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柄目木庵

良寛さまに思いをよせながら。

冬休み

2009年01月07日 | 旅行など
 しばらくのご無沙汰をしていました。

 お正月のあわただしさも一段落しました。
私たちは、長男家族の冬休みに、お付き合いすることになりました。

 スキーにカラオケ、温泉三昧、できれば寝ていたい、などそれぞれの希望を満たし、かつ安くすむところ。
あそこしかない、そう「大湯温泉だ!」、ということで2泊となりました。

 初日は、雨混じりの雪模様。
お正月前には「志賀高原スキー場」で、華麗なスキー裁きの孫「Yくん」であったが、さすがに「大湯」の雪には悪戦苦闘のようでありました。

         

 じつは、例年であれば、身の丈ほどの積雪なのに、あまりにも小雪である。
世情も不安であるが、自然界も「驕れる人類へのつけ」を突きつけているようで不安を覚えてしまいます。

     

 それでも、スキーにそり遊び、カラオケ、昼寝、温泉や読書三昧、論文の推敲完成など、それぞれがまあまあの満足感を得たようでした。

               

 お帰りの今日は快晴となりました。
道の駅「ゆのたに」で、お土産などを買いました。
そして「小出IC」で、二家族はそれぞれ、東京方面、新潟方面へと走りました。

 さきほど、無事到着したという電話が入りました。
 今日で「冬休み」も終わりですね。

上州の旅 4

2008年12月09日 | 旅行など
 今日(6日)は、いよいよ上州から越後に帰る日となった。
昨夜の雨、霧など、うそのような快晴となりました。

 女房が昨夜、温泉につかりながら仕入れた情報によれば、この「老神温泉」のすぐ近くに「吹割の滝(ふきわれのたき)」があるとのことでした。
「日本の滝百選」にも選ばれているとか。
まずは、その滝を目指しました。

 知らなかったとは言え、なんともすばらしい撮影ポイントでした。
まだ時間的にも早いので、観光客もわずかでした。
私のセンスの悪さ、腕の悪さなど意識している暇も有らばこそ、滝つぼに落ちないように注意するだけ。
カシャ、カシャと150枚は、あっというまのことでした。

                      
               
   
                       
          

 この頃になると、ぞくぞくと観光客が押し寄せてきていました。
話し言葉から、どうも外国からの観光客も多いように思われました。

 私どもは、とても満足した気持ちでした。
足取りも軽く、わがチャレンジャーは一路、越後を目指しました。

 なんとトンネルを抜けると雪でした。
そうか、この「雪の風物」への挑戦が次の課題だな、などとつぶやきました。

上州の旅 3

2008年12月08日 | 旅行など
 今日は旅も3日目(5日)です。

 ここ伊香保に来たからには「石段街」を散策しないことには、話にならないのだそうです。
ホテルからちょっとの所でした。これから300数段の階段通りを楽しんできます。

 伊香保そして石段街には、多くの文人たちが保養などで逗留していたようです。ゆかりの温泉宿もありました。
両側にあるいろんなお店などをのぞいたり、写真を撮りながらの登りは、ぜんぜん疲れることはありませんでした。楽しいばかりでした。 

  
        
        与謝野晶子の文を掘り込んだ石段がありました。
             
             目を楽しませてくれる、色とりどりの雑貨などのお土産やさんが、何軒もありました。
                    
                    「てんてまり」という小さな喫茶店に、つい入ってしまいました。飾ってある「てまり」に思わず「良寛さま」を思い出していました。

                 
             
     
     ようやく「伊香保神社」にたどり着くことができました。
オフシーズンの今は、さほどの賑わいではありませんでした。それが逆に伊香保の情緒をたっぷりと味わせてくれたように思います。

 私たちは、この後「徳富蘆花記念文学館」でたっぷり時間をとりました。
外に出ると、雨でした。いよいよ出発の時間でした。
霧にけぶる伊香保の町を後にして、関越道に乗りました。


 やがて「沼田IC」から高速を下りて、一路今宵の宿「老神温泉」に向かいました。途中から濃霧の中を山間部に入ってきました。このようなとき「ナビ」はほんとに心強い味方でした。

