かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

おくのほそ道2007 その3 毛越寺

2007年09月25日 | Tohoku ( Japan )
ミャンマーの様子がきな臭くなってきた。天安門の二の舞だけは、避けて欲しい。僧侶は丸腰だから、政府側の対応が、注目される。



平泉で、中尊寺の次に有名なのが、毛越寺(もうつうじ)。850年に慈覚大師が、この地を訪れたのが、起こりだという。今回行った、毛越寺、中尊寺、立石寺(山寺)、瑞巌寺の4寺とも、慈覚大師による建立で、四寺廻廊というキャンペーンも行われているようだ。すごい方だったのだろう。

毛越寺は、かつては、広大なお寺だったが、今は、庭園の池と、礎石等が残るのみ。でも、当時の京の美の真髄が、この地にコピーされていたことが、実感できる。雄大な美の世界。



池には、池中立石、築山、州浜などが、残っているのが、わかる。



この遣水(やりみず)は、平安時代の遺構としては、日本唯一のものという。

バスで行くと、時間が限られるが、是非、池を一周してもらいたい。その広大さと、優美さの一端が体感できる。
中学生に来た時の記憶より、随分整備されたような気がする。今後、どう整備を進めるのか知らないが、中途半端に再建するよりは、このまま浄土庭園として生かして欲しい。再建するなら、徹底的に、平安の美を再現して欲しい。
萩祭りが始まっていたが、まだ初日で、盛り上がりには欠けた。



夏草や 兵どもが 夢の跡

は、芭蕉さんが平泉で残した有名な句。その句を刻んだ石碑が、2つ並んでいて、その左側(これ)が、芭蕉さんの真筆であるという。元々、義経一家が滅ぼされた高館(後日ご紹介予定)にあったのを、移したものだ。場所としては、高館の方が合うが、毛越寺に訪れる人の方が多いから、これでもいいかな。
毛越寺は、合戦の場ではない。義経が討たれたころは、まだ現役の大寺院だったろうし、芭蕉さんが訪れたころは、もっと荒れ放題だったろう。
コメント
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