シカゴ学派、リバタリズム(自由市場主義者)で貨幣数量説を唱えた(「インフレは、いついかなる場合も貨幣的な現象だ」)の大御所であるミルトン・フリードマン(1912-2006)は、どういう人物で、どういうことを成したのか?
その思想、考え方には全く同意できまないが、政治・経済の分野で多大な影響力のあった経済学者であったのは事実なので、知っておく必要がある。
米国レーガン政権、英国サッチャー政権の新自由主義的改革の理論的バックボーンであったことは、つとに知られている。
ケインズ流の「大きな政府」に反対し、「小さな政府」を標榜した。資本主義経済が直面した経済不況(恐慌)の治療に、ケインズは財政政策を重視したが、フリードマンは貨幣政策に重きをおいた。
ケインズ政策とは、真っ向から対立している。市場経済、物価の安定、民営化、自由貿易、小さな政府、減税、変動性相場性、税率区分の簡素化、金融政策によるインフレ抑制など多くのメッセージを示した。これらは、現在各国で展開されている経済政策の中心をなすものばかりである。
他に、教育バウチャー制度の導入、麻薬の合法化、福祉削減などの提言も行ったが、違和感はぬぐえまない。
主な著作は「合衆国の貨幣史(アンナ・シュワルツとの共著)」「実証的経済学の方法と展開」「資本主義と自由」「価格理論」「選択の自由(妻との共著)」。
わたしは個人的には、国民経済計算の発展にフリードマンがどのような貢献をしたのかを知りたかったが、本書ではニューヨークの全米経済研究所(NBER)で国民所得関係の仕事をサイモン・クズネッツの助手として遂行していたいたことが簡単に触れられている程度だった(p.57-8)。
経済学の数学利用に関しては、コールズ委員会のようにそれを抽象的で、知的ゲームのように扱う方法論にはくみしなかったようだ(p.79)。MITの数学を駆使した方法論にも批判的だった(p.201)。
フリードマンがチリのピノチエット軍事政権に関与したり、中国、ロシア・ポーランドでの市場経済の推進にひとはだぬいだことは(pp.275-278)、本書でも触れられている。フリードマンがノーベル経済学賞を受賞したさいには、とくに前者の経歴をとりあげて、その受賞に反対する声が大きかったようだ(pp.244-5)。(フリードマンの弟子であるシカゴ・ボーイズが果たした役割についての記述もある[p.243]。)。
1-6章は幼少期から30年代前半、7-19章は学者として円熟期を迎えたシカゴ大学時代、20-24章はメディアで活躍した50年代半ばから晩年まで。巻末にネイサン・ガーデルスによるフリードマンのインタビューがある。