地球~イトカワ 宇宙60億キロの旅①
みんなの知恵 実った挑戦
昨年6月、小惑星の砂を地球に持ち帰るという、人類初の快挙を成し遂げた小惑星探査機「はやぶさ」。7年間、60億キロの往復飛行は困難の連続でした。満身創疲になりながら地球に帰還したはやぶさの冒険は、人々の感動を呼びました。計画の責任者、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の川口淳一郎教授に、はやぶさ探査を振り返りつつ、科学・技術や宇宙探査の意義について聞きました。
聞き手 中村秀生
小惑星探査機はやぶさ責任者 川口淳一郎さんに聞く
~東日本大震災の被災者のみなさんに、困難を乗り越えたはやぶさ責任者として、励ましのメッセージを。
川口 はやぶさは一時、通信が途絶えたりエンジンが停止するなど、もうダメかと思うことがありました。でも、がまんして続けていたら何とか地球に帰って来ることができました。被災者の方々には想像を超えるようなご苦労があると思いますが、ぜひ、がんばっていただきたいです。
地球大気圏に突入し、流れ星のように発光する小惑星探査機「はやぶさ」(JAXA提供)
小惑星イトカワに着陸するはやぶさ」の想像図(池下章裕さん)
~原発事故では、英知の結集が求められています。研究者としてどうお考えですか。
宇宙開発と原発
川口 今回、科学・技術が無力だと感じたことが二つあります。
一つは、直前に前兆と思われる地震がありながら地震予知ができなかったりしと。もつ一つが原発の問題です。科学・技術の産物であり、自分たちで作ったものが制御できないむなしさを感じました。
宇宙開発と原発は、似た構造的な問題を抱えています。どちらも外国からの技術導入で始まっているものが多く、リスクが大きいために実績のあるものが最優先にされます。2代目は1代目がなぜそうなっているのかを問わずに導入し、違うことをやる度胸が多分備わっていないのです。
原発のことは断片的にしか知りませんが、(地震・津波によって機能しなくなった)電源やポンプの位置などに“なぜ”がなかったのか。コピー文化の悲しさを感じました。
宇宙開発は、その場に行って修理できないことを前提に考えられていますが、原発がそうではないことに驚きました。宇宙開発の考え方をもってくれば、より安全なものがつくれるはずです。分野横断的な取り組みなど、科学・技術が役に立っていくべきです。
~はやぶさが、オーストラリア上空で燃え尽きてから、1年近くたちます。いま振り返っての気持ちを改めて聞かせてください。
太陽系の起源は
川口 燃え尽きたときの映像は、私の中で止まったままですね。1年たったとはとても思えない。ダメだと思った後に奇跡的に復旧するなど、最後までハラハラさせられましたが、いろんな機能があって飛行を完遂できました。はやぶさは良い子であり、指令をすべて実行してくれた良きパートナーでした。
はやぶさが地球に持ち帰った、小惑星イトカワの砂粒の電子顕微鏡写真。サイズは0.1ミリより大きめ(JAXA提供)
~小惑星イトカワの砂の本格分析はこれからです。砂粒にどんな価値がありますか。
川口 私たちが手にしたのは、出身地がわかっている試料です。初めて、限石との関係や地球の起源について確かな情報が見え始めました。時問をかけて分析することで、太陽系の起源や年齢がわかると期待しています。
私にとっても、人生の中で最も貴重なものの一つです。砂粒でしかありませんが、かけがえないものです。
~探査の成功に導いたチームワークとチャレンジ精神についてお聞かせください。
川ロ プロジェクトの設計・構想というのは、いろんな分野の人がそれぞれに挑戦するというブレンド(調合)作品なんですね。自分の分野で最善を尽くす意欲が最初から全員に備わっています。
それと、プロジェクトをつくりあげるのは自分たちだという意識です。他から指示されるのではなく、設計や運用の会議で自分たちの意見が何かを決めることに結びつくと。そういう意識があればこそ、積極的な提案が出てくると思うのです。
