのではなく、型を破ること、歌舞伎の伝統、リテラシーは守りつつ、他の芸能や文化を取り込み、そこに「化学反応」をおこすこと、それが勘三郎流の歌舞伎哲学だった。

  その勘三郎さんの言葉、「走っていれば脛も打つし、傷を負って血もでるよ。でも、人は生あるうちにしか走れない。じっとして考えてばかりいるより、息急き切って走っているほうが、俺の性分に合ってるよ」(p.332)。