天皇陵と大地震予知~過去の亀裂で周期がわかる
「立ち入り検討」 吉井前議員に政府答弁
9月1日は防災の日。過去の地震を調べる地震考古学が提唱され、地震予知の資料が豊富になっています。宮内庁が立ち入りを制限している古代の天皇と皇族の墓(陵墓)にも、巨大地震の跡があり、調査できる可能性がでてきました。
岡清彦記者
マグニチュード8以上の巨大地震が、「いつ起きてもおかしくない」といわれる東海地震などとの関係で注目されているのが地震考古学です。
遺跡の発掘調査から地震跡を見つけ、1988年に地震考古学を提唱したのが産業技術研究所の招聰(しょうへい)研究員の寒川(さんがわ)旭さん(62)です。
地震考古学は、過去の地震データにもとづいて、将来の地震予知につなげることを目的としています。地震が起きると、地下の砂層で液状化現象が発生し、上をおおう地層を引き裂いて、地面に噴砂が上昇します。盛り土をした古墳では、地すべりが起きます。
遺跡から地震跡が確認された典型例が大阪府高槻市の今城塚古墳です。
考古・歴史学界では、6世紀の継体大王の墓というのが定説ですが、宮内庁が陵墓に指定しておらず、高槻市が発掘調査しています。
「今城塚古墳は、有馬-高槻断層帯の上に築かれています。発掘調査で、1596年の慶長・伏見大地震のさい、墳丘が引き裂かれて、一部が周濠(しゅうごう=堀)にまですべり落ちていたことがわかりました」(寒川さん)
国宝の壁画で知られる高松塚古墳(奈良県明日香村)は、壁画のカビのために取り外され、古墳の調査がされました。
「ここでも墳丘に亀裂がたくさん見つかりました。東海、東南海、南海地震に何度もおそわれたのではないか」(同)
日本共産党の吉井英勝衆院議員(当時)は、6月24日の衆院内閣委員会で、陵墓を管理している宮内庁に質問しました。その後も2回、質問主意書を麻生首相に提出しました。
吉井 地震考古学の研究では、誉田御廟山(こんだごびょうやま)古墳(応神陵古墳、大阪府羽曳野市)や大山古墳(仁徳陵古墳、同堺市)などでは、巨大地震の痕跡が認められる。都市防災のためにも広く公開することが大事だと思う。
宮内庁 学術研究上、必要であれば立ち入りを考える余地はある。
質問主意書への回答でも、「国、地方公共団体から、都市防災上の観点により…立ち入り調査の要請があれば、検討することもありえる」と、これまでにない前向きの答弁をしました。
日本考古学協会などが陵墓公開運動を始めて30年。08年2月、学会や協会の要望で初めて立ち入りが実現(奈良市の五社神“ごさし”古墳)しました。吉井質問はこれにはずみをつけるものです
日本列島は、フィリピン海プレート(岩盤)など、プレートに囲まれているために、巨大地震が起きてきました。太平洋側の静岡から紀伊半島、四国にいたる海には、南海トラフ(くぼみ)があり、このトラフのひずみがはじけて、東から東海、東南海、南海と呼ばれる巨大地震が起きています。
陵墓は歴史のものさし
西谷正・九州歴史資料館館長、前・日本考古学協会会長の話
陵墓には、代表的な巨大古墳がふくまれ、築かれた時代も広範にわたっています。「歴史のものさし」になるもので、資料的価値が非常に高い。宮内庁の主張する、陵墓の「静安と尊厳の保持」と考古学などの科学的調査の両立は可能です。
国会で、陵墓の公開や調査について、党派を超えて継続して議論してもらうことは大事なことだと考えます。
誉田御廟山古墳などの墳丘に残された地震の痕跡を調べることは、地震考古学の発展にとっても重要な役割を果たすものと考えられます。
「しんぶん赤旗」日曜版 2009年8月30日付より転載
「立ち入り検討」 吉井前議員に政府答弁
9月1日は防災の日。過去の地震を調べる地震考古学が提唱され、地震予知の資料が豊富になっています。宮内庁が立ち入りを制限している古代の天皇と皇族の墓(陵墓)にも、巨大地震の跡があり、調査できる可能性がでてきました。