 このような秘境にも多くのホテルなどがあるので、びっくりしました。
宿の駐車場に滑り込んで、ほっとしました。
今までのところ、到着してまず一風呂、就寝前に一風呂で温まって、朝方は洗面(髭剃り)で入浴の一日3回ペースです。
今宵も温泉三昧といきましょう。

上州の旅 2

2008年12月07日 | 旅行など
 上州への旅、二日目(4日)のことでした。

 愛車チャレンジャーは、伊香保から「榛名湖・榛名富士」を目指しました。

 伊香保の町に入り、途中たいへんな賑わいをみせている「水沢観音」に参拝、旅の無事をお願いしました。
              
                   
           六角堂では、経文の車を手で次々と回していく人たちが、ひっきりなしでした。
温泉観光地の伊香保に、このような賑わいの寺院があることは知りませんでした。

 
 かなり海抜の高いところにある伊香保の町を、やがてはるか下のほうに見るまでに、車はぐいぐいといくつもの急カーブを登っていきました。
まさにシーズンオフでしょうか、人気のない湖が現れました。
  
           
                
      榛名湖の周囲を回りながら写真に撮りました。
榛名湖と榛名山のコンビは、どこから見ても美しかった。榛名富士の別名も納得であった。
ほぼ海抜1000mの湖岸から榛名山頂上(1300m)へのロープウェイがありました。
さっそく、頂上へ。頂上からは、やや霞んだ榛名湖、遠く白銀の「赤城山」なども望める大パノラマが展開されていました。
         

 この榛名湖の周囲のいたるところに「イルミネーション」設置工事の最中であった。残念ながら点灯は12月10日からであるとか。
さぞかし美しい「光と湖と山」のコラボレーションが見れることでしょう。

 この時期、日暮れ時があっという間にやってきます。
「伊香保温泉」のホテルへと急ぎました。        
            
 

上州の旅 1

2008年12月04日 | 旅行など
 昨日は、ここ上州に入って、「谷川岳」の写真を撮ることができました。

 今朝ほどは湯檜曽のホテルからの書き込みです。

 溢れる湯、おいしいご馳走、私たちシニアを和ませるバックグラウンドミュージック「オールディーズ」の数々。まあ満足でした。


  「この辺に昨日撮った谷川岳の写真を入れましょうね。場所を予約しておきました」。
  
 「水上・谷川岳IC」で下りると、白銀に輝く「谷川連峰」が見えました。
    
    車は、谷川岳の姿に吸い寄せられるように「ロープウェイ天神平駅」に向かって走りました。

         
 「ロープウェイ天神平頂上駅」周辺のゲレンデでは、千葉からの中学生たちの「スキー教室」でにぎわっていました。
谷川岳も眼前に迫って見えました。
    
  手持ちでしたが「300mm相当」のレンズで頂上付近(トマノ耳、オキノ耳)の典型的な「双耳峰」の様子を撮りました。

 谷川岳の頂上に立ったけれど、濃霧で視界ゼロ、これが若き日の挑戦の結果でした。
2度目の挑戦では、昼飯時にアルコールを飲むという愚かな行為で登頂不可能となった苦い経験がありました。
「ほろ苦さと憧れ、そして未練の谷川岳」の撮影でした。

 「一ノ倉沢」は、すでに積雪のため車での進入は禁止されていました。
このようなことも「あり」と承知していたのですが、とても残念でした。

 水上方面に、ちょっと引き返すとすぐに「湯檜曽」、今宵の宿でした。



 今日(4日)は、もうちょっと上州に入り込み、伊香保から「榛名山」を目指そうと思います。
幸い、今日もお天気には恵まれそうです。

 さあ、これから出発します。わが愛車チャレンジャーも快調です。 

  

撮影旅行その2

2008年09月20日 | 旅行など
 私たちの「撮影旅行二日目(9/14)」でした。

 早朝、そっとカメラを抱えて外に出てみました。
なんと何人かの先輩がすでに「カッシャ、カッシャ」とやっていました。
雨も上がり、今日はお天気に恵まれそうです。

      
     午前9時、能登屋の「女将さんたち」に見送られて、私たちのバスは一路「酒田市」へ向かいました。
白い蕎麦の花が咲き乱れる山間部から、やがて黄金の穂波の「庄内平野」に出てきました。「最上川」に沿って酒田に入りました。 

