25歳から29歳位まで、池袋のいわゆる「裏っかわ」に住んでおりました。テレビドラマ「池袋ウエストゲートパーク」で有名になる前のことです。とりたてて健全な街、というわけでもありませんが、決してドラマのようなバイオレンスな街でも無い(無かった)んですよ。子供の頃も比較的そば(クルマで30分ほど)に住んでいましたし、その後通った高校や大学への経由駅でもあったんで、僕にとってはとても馴染み深い街なんです。
その当時、「純然たる飲み仲間、遊び仲間」というのがおりました。男女混合、年齢も下は20歳から上は50歳オーバーまで。勿論仕事もバラバラで、会社員、学生、プータロー、アルバイト、携帯売り、運転手、マッサージ師、お好み焼き屋、そしてミュージシャン(そして、なぜかこれだけは複数名(笑))。ただ、皆近所に住んでいた、という共通点があっただけで、いつのまにか、ほんとうに毎日のように空いている誰かが集まって、飲んだり、遊んだりしていたんです。
いつだったか近所に(=僕らのテリトリーに(笑))、「O」という居酒屋がオープンしました。カウンターが5席程と、4人掛けのテーブル席が4つ程の、小さなお店でした。オープン間もなく、様子見半分で行った仲間が、「ケンちゃん、O、すげーいいよ。今夜でも行こうよ。」と誘ってくれ、和風の小奇麗な雰囲気と、お店一杯に貼り出された安くて豊富なメニューと、なによりもケラケラとよく笑う、小さくて華奢なママさん(僕より少し年上だったと思います。)の明るい人柄に惹かれて、間もなく僕達の一番の集合場所になったんです。
あっという間に常連さん(笑)。カウンターに座ってると、向かい合わせのオープンキッチンから、ママさんが「あのさー。」と、メニューに無い料理を出しながら「お腹減ってるなら、これも食べてみて。美味しかったらメニューにしようと思うんだけど。どうかな。」って、よくサービスで色々とご馳走にもなりました。大抵、シンプルな炒めものとか、煮物でしたが、「簡単そうな料理ほど難しい」って言いますよね。そのOでは、どれも本当に美味しかったんですよ。
僕らが、12時の閉店頃になってもまだワイワイと飲んだくれていると「私も一緒に飲もうかな」って言って、ママさんも交えて、改めて飲み直し(笑)。いい感じで酔ってくると、「もう、適当に飲んでいいからね。ここからはお勘定も、いいわよ。」という、実に気風(キップ)のいいママさんだったんです。そのままよく皆でビリヤードとかボウリングに行ったりもしてました。
ある晩、やっぱり閉店後に暖簾を仕舞ってから長々と、賑やかに飲んでいた時のことです。その日、後から合流した仲間(ミュージシャン)の一人が
「ママ、お腹減ってるんだよね。何か作ってくれないかな。」と言うと、
「いやだ断る。もう酔ったし、めんどくさい(←ここらが実に面白い人でした(笑))。」
「えー。」
「じゃあ厨房勝手に使っていいから、なんか自分で作りなさいよ。冷蔵庫にあるもの、どれでも好きに使っていいから。」
「おれ、料理できないってば。」
「なんだよー。男のくせに。自分の食べるもんぐらい、作りなさいよよよ(←ほんとに酔ってる)。」
というわけで、ここで、僕が、登場するんです。拙者、腕に覚え・・・あり(笑)?
「あー、もう。じゃあ、俺がなんか作ってやるよよよよ(←やはり酔ってる(笑))。」
「えー?ケンちゃん、料理できんの?」
「やれそう。」「やれなそう。」「いや、結構上手そう。」「不味そう」「危ない、キケン。」
等と、色々な声の中、「うるさい、君達はだまって飲んでなさいいい。」と、厨房に入り、冷蔵庫から豚肉と玉子、玉葱、長葱、野菜不足のミュージシャンの為に確かあの時はピーマンとニンジンも入れたかな?、まぁそんなこんなをお借りして、簡単ですが、チャーハンを作ったんです。
しかしあの時、何がビックリしたって、あの中華屋さんなんかで使ってる、ゴーゴーと火力の強~いコンロです。中華なべを持つ手が、あっという間に燃えるように熱くなって、「プロはこんな火を操って調理しとるのか」と、とにかくあれはですね、ほんとにビックリしましたですよ。プロって凄いー。
で、無事にチャーハン完成。
「どうぞ召し上がれれれ。」
と、たぶんそこそこ美味しく出来たので、少々自慢げにテーブルに持っていくと、
「ケ、ケンちゃん、これ!」
「ふふふ(どうだ)。」
「ほらここ!」
「なんだね?」
「白いご飯がまだ固まってるよ。」
「はうぅ・・・」
まぁ、そんなもんです(笑)。でもね、「どら、私にも少し頂戴」と、ママさんが食べて、一言。
「んーと、ケンちゃんって、音楽の仕事ない日って、何してんの?」
「ん、何って。ここで飲んでるけど(笑)。」
「じゃあ、お店手伝いなさいよ。暇なときだけでいいから。ご飯とお酒は好きなだけ付けるから。結構美味しいわよ、これ。」
「へ?まじすか?」
仲間にも、味はおおむね好評でしたブィ。
というわけで、それからほんとに何度かでしたけど、うーん、10回とか、せいぜいもうちょっと位だったような。その後わりとすぐに引っ越しちゃったんで、仲間には幻の店員と呼ばれてましたが(笑)、まぁ買出しと皿洗いに毛の生えたようなことしかしませんでしたけど、でも、それまで飲んでいたカウンターの内側に入って、時々本当に鍋振らせて貰ったりしましてね。いやぁ、あれは面白い経験だったなぁ。しかし自分の作ったチャーハンとか食べてくれるお客さんの一口目だけは、毎回どうしても気になって確認しちゃうんですけどね(笑)。気、小さっ(笑)。
料理って、面白いですよね。またいつか、ああいうお店で働いて(=修行して)みたいです。友人に聞いたのですが、「O」はまだあるそうです。ママさんも結婚(再、失礼っ(笑))して、幸せだそうで、なによりです。
あー、あの時の一番印象深い失敗談(色々やりましたけども)はですね。
4名様のお客さんの注文取りに行ったら、大量の料理の注文をいただいたんで、「やるぜっ」って、ママさんと二人でザックザックと一通り料理作って「お待たせしましたー!」って、勢い勇んで持って行ったら、「あの、すいません、最初に頼んだビールがまだなんですけど。」って言われたとき・・・あれは真剣に冷や汗が出ました。もー、平謝りでしたYO。
見えるところで作ってたわけですし、お客さんも多分、僕を見てて「あのひと、絶対ビール忘れてるよなー」って思ってたと思うんですよね。あーあ、今思い出しても申し訳ないですわ。僕が、他人様のものとは言え、ぶわっの事を忘れるなんて(笑)。ママさんがサービスで一杯おまけして出させてくれて、事なきを得ましたけど、苦笑いで済ませてくれたお客さんで良かったですよー(笑)。
まー、こんな感じでですね、何やっても、おっ・・・(笑)。
でも、お蔭様で、そこそこ楽しく生きております。
写真は、最近食べたザーサイの和え物です。こういうお通しなんかも毎回違ってて、楽しかったんですよ。あ、僕の作ったお通しが採用されたこともありましたしねっ(喜)。ちなみに、それはオクラと茗荷と大葉を細かく刻んだものに、軽くポン酢で味付けしただけのものだったんですけどね。今は季節じゃないかもですけど、よろしかったら、いつかお試しくださいませ。さっぱりしてて、美味しいですよんー。
でははー。