大震災で、宮城県南三陸町の隣、登米市、旧知の先輩の住む歴史的建造物?が壊れ、
職人不足のため、修復も何年先か分からなくなっていた。
そこにウルドゥー語が堪能で、インド通の彼へ「放射能汚染から逃れて」とばかり、
インドの大学が、日本語教授の仕事をあっせんしてくれたようだ。
手続きで、紆余曲折もあったけれど、現地へ旅立った。
3、4年は滞在するようだ。
で、ムンバイ、昔のボンベイである。
神田の印度式居酒屋、どんなのだろう。
昼間はカレー屋さんのようだけど、まだ、入っていない。
何かあっても、「ノープロブレム!」と言われるのだろうか。
職人不足のため、修復も何年先か分からなくなっていた。
そこにウルドゥー語が堪能で、インド通の彼へ「放射能汚染から逃れて」とばかり、
インドの大学が、日本語教授の仕事をあっせんしてくれたようだ。
手続きで、紆余曲折もあったけれど、現地へ旅立った。
3、4年は滞在するようだ。
で、ムンバイ、昔のボンベイである。
神田の印度式居酒屋、どんなのだろう。
昼間はカレー屋さんのようだけど、まだ、入っていない。
何かあっても、「ノープロブレム!」と言われるのだろうか。