かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

検証戦争責任

2007年09月04日 | Books
瀬島龍三さんが亡くなられた。ご冥福をお祈りする。陸軍の参謀として活躍し、シベリア抑留後、財界、政界で活躍された。気骨のある軍人としては、最後の生き残りだったかもしれない。御年95歳というから、終戦の時は、33歳。まだ、気鋭の参謀という地位だったのかもしれない。軍人としての敗戦の経験、長期に渡ったシベリア抑留生活が、瀬島さんの、考え方の根っこになっていたことは間違いないだろう。別に、みんなどん底の経験をという訳ではないが、そういう経験をした人の身になって考えると、もっと違う生き方が見えてくる場合もあるかも知れない。

横浜選挙区のK参議院議員も流石に諦めたらしいが、周りからは、遅すぎたとしか見えない。

今日、たまたま、Y新聞戦争責任検証委員会による検証戦争責任Ⅰ・Ⅱを読了した。1年位前に、出ていることは知っていたのだが、当時、たくさんその手の本が出ていたので、今まで読んでいなかった。とある洋雑誌で、Y新聞社が、この手の本をまとめたのは、画期的だとの書評を見たので、遅まきながら、読んでみた。

そんなに”さきの戦争”(本書では、昭和戦争と呼んでいる)について詳しくはないのだら、この本は、そういった人については、うってつけかなと思う。昭和戦争については、書く人によって、どうしてもバイアスがかかるので、真相がつかみにくい。この本は、なるべく客観的に、フラットな立場で書かれているように思う。

読んでみると、もちろん当時者達の責任が最も重いのだが、明治憲法制定時の軍事統制権限の所在の曖昧さと、その憲法を論じることががアンタッチャブルになったことが、重要な伏線になっていたように読める。軍隊をコントロールする責任が、最終どこにあったのかが曖昧なのである。そして、恐ろしいレベルまで、暴発した。
天皇のようにも見え、確かに、決定的な場面(2.26事件の処理、終戦の決断)では、登場するのだが、その他の場面では、天皇の意思は無視され、政治と一体化した軍人が、全ての作戦を、なんの論理的根拠(勝算)もないまま、決定していってしまった。これは、張作霖事件の時、天皇が権限を発動したことを憲法違反だと非難された反動だったという。それにしても、それで、300万人以上の日本人と、やはりとてつもない数の外国人の命を奪ったことのいいのがれは、できない。
ただし、一般人には、天皇の権限(統帥権)の元、この戦争が行われていると映っていた。

文人政治家がA級戦犯として処刑されたことについての疑問を持っていたが、本書では、極めて重要な責任があったと断じている。いわゆるA級戦犯として処罰された人と、本書で、戦争責任ありという人は、8割方重複する(重複しない人も少なからずいるが)。

今まで、どっちかというと右よりと思われていたY新聞(=○○ツネ)が著したところに、この本の重みがあると思う。靖国問題、戦争責任などに興味のある人は、まず手始めに読んでみることをお勧めする。その上で、今の中国、ロシア、アメリカ、朝鮮の動き、発言を見ると、自分なりの考えも持てるように思う。特にロシアについては、違和感を覚えるかもしれない。持てるものは、いつの世も強いのだが。議論を敢えて避けている題材もある(慰安婦問題など)。さらなる研究・議論に任せているということなのだろう。

”ればたら”と言ったらおしまいかもしれないが、本書を読むと、米に牙を向いた時点で(真珠湾攻撃を行った時点で)、日本軍の負けは決定し、後は、なりゆき任せの動きを続ける中、いつ敗戦を認めるかという程度の差だったのではという感じもする。結果は、ほとんど最悪だが、本当の最悪の本土決戦まで行っていたら、今の私達は、いなかったかもしれない。最後の最後まで、本土決戦を主張していた軍人も少なからずいたのである。
コメント
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