  酒田湊の賑わいと共に栄えた「第三のポイント・相馬楼」は、今では「舞妓茶屋、雛人形などの画廊」として多くの観光客をもてなしてくれています。
内部の見学を終わり、二階の大広間での食事となりました。
            

  食事の後は、まことにあでやかな「酒田舞妓さん」による手踊りでした。
このときには、撮影は禁止です。
             
       二人の舞妓さんが、床の間を背に座ると、いよいよ撮影OKです。
実は、昨年にも一度体験していたので、今年はカメラの設定や撮影ポイントも意識的に工夫をすることができました。
しかし、肖像権などのこともあり、大写しの写真は、ここでは掲載しないことにしました。

 さて、酒田市内を少し移動して、「第四のポイント・土門拳記念館」です。
酒田出身である土門拳は、7万点もの作品を、ここ酒田市に寄贈したのでした。
   
 私たちの先生からの事前の連絡があったのでしょう。
女性の学芸員の方の説明後、作品収蔵庫の中まで見学できました。
学芸員の説明が、また面白かった。土門拳は「見て見て見て・・・調べて調べて調べて・・・」作品作りに取り組んだのだそうです。

 収蔵庫の中の作品群、展示室の作品、とにかくノックアウトされてしまいました。
ここまで撮るのか、ここまでこだわるのか、ここまで計算するのか、こんなものまで撮るのか、とにかく多岐にわたる分野の被写体、
凡人のなせることではないとつくづく思いました。
「古寺巡礼」のすばらしさ、すごさ、言葉もありませんでした。

 酒田から鶴岡へ、やがて新潟県に入りました。
最後のポイントは「笹川流れ」からの夕日撮影でした。
先生からのアドバイスを受けて、各自思い思いの現場に陣取りました。
   
 たぶん、落日前後だけで100枚くらい撮ったでしょうか。
その中の一枚です。もっと茜色に染まるには、もう少し雲がほしかった。
わたしのポジションからでは、夕日がちょうど「粟島」に落ちることになったのでした。

 いよいよ私たちの撮影旅行も終わりです。
一路、新津にむけバスはひた走りました。

 バスの窓からは、大きな「まんまるお月さま」が見えました。
そして、どこまでもどこまでもついてくるのでした。
「お日さまを撮ったのに、どうして私を撮ってくれないの!」と恨み言が聞こえるようでした。
そうです、今宵の月は「中秋の名月」だったのです。

撮影旅行その1

2008年09月18日 | 旅行など
 それは9月13日(土)のことです。

 私の参加している「写真教室」の開設五周年の記念イベントとして、「山形への旅」の初日でした。

 出発してまもなく雨となりました。
坂町から山形県小国町へと「デラックス大型観光バス」は、ゆったりと走行しています。

 私たち「公民館教室」の生徒、先生宅での「個人レッスン受講者」、それに「教室卒業のOB」のみなさん、そして先生の総勢22人でした。
私たちは、座席をそれぞれ独り占め、先輩方は後部の「サロン座席」で談笑していました。

 ちょうど良い時間、お昼ちょっと前に「第一のポイント・山寺」到着。
「ふもとや」なる食堂で「そば定食」、しかし雨はあがりません。

 それぞれが、自分の体力に合わせての撮影となりました。
「ふもと徘徊」「途中まで」「奥之院まで」と目標を定めて雨具など身に着けました。
私は「途中まで」として、パートナー「Yさん」と共に行動することにしました。

    
    登山口の階段を上り「根本中道」で手を合わせ、「芭蕉像」に再会。
私にとっては3度目の「山寺・立石寺」でした。
「山門」を入り、いよいよ本格的な登り階段です。足元が濡れていて危険です。
カメラを構えると、どうしても雨に濡れてしまいます。試練の撮影状態でした。
「観音さま」を撮らせていただき、「せみ塚」を通過、「仁王門」にたどり着きました。ちょうど半分登ったというところでしょうか。
 