岡清彦記者
マグニチュード8以上の巨大地震が、「いつ起きてもおかしくない」といわれる東海地震などとの関係で注目されているのが地震考古学です。
遺跡の発掘調査から地震跡を見つけ、1988年に地震考古学を提唱したのが産業技術研究所の招聰(しょうへい)研究員の寒川(さんがわ)旭さん(62)です。
地震考古学は、過去の地震データにもとづいて、将来の地震予知につなげることを目的としています。地震が起きると、地下の砂層で液状化現象が発生し、上をおおう地層を引き裂いて、地面に噴砂が上昇します。盛り土をした古墳では、地すべりが起きます。
遺跡から地震跡が確認された典型例が大阪府高槻市の今城塚古墳です。
考古・歴史学界では、6世紀の継体大王の墓というのが定説ですが、宮内庁が陵墓に指定しておらず、高槻市が発掘調査しています。
「今城塚古墳は、有馬-高槻断層帯の上に築かれています。発掘調査で、1596年の慶長・伏見大地震のさい、墳丘が引き裂かれて、一部が周濠(しゅうごう=堀)にまですべり落ちていたことがわかりました」(寒川さん)
国宝の壁画で知られる高松塚古墳(奈良県明日香村)は、壁画のカビのために取り外され、古墳の調査がされました。
「ここでも墳丘に亀裂がたくさん見つかりました。東海、東南海、南海地震に何度もおそわれたのではないか」(同)
多数の発掘や古文書が残っている関西地方の調査の結果、寒川さんは、東南海、南海地震は7世紀の飛鳥時代以降、100~200年ごとに起きているといいます。(表) 寒川さんは、この周期から、「21世紀の前半に、巨大な南海、東南海、東海地震が起きるかもしれない」と語ります。 文字がなかった古墳時代(3世紀中ごろから7世紀中ごろ)以前も、遺跡の発掘調査から地震の痕跡がわかりました。 |
日本共産党の吉井英勝衆院議員(当時)は、6月24日の衆院内閣委員会で、陵墓を管理している宮内庁に質問しました。その後も2回、質問主意書を麻生首相に提出しました。
吉井 地震考古学の研究では、誉田御廟山(こんだごびょうやま)古墳(応神陵古墳、大阪府羽曳野市)や大山古墳(仁徳陵古墳、同堺市)などでは、巨大地震の痕跡が認められる。都市防災のためにも広く公開することが大事だと思う。
宮内庁 学術研究上、必要であれば立ち入りを考える余地はある。
質問主意書への回答でも、「国、地方公共団体から、都市防災上の観点により…立ち入り調査の要請があれば、検討することもありえる」と、これまでにない前向きの答弁をしました。
日本考古学協会などが陵墓公開運動を始めて30年。08年2月、学会や協会の要望で初めて立ち入りが実現(奈良市の五社神“ごさし”古墳)しました。吉井質問はこれにはずみをつけるものです
日本列島は、フィリピン海プレート(岩盤)など、プレートに囲まれているために、巨大地震が起きてきました。太平洋側の静岡から紀伊半島、四国にいたる海には、南海トラフ(くぼみ)があり、このトラフのひずみがはじけて、東から東海、東南海、南海と呼ばれる巨大地震が起きています。
陵墓は歴史のものさし
西谷正・九州歴史資料館館長、前・日本考古学協会会長の話
陵墓には、代表的な巨大古墳がふくまれ、築かれた時代も広範にわたっています。「歴史のものさし」になるもので、資料的価値が非常に高い。宮内庁の主張する、陵墓の「静安と尊厳の保持」と考古学などの科学的調査の両立は可能です。
国会で、陵墓の公開や調査について、党派を超えて継続して議論してもらうことは大事なことだと考えます。
誉田御廟山古墳などの墳丘に残された地震の痕跡を調べることは、地震考古学の発展にとっても重要な役割を果たすものと考えられます。
「しんぶん赤旗」日曜版 2009年8月30日付より転載