仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

ラジオドラマ『古事記』を少しだけ聴く。

2005-11-04 05:48:21 | テレビの龍韜
NHKFMのラジオドラマ『古事記 神代篇』をMDに録音し、さわりだけ聴いてみました。

けっこう面白い。さすが市川森一、よく書けている(歴史や民俗を素材とした幻想譚を書かせたら、現在の日本でこの人の右に出る脚本家はいない。『もどり橋』『幽婚』『風の盆から』など、名作数多し)。研究者の立場から文句をつければキリがないですが(元明朝で漢風諡号を使っているなど)、『書紀』と『古事記』の相違など明らかに神野志説が踏まえられていて、安心して物語にのめり込める。
個人的に、何より「すばらしい!」と思ったのは、稗田阿礼に古代的歴史叙述(水と樹木の備わった場で神降ろしして行われる、神語りとしての歴史語り)を、藤原不比等に中国的歴史叙述(現在に通じる近代的歴史叙述として表現。未開世界におけるモダン、ということですね)を代表させ、それぞれの結実として『古事記』『書紀』を位置づけ、そのあいだで揺れ動く知識人として太安万侶を描き出すという三極の構図。阿礼の語りも、歌や舞、儀礼を織り交ぜて行われ、安万侶自身がオオクニヌシの役をふられたりする(そうなんですよ、古代的な〈という時代区分はもはや適当でない気もしますが〉史・伝のあり方というのは、後人が範としてそれを生き直すことにある!)。安万侶は不比等に軌道修正を迫られながら、阿礼の語りから甦る様々な神々の姿に魅せられてゆく。
新たな『古事記』論としても、興味深かったですね。実は、古代的歴史叙述の復原、近代的古代論批判という点では、ぼくがこんど、早稲田古代史の報告でやろうとしていることに通じているんですよね。来年からの講義にも使えそうだなあ。

ほんとうにさわりの部分しか聴いていないので、またゆっくりと、想像力に満ちた時間に浸りたいものです。
Comment    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 表象文化論学会(仮称)! | TOP | 間に合うか? »
最新の画像もっと見る

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Recent Entries | テレビの龍韜