kazuフォトローグ

「徒然なる日常」を写真で語ります。

戸栗美術館なんて知らなかった。

2016年12月20日 | アート

テニス仲間のk氏に、渋谷区松濤にある戸栗美術館の招待券を頂いた。
なんだ?こんな美術館知らないぞと思った。
が、展示が伊万里・鍋島焼の年代ものとあって食指が動いた。

井の頭線神泉駅から歩いて7,8分。
豪邸の並ぶ一角に美術館はあった。
石塀が続く邸宅に、一体どんな人たちが住んでいるのだろう。

それはさておき、戸栗美術館である。
あの小佐野賢治の補佐をしていたという実業家戸栗亨の7000点にも及ぶ伊万里・鍋島焼、中国・朝鮮の東洋陶磁のコレクション。
その一部が展示されている。肥前磁器に興味ある人には必見の美術館だ。

現役のころ、14代酒井田柿右衛門に会い、その人柄の良さに打たれたことを思い出す。
時代ごとの展示を見ると、当時、日常雑器だった磁器が観賞用磁器に変わっていったことがよくわかる。

江戸時代、海外へ大量に輸出されていたことには驚かされた。
日本人の繊細な技術が、当時の西欧人の心をとらえたのだろう。

気になって、家にある染付の小鉢の裏を見たら、鍋島の印があった。
いいものはやはりいいものだ、ということを実感した。



「ゴッホとゴーギャン展」に行ってきた。

2016年12月17日 | アート
気になっていた、都美術館の「ゴッホとゴーギャン展」に行ってきた。
会期末は混むと聞いていたが、平日のせいか行列はなかった。

子供のころからゴッホの絵が好きだった。
が、実物を見ることはなかった。

筆遣いがなまなましい。
厚塗りを始める前は、ゴーギャンと感覚的に似ていた。
それがどんどん離れていく。
ゴッホはあくまで明るい世界、ゴーギャンは暗くなり、人の内面に入っていく。

ゴッホが、精神の異常をきたすころの絵を見ると、こちらも息苦しくなっていく。
長い間見ていられなくなり、30分ほどで会場を出た。

これまで好きだと思っていたのだが、エキセントリックな世界についていけなくなった。
が、アルルの病院から見た田園風景を描いた「収穫」は、精神もだいぶ落ち着いていたせいか、
安心して見ることができた。

絵を描きたい、生きるすべが絵しかないというのは、どんな世界なのだろうか。
分からない。



善は急げ?

2016年11月23日 | アート
芸術の秋、上野をはじめ、あちこちで美術展などが開かれている。
とても、全部を見に行くことはできない。

とりあえず、善は急げ、とばかり、東博の「禅ー心をかたちにー」へ行ってきた。
ま、「達磨さんの原点だ」程度の知識しか持たずに訪れたら、
これがとんでもなく奥が深かった。
戦国時代の武将たちが帰依し、日本の歴史の流れを作る根幹になっていた。

それだけ追い詰められた人間の心のよりどころだったのだ。
宗教が芸術を生み出すことは、西欧文化で知っているつもりだったが、
禅宗が、これほどまで人々の心をとらえていたことは初めて知った。

第一会場を見るだけで、十分だったが、第二会場も力を振り絞って見た。
2時間、まじめに見たら、疲労困憊。
人間の生きる様(さま)に向き合うことは、疲れるということを実感させられた。

この絵にまた会える!

2016年10月12日 | アート
2年前、恵比寿の山種美術館で、速水御舟の「炎舞」(大正14年)を見て衝撃を受けた。
それが、再び公開される。
「開館50周年記念特別展」速水御舟の全貌ー日本画の破壊と創造ー

他の絵は覚えていない。が、もう一度見たいと思った。
日本画はさほど好きではないものの、速水御舟は別である。

幸い日経新聞販売店から招待券をいただいた。11月下旬までの期限付き。
まだ先は長い。さて、いつ行こうか。

巨大パチンコ玉?