          
         なんと、早い人たちが、すでに下山して来ました。
私たちは思い切って、ここで下山する決断をしました。

 下りて、茶屋で「力こんにゃく」をいただきました。
そして「芭蕉・奥の細道旅日記」なる冊子を、家内へのお土産として買いました。
それによると、あの有名な「閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声」は
「山寺や 石にしみつく 蝉の声」から「さびしさや 岩にしみこむ 蝉の声」と推敲を重ねて「閑かさや・・・」となったのだそうです。
なにか、とても感銘を受けてしまいました。


 午後2時、バスは「尾花沢」から「第二のポイント・銀山温泉」に向かって走り出しました。
やがて車一台がようやく通れる山道となりました。バス専用駐車場を見過ごしたために、バスは細く曲がりくねった道をかなりの距離、バックしました。
その運転の確かなこと、鮮やかなこと、プロとはいえ神業であると思いました。

        
       雨にけぶる「銀山温泉」、初めてでした。まさに「大正ロマン」の雰囲気でした。
私たちの宿「能登屋」は、大正十一年創業だそうです。
能登は「七尾」から銀山にやってきて、16代目が当主であるとか。

       

       
       数々のご馳走が並んだ夕食、ご飯は地元ブランド「はえぬき」とか、「こしひかり」とは違った食味もまたおいしいものでした。
 夜には「銀山川」に架かる橋の上で「花笠音頭」の踊りも披露されました。

 今宵の成果は、先生から「マニュアル露出」の設定についてご指導いただいたことでした。
「絞り優先」で、夕闇迫る温泉街を撮りまくっていたのですが、どうも「夕方」という雰囲気が「露出補正」しても、いまいちでした。内臓コンピュータが一生懸命に「明るく」撮ろうとがんばってくれていたようです。
マニュアル露出で、カメラに私の意志を正しく伝えることで「夕方」が撮れるようになりました。

 温泉にも2回入りました。素朴な湯船は熱くて長湯はできませんでした。
明日に備えて、みなさん早めの就寝だったようです。

旅日記1800km(最終編)

2008年05月01日 | 旅行など
 今日から5月です。
先ほど出かけていて、その帰り道「メーデー」の行進に出くわして、しばし交差点前の橋の上でストップさせられました。
近頃の世相は、私も行進に参加したいくらいのものだと思います。

 さて、先週のこの日(24日木曜日)のことを書いてみます。

       
 この日の南紀白浜は、朝から雨でした。
ホテルのレストランで、それこそたっぷりの時間をかけて朝食を楽しみました。
コーヒーを3杯もお代わりしたら、3杯目は専用ポットでサービスしてくれました。とっても気分も良く、おいしくいただきました。

 チェックアウトを済ませ、すぐに近くの「おみやげセンター」に立ち寄り、孫たちへのおみやげを仕入れました。
 後は「ナビ」まかせ、阪和自動車道、近畿自動車道、名神高速道と来たときとは逆ですが、一度は通過しているので緊張感もなく順調でした。
でも、「大津SA]で「琵琶湖」をながめてホットしました。雨も上がっていました。
       

 やがて「米原JCT」から「北陸自動車道」へ、なぜかもう帰ってきたかのような安堵感がありました。
無理をせずに、途中で泊まることにしていました。来るときにも利用した「芦原温泉保養所」です。
来たときと全く同じメニューの「夕食」で、思わず笑ってしまいました。


 さて、25日(金曜日)、今日はいよいよ新潟に帰る日です。
思えば、北陸自動車道を起点から終点まで走り抜ける旅にもなっているわけです。

 走り出せば、「帰心矢のごとし」です。それでも基本的にはたいていの「SA」では休憩を取るように心掛けました。
「呉羽PA」から、念のため黒部市の「HJSさん」に電話をしてみる。
ちょうどお出かけの前でした。ちょっと無線での通信は無理のようです。

 しかし、走行はじめて程なく黒部からの強い電波が、私を呼んできた。
ああ、お忙しいのに!と思いながらも、こちらからの応答をしてみる。
久しぶりの無線通信(QSO)が成立した。元気な声が聞こえてきた。
互いに、電波での再会を喜び、互いの息災を喜び、メッセージの交換。
やがて「73(セブンティースリー・さようなら)」を交換して通信を終わる。
このような通信も今回の旅の楽しみの一つであった。