~危機に瀕して、いろんなアイデアが出てきましたね。
川ロ イトカワヘの着陸は、あらかじめ考えた方法ではできなかった。それで臨機応変に着陸や小惑星表面への誘導の方法をみんなで考えたのです。光の圧力を使って探査機の姿勢を制御することなど、言いだせばきりがないほど、いろんな工夫がありました。
(つづく)
「はやぶさ」の軌跡
小惑星の岩石試料を地球に持ち帰るという目的を掲げて、JAXAが2003年5月に鹿児島から打ち上げた宇宙探査機。2005年に小惑星イトカワに到達し、近傍からの科学観測、2度の離着陸に成功しました。ところが、その直後に燃料漏れで姿勢が乱れ、地球との通信が途絶。奇跡的に復旧したものの、地球帰還は3年延期。途中でエンジン停止などの困難を乗り越えて、地球への帰還を遂げました。
2010年6月に地球大気圏に突入し、着陸カプセルがオーストラリアに軟着陸。母船は燃え尽きました。同年n月には、カプセル内の微粒子がイトカワの物質であると判明し、人類は初めて小惑星の物質を直接手にしました。
小惑星は、太陽系が誕生したころの様子をよくとどめており太陽系の化石と呼ばれています。微粒子は今後、本格分析にかけられ、太陽系の過去の環境や惑星の成り立ちなどを解き明かすことが期待されています。
現在、イトカワとは別のタイプの小惑星をめざす「はやぶさ2」計画が進行中です。
「しんぶん赤旗」日刊紙 2011年5月5日付掲載
はやぶさ2に期待がかかりますね!わくわくします。
それにしても、原発事故で同じ科学者として、「宇宙開発は、その場に行って修理できないことを前提に考えられていますが、原発がそうではないことに驚きました」と語っているように、安全対策は万全ではなかったのですね。
原発は、宇宙ほどではないにしても、「近づけない」ことに対応できるスペックはもともとなかったのですからね。
みんなの知恵 実った挑戦
昨年6月、小惑星の砂を地球に持ち帰るという、人類初の快挙を成し遂げた小惑星探査機「はやぶさ」。7年間、60億キロの往復飛行は困難の連続でした。満身創疲になりながら地球に帰還したはやぶさの冒険は、人々の感動を呼びました。計画の責任者、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の川口淳一郎教授に、はやぶさ探査を振り返りつつ、科学・技術や宇宙探査の意義について聞きました。
聞き手 中村秀生
小惑星探査機はやぶさ責任者 川口淳一郎さんに聞く
かわぐち・じゅんいちろう 1955年、青森県弘前市生まれ。工学博士。JAXA宇宙科学研究所教授。京都大学工学部機械工学科卒業、東京大学大学院工学研究科航空学専攻博士課程を修了。旧・文部省宇宙科学研究所(現JAXA)に入った後、ハレー彗星(すいせい)探査機、火星探査機など数々の宇宙探査ミッションにかかわり、はやぶさ計画では責任者を務めました。 |
~東日本大震災の被災者のみなさんに、困難を乗り越えたはやぶさ責任者として、励ましのメッセージを。
川口 はやぶさは一時、通信が途絶えたりエンジンが停止するなど、もうダメかと思うことがありました。でも、がまんして続けていたら何とか地球に帰って来ることができました。被災者の方々には想像を超えるようなご苦労があると思いますが、ぜひ、がんばっていただきたいです。
地球大気圏に突入し、流れ星のように発光する小惑星探査機「はやぶさ」(JAXA提供)
小惑星イトカワに着陸するはやぶさ」の想像図(池下章裕さん)
~原発事故では、英知の結集が求められています。研究者としてどうお考えですか。
宇宙開発と原発
川口 今回、科学・技術が無力だと感じたことが二つあります。
一つは、直前に前兆と思われる地震がありながら地震予知ができなかったりしと。もつ一つが原発の問題です。科学・技術の産物であり、自分たちで作ったものが制御できないむなしさを感じました。
宇宙開発と原発は、似た構造的な問題を抱えています。どちらも外国からの技術導入で始まっているものが多く、リスクが大きいために実績のあるものが最優先にされます。2代目は1代目がなぜそうなっているのかを問わずに導入し、違うことをやる度胸が多分備わっていないのです。
