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歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

古代仏教史研究の現状

2006-09-02 18:50:59 | 書物の文韜
吉田一彦著『古代仏教をよみなおす』

吉川弘文館

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大学の先輩でもある吉田一彦さんから、上記の書物をご恵送いただきました。まずは御礼申し上げます。『日本書紀』における仏教関係記事(公伝から崇仏論争、聖徳太子の記述まで)の批判から始まり、天皇号の成立、律令国家仏教論批判、道慈と行基の活動、東アジアのなかの神仏習合、『日本霊異記』にみえる多様な古代仏教の姿、女性と仏教の関係に至るまで、吉田さんがこれまで取り組んでこられた主要なトピックが、一般向けに平易に解説されています(すなわち書き下ろしではなく、そういう目的で書かれた原稿を採録した、一種の論文集ということです)。「古代仏教の入門書」という触れ込みですが、まさに研究の最前線をゆく質の高い本と思います。しかし、ある意味では〈通説〉とはいいがたい内容も含むわけで、「入門書」というより完全な研究書として読まれるべきものでしょう。

私が研究を始めた当時、失礼ながら、吉田さんはまだ〈数多いる仏教史研究者の一人〉に過ぎませんでした。すでに、(とくに僧尼令の検討を通じて)律令という厳格な法体系が社会にも貫徹していたとする通説的立場を批判されていましたが、未だそのベクトルは少数意見に止まっていたように思います。私も、行基を扱った第一論文で吉田説を批判し、律令法の運用には時期的差異を認めねばならず、一概に空法であったとはいえないという文章を書いたように記憶しています。しかし、毎年夏に開催される全国規模の日本宗教史懇話会サマーセミナーや、仏教学と仏教史学との総合をはかった日本仏教研究会の主要メンバーを務められるなかで、吉田説は多くの支持者を拡大してゆきました。私もその渦中で大きな影響を受け、神仏習合や『書紀』研究について、吉田説を補完する論考を発表しました。ご本人に自覚があるかどうかはともかく、吉田さんは、いまや仏教史研究の権威のひとりとなっています。が、拡散して未だに収拾がつかない(ままに途絶しようとしている)聖徳太子論争とは対照的に、国家仏教論の是非をめぐっては未だちゃんとした議論が行われていないように思います。吉田説に賛同する声が大きくなるにつれて、かつて国家仏教論を主唱していた研究者、とくに吉田さんより一世代上の方々はほとんど発言をしなくなりました。国家論の枠組みに固執し続ける歴研系の研究者も、若手も含めて何もコミットしません(かといって、彼らが吉田説を肯定しているわけではなく、未だに「読んだこともない」人も多いのが実状です)。これは健康な状態とはいえないでしょう。私自身は〈仏教史〉という枠組みから急速に興味を失っているので、恐らく正面から批判を浴びせることはないでしょうが、
○吉田説の「古代社会には、国家の仏教もあり、氏族の仏教もあり、民間の仏教もあった」という多様論は、それぞれの仏教のあり方を閉鎖的に実体化し、それぞれがいかに関係しお互いを構築していたかを対象化していないこと、
○吉田説の史料批判のあり方が、『日本書紀』や「元興寺縁起」に対するものと、『日本霊異記』に対するものとでは大きく異なること(前者には極めて厳格でありながら、中国的パターンを濃厚に受け継ぐ説話集である後者には、すぐに古代の実態をみようとする)、
○『書紀』仏教関係記事の道慈述作説に対する批判(森博達説など)に充分答えようとせず、道慈が直接叙述したのか、それとも間接的に(例えばプロデューサーのような存在として)関わっただけなのかを明確に区別していないこと、
など、機会のある度に公言してきました(文章に書いたことも、ご本人に直接申し上げたこともあります)。吉田さんご自身は、本書で扱ったテーマへの言及はこれを区切りに終了し、もうひとつのライフワークである真宗研究へ本格的にとりかかろうとされている気配があります。吉田さんにその気があるうちに、もう一度彼の言説をきちんと検討し、今後の研究へ活かしてゆく必要を強く感じますね。

どうも、古代仏教史研究は、吉田さん以外元気のない情況なんですよね。ただ、佐藤文子さんの僧尼制度研究など、吉田説を組み換えうる新たな動向も確実に生まれつつあります。最近、ぼくのなかでは「古代仏教は遠くなっている」のですが、何らかの形で接点は持ち続けてゆきたいと思っています。
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