 下りの「越中境PA」での「タラ汁」もパス!もう思い残すことはない、一気に新潟県に突入であった。

 かくして、我が家にたどり着いてみると走行距離数は「1800km」となっていた。
久々のロングドライブとなった。それにしても、実り多い旅であったと自画自賛している。
12年間で15万kmを走ってくれている我が「チャレンジャー」のタフさとその信頼感を改めて感じた。まもなく地球を4回もまわる走行距離となる。

 
 今回の旅日記は、ひとまず閉じようと思います。
柄目木庵を訪れてくださいました皆様には、心からお礼を申し上げます。

 さて、次にはどこに向けて旅立とうか。
 

旅日記1800km(その3)

2008年04月30日 | 旅行など
 今日は4月も末日(30日水曜日)です。
でも、旅日記は「三日目」、先週の水曜日のことを書いてみます。

 この日の早朝、宿坊「持明院」の本堂で、修行僧によるお勤め(読経)をいただきました。神妙に正座をしてお経を聴き、焼香もしました。有り難いことでした。

 今日は、私達は改めて「高野山」への入り口「大門」からスタートしました。
  
 次いで、「金堂、根本大塔」に詣でました。
     
 今日も再び真言宗本山「金剛峯寺」を訪れてみました。
昨日とは様子がずいぶん違って、外国人の方がとても多いのにびっくりしました。
また、多くの巡礼姿の方々も見ることができました。
「弘法大師」さまの偉大さに改めて感じ入ってしまいました。

 実は、私どもの旅は一応その目的を達成できたことになります。
今日の宿は、南紀白浜のホテルに予約してありました。

 そこで、今日のコースには予定のない「熊野本宮大社」に寄ってから白浜へ向かうことにしました。

 高野山から「高野・龍神スカイライン」を通りました。
1000m前後の紀州の山並みが「まさに春爛漫・山笑う」状態でした。
  
      
    「山はだに 新緑の木々 ボコボコと」などと、快適なドライブでした。

 途中の龍神村の観光案内所兼レストランは、とても素敵なところでした。
丁寧な道案内とおいしいアイスクリームで、疲れが吹っ飛びました。

 やがてスカイラインともお別れ、一路「熊野本宮大社」に向かいました。
あちらこちらに「熊野古道」の案内板が出てきました。熊野三山への道は、またすべて本宮を目指しているのだそうです。
本来の参道が、新しい道により寸断されたりしているのでしょう。
 わずかであっても、その「古道」の一部だけでも歩いてみたかった。
残念ながら、時間の余裕がありませんでした。
      
 遅い昼食を神社前の食堂でいただき、たくさんの階段を上がり、丁寧にお参りをすませました。

 さて、ここから一部来た道を引き返しながら、白浜を目指しました。
ついに途中から雨模様となってしまいました。

 この日の宿は、ちょっと贅沢をして「ラ・フォーレ南紀白浜」。
南国らしい椰子の木々に迎えられてホテル到着。雨も上がっていました。
 その夜は、洋食の「フルコース」と奮発でした。
夜景とワインとおいしい料理の数々。また、温泉も言うこと無し、でした。

 

旅日記1800km(その2)

2008年04月29日 | 旅行など
 今日は4月22日(火)、紀州への旅2日目のことを書いてみます。

 この日、朝食前に「芦原温泉」の朝風呂に入りました。
お天気も良し、体力充分、8時ころに出発進行です。

 すぐに、金津ICから北陸自動車道へ。交通量も少なく快適に走れました。
米原JCTから名神高速道路へ、さすがに大変な車の数、京都、大阪を通り、近畿自動車道へ。緊張が続く運転でした。

 「ナビ」が「堺IC」で降りるように指示していた。和歌山市までと思っていたのに、しかし、ここでもナビの云うことを聞くことにした。
 一般道に降りると、とたんに距離を稼げない、仕方がない。

 とんだことで「富田林市」を通過、幸い道すがら、とても気の利いた洋館の「パンレストラン」を発見。おいしいコーヒーとパンにたっぷり時間をかけた。

 さて、国道371、370と走りいよいよ「高野山・高野町」をめざす「登りの参道」である。
およそ1000mの標高へ20kmとなる。

 我がチャレンジャーは、うれしそうに心地よいエンジン音をあげながらグイグイと登っていく。
やがて、まだ若い木々の「八重桜」の花が満開状態で、次々と現れては歓迎をしてくれている。
 気づくと、いつの間にか「仏都・高野町」に入っていたのでした。