原発のことは断片的にしか知りませんが、(地震・津波によって機能しなくなった)電源やポンプの位置などに“なぜ”がなかったのか。コピー文化の悲しさを感じました。
宇宙開発は、その場に行って修理できないことを前提に考えられていますが、原発がそうではないことに驚きました。宇宙開発の考え方をもってくれば、より安全なものがつくれるはずです。分野横断的な取り組みなど、科学・技術が役に立っていくべきです。
~はやぶさが、オーストラリア上空で燃え尽きてから、1年近くたちます。いま振り返っての気持ちを改めて聞かせてください。
太陽系の起源は
川口 燃え尽きたときの映像は、私の中で止まったままですね。1年たったとはとても思えない。ダメだと思った後に奇跡的に復旧するなど、最後までハラハラさせられましたが、いろんな機能があって飛行を完遂できました。はやぶさは良い子であり、指令をすべて実行してくれた良きパートナーでした。
はやぶさが地球に持ち帰った、小惑星イトカワの砂粒の電子顕微鏡写真。サイズは0.1ミリより大きめ(JAXA提供)
~小惑星イトカワの砂の本格分析はこれからです。砂粒にどんな価値がありますか。
川口 私たちが手にしたのは、出身地がわかっている試料です。初めて、限石との関係や地球の起源について確かな情報が見え始めました。時問をかけて分析することで、太陽系の起源や年齢がわかると期待しています。
私にとっても、人生の中で最も貴重なものの一つです。砂粒でしかありませんが、かけがえないものです。
~探査の成功に導いたチームワークとチャレンジ精神についてお聞かせください。
川ロ プロジェクトの設計・構想というのは、いろんな分野の人がそれぞれに挑戦するというブレンド(調合)作品なんですね。自分の分野で最善を尽くす意欲が最初から全員に備わっています。
それと、プロジェクトをつくりあげるのは自分たちだという意識です。他から指示されるのではなく、設計や運用の会議で自分たちの意見が何かを決めることに結びつくと。そういう意識があればこそ、積極的な提案が出てくると思うのです。
~危機に瀕して、いろんなアイデアが出てきましたね。
川ロ イトカワヘの着陸は、あらかじめ考えた方法ではできなかった。それで臨機応変に着陸や小惑星表面への誘導の方法をみんなで考えたのです。光の圧力を使って探査機の姿勢を制御することなど、言いだせばきりがないほど、いろんな工夫がありました。
(つづく)
「はやぶさ」の軌跡
小惑星の岩石試料を地球に持ち帰るという目的を掲げて、JAXAが2003年5月に鹿児島から打ち上げた宇宙探査機。2005年に小惑星イトカワに到達し、近傍からの科学観測、2度の離着陸に成功しました。ところが、その直後に燃料漏れで姿勢が乱れ、地球との通信が途絶。奇跡的に復旧したものの、地球帰還は3年延期。途中でエンジン停止などの困難を乗り越えて、地球への帰還を遂げました。
2010年6月に地球大気圏に突入し、着陸カプセルがオーストラリアに軟着陸。母船は燃え尽きました。同年n月には、カプセル内の微粒子がイトカワの物質であると判明し、人類は初めて小惑星の物質を直接手にしました。
小惑星は、太陽系が誕生したころの様子をよくとどめており太陽系の化石と呼ばれています。微粒子は今後、本格分析にかけられ、太陽系の過去の環境や惑星の成り立ちなどを解き明かすことが期待されています。
現在、イトカワとは別のタイプの小惑星をめざす「はやぶさ2」計画が進行中です。
「しんぶん赤旗」日刊紙 2011年5月5日付掲載
はやぶさ2に期待がかかりますね!わくわくします。
それにしても、原発事故で同じ科学者として、「宇宙開発は、その場に行って修理できないことを前提に考えられていますが、原発がそうではないことに驚きました」と語っているように、安全対策は万全ではなかったのですね。
原発は、宇宙ほどではないにしても、「近づけない」ことに対応できるスペックはもともとなかったのですからね。