く~にゃん雑記帳

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<喜光寺> 南大門、行基堂に続き仏舎利殿も完成

2021年02月25日 | 考古・歴史

【〝いろは写経〟などで伽藍を次々に復興・整備】

 奈良時代の高僧行基(668~749)ゆかりの古刹喜光寺(奈良市菅原町)が創建1300年を記念して建立していた「仏舎利殿」が完成した。伽藍の復興・整備としては南大門(2010年)、行基堂(2014年)に続くもの。この寺院は法相宗大本山薬師寺の別格本山。約30年前に当時の薬師寺管主(かんす)高田好胤師の命で送り込まれた現住職の山田法胤師(薬師寺長老)によって、かつて荒れ放題だった境内は見違える姿となって輝きを取り戻した。

 喜光寺の創建は721年。古くは「菅原寺」と呼ばれていたが、参詣した聖武天皇から喜光寺という寺号を与えられたという。行基はこの喜光寺を東大寺の大仏建立の勧進の拠点として全国を行脚した。行基が東大寺造営に当たって喜光寺本堂を参考にしたという伝承もあって、本堂は〝試みの大仏殿〟とも呼ばれている。現在の本堂は室町時代の1499年の再建で、国指定の重要文化財。行基はこの寺で82歳の生涯を閉じた。喜光寺はその命日の3月2日に毎年「行基會大祭」を開いており、今年もご遠忌法要や柴燈大護摩供養、相撲甚句の奉納などを予定している。

 南大門は朱塗りの楼門様式で、450年ぶりに復興された。左右に祀られた阿形と吽形のブロンズ像(高さ3.3m)は彫刻家中村晋也氏(文化勲章受章者)の作。仏舎利殿はこの南大門を入って左手の境内西南角に位置する。黄金色の宝珠がまばゆいばかりの輝きを放つ。殿内中央にインドで製作された釈迦像が祀られ、壁面は「千佛」として信者の位牌や遺品などを安置する「永代供養室」に当てられる。当初3月20~21日に落慶法要を予定していたが、コロナ禍により延期されることに。ただ開眼の法要はひと足早く2日の行基會大祭のときに行うそうだ。

 創建当時の本尊は不明で、今は平安時代の木彫寄木造りの阿弥陀如来坐像(重要文化財)が本尊として祀られている。像高は2.33m。脇侍は観音菩薩と勢至菩薩。傷みが激しい本尊は保存修理に出されていたが、昨年5月、坐像本体の修復が終わって本堂に戻ってきた。台座の蓮台は来年、光背は2025年に修理が完了する見込み。寺復興の浄財集めの一環として続くのが「いろは写経」の奉納(納経料2000円)。山田法胤住職の発案で始まったもので、写経は南大門上層の内陣に収められる。

 境内には万葉歌碑に続いて2010年には会津八一(1881~1956)の歌碑も立てられた。「ひとりきてかなしむてらのしろかべに 汽車のひびきのゆきかへりつつ」。八一は大正時代に二度一人でこの寺にやって来た。その時、荒廃した寺の惨状を目の当たりにし深く嘆いてこの歌を詠んだという。八一が100年後の今の姿を目にしたら、どんな歌を詠むのだろうか。喜光寺はハスとミズアオイの栽培にも取り組んでおり、花の寺としての知名度も高まっている。

【山田法胤著『ブッダに学ぶ とらわれない生き方』】

 薬師寺長老で喜光寺住職の山田法胤師は「薄墨桜」で有名な岐阜県根尾村(現本巣市)のご出身。7人きょうだいの上から6番目。父親は戦後まもなく事故で亡くなっていた。「男の子が5人もおるんやったら、一人ぐらい坊さんにしてもらったら」。母親へのそんな勧めもあって、中学3年のとき薬師寺に入山した。1956年のこと。当時の薬師寺管主は橋本凝胤師、その一番弟子が高田好胤師だった。67年から約30年間管主を務めた好胤師は〝アイデア和尚〟として修学旅行の誘致や写経勧進による伽藍復興などに尽くした。

 

 この間、山田師も伽藍担当主任として生徒たちの案内役を担当し、執事長、副住職を経て2009~16年、法相宗管長・薬師寺管主を務めた。本書は管主時代の11年7月に出版された。この年3月には東日本大震災が発生、福島第一原発事故で安全神話はもろくも崩れ去った。その時繰り返し使われた言葉が「想定外」。これに対し山田師は「想定外とは人間の理解不足にすぎない」とし、「人間はもっと謙虚に自然の叡智に学ばなければならない」と指摘する。

 出版の直前、薬師寺では国宝東塔の大修理着工の法要が営まれた。列席者には白いご飯に梅干が一つのった日の丸弁当が配られた。「大震災の復興を願いつつ、私たちの心も復興したい。そのことを噛み締めるために、みんなで60年前のご馳走だった日の丸弁当を食べました。西洋的文明でいくのか。自然のなかにかたよらない尊い生き方を考え、動物も鳥も魚も共存する生き方をするのか。とらわれない心で、日本の未来を考えたのです」。それから10年。東塔は大修理を終えた。コロナ禍で落慶法要の日程は未定だが、それに先立って3月1日から内陣の一般公開が始まった。


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