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見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

毛皮にくるまれて/もうすぐ絶滅するという紙の書物について(U. エーコ、J.C. カリエール)

2011-02-07 23:49:24 | 読んだもの(書籍)
○ウンベルト・エーコ、ジャン=クロード・カリエール『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』 阪急コミュニケーションズ 2010.12

 電子書籍元年だというので、巷には関連本があふれている。本書も、いかにもそれふうのタイトルに加えて、「紙の本は、電子書籍に駆逐されてしまうのか?」と静かに煽るコピー。おお、エーコ先生さえも、紙の書物の消滅を案じていらっしゃるのか、と思って、手に取ってしまったが、ちょっと待て。原題は「N'espérez pas vous débarrasser des livres」、直訳すれば「本から離れようったってそうはいかない」の意味で、簡単に紙の本が無くなるなんてあり得ない、という盤石の自信に基づき、老練な二人の愛書家が、書物に対する愛情を語り合った対話編である。

 登場人物は、ボローニャ大学教授にして小説家のウンベルト・エーコ(1932-)と、フランス人の映画・舞台脚本家、ジャン=クロード・カリエール(1931-)。フランス人小説家・ジャーナリストのジャン=フィリップ・ド・トナック(1958-)が進行役をつとめる。

 全編にわたり、あふれる博学、ひらめく警句が楽しい、450ページを超える大著で、確かに冒頭の100ページほどは、書物が今まさに迎えようとしている技術的革新を話題にしている。しかし、二人の愛書家は、自信をもって、紙の本は完成した道具だという。「本は、スプーンやハンマー、鋏(はさみ)と同じようなものです。一度発明したら、それ以上うまく作りようがない。スプーンを今あるスプーンよりよいものにするなんて不可能でしょう」。笑ってしまった。なんという説得力。

 しかし、一面では、技術上の革新、新しい道具の出現は、我々に思考習慣の再編を迫り続ける。その結果は、直近の過去が現在を圧迫し、未来は大きな疑問符の姿として立ちはだかるという「現在の消失」となり、我々に「終身学習刑」を強いる。むかしは、一定の学習期間が終われば、覚えたことは死ぬまで役に立ったのだ。夢みたいな話である。

 以下、インターネットが与えてくれる玉石混淆の記憶と情報の大海。フィルタリングの必要性。炎(天災、焚書)の検閲によって、失われた書物と残った書物。傑作は最初から傑作なのではなく、読まれることによって(数々の解釈が堆積することによって)傑作になっていくという説。一方に、時の流れに耐えながら、再評価の日をじっと待っている作品もある。…このあたりは、電子書籍とは何の関係もない話である。でも面白い。

 本書に対しては、隙のない学術的考察や洞察は期待しないほうがいい。それよりも愛書家の両氏が、どんなきっかけで「書物崇拝」に入信し、どんな本を集めてきたか、死んだあと蔵書をどうしたいかなど、具体的な話題のディティールを楽しむほうが賢い。

 私がとても気に入ったのは、カリエールの友人が語ったという、以下の比喩。「私のある友人は、自分の蔵書を暖かい毛皮に喩えていました。本があると、暖かい、守られているような感じがするというんです。…世界じゅうのあらゆる概念、あらゆる感情、あらゆる知識、そしてあらゆる間違い(→※ここ重要)に囲まれていることで、安心と安全の感じが得られるんですね。…書物が無知という危険な霜から守ってくれるんです」。毛皮かあ。考えたこともなかった。

 ただし、両氏が念頭においているのは、あくまで西欧の書物である。インドの「マハーバーラタ」や敦煌文書のエピソードも多少は出てくるが、東アジアの書物史への言及が少ないことは残念に思った。訳文は品があって好ましい。
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