2016年07月25日 | アート
再度の登場。
上野・都美術館の2階休憩所から、球形のオブジェが見える。
いささか不謹慎かもしれないが、まるで巨大なパチンコ玉のようだ。
円盤のような台からずれ落ちているように見えることにも、初めて気がついた。
太陽の影が別の台に見えるのも面白い。
「…光と影」と名づけたのは、そこに由来するのか。

ヘブンアート? 動かない人

2016年07月22日 | アート
上野公園で、奇妙なものを見た。
全身紫色の人間を模したオブジェかと思った。
一定のポーズをとって、微動だにしない、瞬きもしない。
なんなんだ、このパフォーマンスは!

しばし、見とれてしまった。
外人の観光客が、前にある小さなボックスにコインを入れた。
と、オブジェが、動き出し、ボックスの中を確認すると、足元のベルを押し、礼をして、またもとのポーズに戻った。

パントマイムならぬ動かぬ人である。しゃがんでいるならまだしも、台の上に立ちっぱなし。
東京都が企画した「ヘブンアーティスト事業」の一環らしい。
審査に合格した人の、公共の場所での芸術活動を都民に親しんでもらおうというものだそうだ。

それにしてもこの暑さの中で、ようやるもんだ。

ポンピドゥー・センターってなんだ?

2016年07月20日 | アート


フランスのポンビドゥー元大統領のことは知っていたが、ポンピドゥー・センターのことはまったく知らなかった。
7月第3水曜日、都美術館の高齢者無料の日、「20世紀の巨匠たち、ぞくぞく」のキャッチフレーズにひかれ「ポンピドゥー・センター傑作展」を観に出掛けた。
―ピカソ、マティス、デュシャンからクリスト―まで、とあれば、心ときめくではないか。
同じパリにあるオルセー美術館が19世紀の作品を展示しているのに対して、こちらは20世紀のアートだという。

普通、美術館鑑賞と言えば、有名画家や彫刻家の作品を目的に行く。
が、今回はみごとに裏切られた。1906年から1977年まで、1年1作1人を選んで展示しているのだ。
無論上記のような日本で有名な画家・彫刻家のものもあるのだが、71作品の中では、ほんのわずか。
後は日本では知られていないアーチストである。

しかし、それらの作品が、また魅力的なのだ。
無名の天才という解説があった。

71人が、自らの創作あるいは芸術について語っている言葉も重かった。
それを読み、プロフィールを見るだけで、かなりの時間を要した。
普通に絵を見、ふむふむと納得して通り過ぎるわけにはいかないのだ。
何しろ、一人ひとりの人間の創作への意欲を垣間見るのだ。

約束した待ち合わせの1時45分が過ぎ、がっくり休憩所の椅子にもたれてしまった。
相方はまだ出てこない。

暇つぶしに目の前の壁を写してみた。
それなりのアートに見えるではないか。


こんなに疲れる美術展は初めてだ。
なにも根を詰めずに見ればいいのだが、この企画展のアイディアは称賛するしかない。
よく考えれば、わが生きてきた人生71年と向き合うことになるのだ。


そう思い、1945年はと目を向けて見たら、作品はなく、エディット・ピアフ「バラ色の人生」の声が流れていた。
正確にいえば、この曲は1946年だ。

カメラ爺としては、M.ディートリッヒの「リリー・マルレーン」にしてほしかった。
もともと第二次世界大戦中、ドイツ軍の慰問レコードのひとつだったが、イギリス軍も共に戦場で聞き、故郷を思い、涙を流したという。

ぎりぎりの戦中生まれとしては、「バラ色の人生」より「リリー・マルレーン」のほうが共感を覚えるのだが…。








上から目線?

2016年07月01日 | アート
上野・某美術館休憩所からの眺め。
梅雨の合間の曇り空に、傘をさす人は一人だけ。

レンガタイル?の眺めが、角度によって、さざ波にも見える。
もし、これが単なるコンクリートだったら、味気ないだろう。
が、美術館への誘いだとしたら、これもまたアートと言えるかもしれない。

どうしたもんじゃろの~

2016年06月19日 | アート


上野の森、国立西洋美術館の前庭。
ロダンの「考える人」の前で、像を見るでもなく、話をしている外人さんがいた。
これでは有名な彫刻も形なしである。

「考える人」も「トト姉ちゃん」を見ていたら、タイトルのような言葉をつぶやいているかもしれない。