今日は、横浜で慶事。
元町経由で、山下公園方向へ。
この桜は、ワシントンからの里帰り桜の接ぎ木だそうだ。
知らなかった。
ニューグランド。
感等大震災後に建てられた伝統のあるホテル。
歴史的建造物。
レストランからの眺めもすばらしい。
料理も、一つ一つおしゃれ。
このロゴは初めて見た。
いつできたのだろう。
マリンタワーとニューグランド。
横浜を代表する景色。
飛鳥Ⅱが停泊中だった。
しばらくお休みしているが、そろそろ稼働するようだ。
帰りにそごうの宮城物産展で、美味しいもの大量調達。
これは、メインの逸品。
その他、牛タン、かまぼこ、牡蠣、シソ巻、ずんだ持ちなどなど。
懸案のブログ引っ越しも開始。
カウントは、89247になっているが、これは、AOLブログから引っ越して以降のもの。
また、ゼロカウントに戻ると思うので。
ところがこれがたいへん。
10MB毎にしか引っ越しできず、時間が永遠にかかる。
4GB以上あるのに、引っ越しにどれだけかかるのか?
ロシアによるウクライナ侵攻が続いている中で、平和を訴え続けたジョン。
悪の枢軸は、北朝鮮、イラン、イラクのはすだったが、核を持っているロシアが、ならずもの国家であったというのは、想定外。
世界の平和維持の枠組みに対する殴り込みで、これをどう処理するかで、今後100年の流れが変わってくる。
鑑定団級の珍品をゲット。
1974年9月4日に、Walls and Bridges を共に製作していた、ギタリストのJesse Ed Davisに送った手紙。
こちらは、封筒。
9月5日付。
封筒の差出人は、S.M.I.L.E.Sとあるが、Sound & Music In The Lower East Sideの略らしい。
レコード屋さんか?
住所は、496?Broome Streetとあるようだ。
消されていて、判然とはしないが。
宛名の方は、当時Jesse Ed Davisの住んでいたマリナ・デル・レイの住所が、ジョンの手で書かれている。
裏は、ジョンの手で、facial doodleで封がしてある。
当時のジョンの手紙の封は、みな同様のfacial doodleでなされている。
そして、これが中の手紙。
Jesse patti billyの3人宛て。
Jesseは、バングラデッシュのコンサート映像で初めて知った。
インディアンの血を引いていることがすぐわかる。
1944年生まれで、1988年に、ドラッグの過剰摂取で亡くなっている。
Taj Mahal、Clapton、John、George、Ringo、Leon Russel、Facesなど、多数のミュージシャンと共演したギタリストだ。
Pattyは、パートナー、Billyは、息子。
ジョンのWalls and Bridgesでは、リードギタリストとして、大きく貢献。
このアルバムは、私が、初めて、ジョンの新作を予約してゲットしたアルバムで、ジョンの子供時代の絵を使ったジャケットやボブ・グルーエンの写真も評判になった。
もちろん、ソロで、初のNo1 ヒットになったWhatever Gets You Thru the Nightをフィーチャーし、アルバム自体もNo1 を記録した。
レコーディングは、1974年7月から8月に行われ、リリースは、1974年9月26日。
まさに、この手紙が出された直後になる。
ロスでのLost Weekendを終え、ジョンは、ニューヨークに戻っており、Record Plant Eastで本アルバムで製作された。
9月には、アルバム製作を終えて、Jesseは、ロスに戻っていたことになる。
前置きが長くなったが、まず、Jesseからの手紙がありその返信であったらしい。
Tony Kingが誰なのかわからないが、レコードを修正しているとあるので、何等かの手直しの依頼が、Jesseからジョンに対してあり、ジョンがTony(エンジニア?)へ、修正を依頼したということだろう。
そして、息子の誕生日おめでとうと、赤のインクで、タイピング。
その後、自分は、奴隷監督のようだと言っているが、いろいろ指示するのに忙しいということだろうか。
フィルの準備ができてうれしいとあるが、これは、フィル・スペクターがテープを持ち逃げして中断していたRock'n Rollアルバムの製作が再開できるという意味だろう。
そして、9月20日に、2日間、ロスに行くと言っている。
これは、サンフランシスコのラジオ局のインタビュー(21日)に応じるためのものだったと考えられる。
新アルバムの宣伝も兼ねていたのだろう。
新アルバムが完成し、よくできたようだ、”OK”と満足である歯\明している。
最後にall the bush とあるが、all the best(ごきげんよう)のbestを語呂合わせで、bush(茂み)という言葉に変えたのではないかと推測される。
差出人が、Johnとyamとある。
当時は、まだYokoと復縁していない時期。
一方、ジュリアンとの関係が修復された時期であり、Walls and Bridgesの最終曲が、ジュリアンとの共演のYa-Ya。
おいしいということを、子供言葉でyammyというが、そこから来た表現であると推測される。
そして、ジョンのサイン代わりにfacial doodle。
そして、さらに、手紙のスペースが余ったので、四角を書いて、このスペースは、レントのためと、ジョークを飛ばしている。
ということで、ジョンのユーモアが散りばめられている手紙ということで、最高の1枚と思うのだが、いかが?