見もの・読みもの日記

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家族の絆/文楽・芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)

2011-02-05 21:34:30 | 行ったもの2(講演・公演)
国立劇場 2月文楽公演『芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)』『嫗山姥(こもちやまうば)』(2011年2月5日)

 『芦屋道満大内鑑』は、見どころ「葛の葉子別れの段」と舞踊的な要素の強い「蘭菊の乱れ」。しっとりした、いい構成だった。初めて見たときは、「大内の段」「加茂館の段」「保名物狂の段」「葛の葉子別れの段」「信田森二人奴の段」という構成だったと思うが、ラストが賑やかすぎて、興醒めだった記憶がある。髭面の奴・野干平(やかんぺい)を名乗って現れるキツネは、保名の妻と同一キツネなの?というのが、よく分からなくて、混乱した。今回は、物語の前段が完全に省略されているので、少し展開が分かりにくいかもしれないが、まあ日本人にはなじみ深い異類婚姻譚だし、大きな問題はないと思う。

 異類婚姻譚は各国にあるが、日本のものがいちばん好きだ。「結ばれてはいけない」という禁忌性がほどほどにあって、超えてはいけない一線を超えて引かれ合う、恋人たちや家族愛の純粋さが切ない。やっぱり「もののあはれ」の国だと思う。キリスト教文化圏だと、動物が人間に戻ってめでたしめでたしか、そうでなければ、動物と人間の婚姻からは妖魔しか生まれないと思う。中国もちょっと違う。

 キツネの妻に去られた保名と、母を失くした童子と、その母代わりになろうと決意した葛の葉姫の三人の、肩を寄せ合うような立ち姿に、私は妙に感動してしまった。こういう家族――自然な血縁で結ばれた家族ではないけれど、家族になろうという意志で結びついた家族って、いつの時代もリアルにあったんだろうなあ、と思って。

 初めて見た「蘭菊の乱れ」は、音曲も(清治さん!)振付も、あと舞台装置も美しかったけど、仲間のもとに戻ったあのキツネは、やっぱり異端者として後ろ指さされるのだろうか。キツネの世界にも人間の世界にも、身の置きどころなく生きていくのだろうか、と想像して、切なかった。

 そんな思い入れを誘われるくらい、舞台がよかったのである。葛の葉役は、吉田文雀さんの予定だったが、直前に休演が決まって、吉田和生さんが代演していた。何度も舞台を見ている和生さんだが、こんなに感動させられたのは初めてのことだ。よかった。

 『嫗山姥』は、妹に敵討の先を越された坂田時行が、わが身を恥じて自害すると、その魂が恋人の遊女の胎内に入って転生するとともに、その恋人を怪力の山姥に変えてしまうという、まさに奇譚。現代の同人誌作家でも、ここまで荒唐無稽なストーリーは着想しないだろう。そういえば、浮世絵に多い山姥と金太郎の図が、そこはかとなく色っぽいのは、金太郎が転生した恋人であるせいか?(エディプス・コンプレックスか)などと思った。
コメント (2)
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