 「金剛峯寺」前の駐車場で車を降りる。
 
 さいわい、人出も少なく静かな「本山」の風格を感じ取ることができた。
中庭は、まさに春がとどまり、別天地となっていた。
     

 今日のメインは、なんといっても「奥の院」であろう。
歩いて30分ほどの「奥の院への道」は、昼なお薄暗く、うっそうとした杉木立が続き、その両側には「薩摩島津家」など時代時代を代表する家々のお墓が無数にあった。


 「奥の院」は、真っ暗なお堂の中に「無数のろうそくの灯火(万灯)」と静かな読経の声が流れていた。厳粛そのものである。裏手の「御廟」や「地下霊場」なども、すべて撮影禁止であった。
凡夫である私でも、この荘厳な雰囲気の中では、思わず手を合わせてしまうのでありました。「弘法大師」を慕う多くの人たちのことを理解できたようにも思いました。

 さて、残りは明日にして、今宵の宿「持明院」に到着しました。
   
      
 高野町の寺は、ほとんど宿坊を兼ねているようです。
私どもの「持明院」は、偶然この日の宿泊客は私達だけでした。
 大きなお寺で、長い長い廊下を渡り、ようやくお部屋となりました。
4カ所もの立派なお庭がありました。最高のお部屋が用意されていました。
国宝級のふすま絵に取り囲まれて「精進料理」をいただきました。

 初めての宿坊体験でした。何人かの修行僧の方がお世話くださいました。
明朝は、6時半からの本堂での「お勤めと読経」にご出席ください、と案内がありました。
夜はけっこう寒くなりましたが、暖房エアコンで気持ちよく眠ることができました。

旅日記1800km(その1)

2008年04月28日 | 旅行など
 相変わらず「うぐいす」の高らかな音を楽しんでいます(4/28月曜日)。

 
 さて、先週の月曜日(21日)、私ども二人はいそいそと我が愛車(チャレンジャー)に乗り込みました。
8時半に「新津IC」から磐越自動車道へ。そして新潟中央JCTから北陸自動車道へ。

 やがて、懐かしの「米山」さんが見えてきました。
もう何年前のことでしょう。「二人で登ったよね」などと思い出話となりました。
 
 右に左に見える山肌が、ボーと霞んでいます。
柄にもなく「写真五七五」を意識して、家内からメモしてもらいました。
   
 「北陸道 あちらこちらと やまざくら」
              「山肌に ホワンホワンと やまざくら」
 
 恥ずかしげもなく、載せちゃうというところがいいですね。ご容赦ください。

 「米山SA」で、充分休憩し、次の「柿崎IC」で一度、高速道を降りました。
すぐに再度、高速道にもどります。100km未満で半額(通勤割引)となりました。

 さて、次の目標は「越中境PA]です。
何年か前、アマ無線「いわき市のオーロラグループ」の皆さんと車を連ねて走行。このPAで「タラ汁ごはん」をたべようね、となっていたのです。
ところが、なんと私はトンネル、トンネルの連続で緊張してしまい気づいたときに、あっという間に通り過ぎてしまったのです。

 皆さんが、無線で「なんとおいしいことか!」と連絡してきて、大笑いしていました。
私達夫婦だけが次の「入善PA」で、車に残っていたバナナでさみしいランチとなったのでした。

 そんなわけで、今回は何が何でも「おいしいタラ汁」をいただかなければと、越中境PAに滑り込みました。
「タラ汁定食」にさらに焼き魚(さば)を追加して、いやもう満腹となりました。

 いつもこの「柄目木庵」にコメントを寄せてくださる「HJSさん」を無線で呼びながら黒部を通過。
地元の方が無線で「HJS」さんが、先ほどあなたのことを呼んでいましたよ、と
教えてくれました。
そうか、「タラ汁」で時間をとりすぎたようです。
無線が駄目なら「携帯」があるわ!、と家内が電話。あちらの奥様と久しぶりの再会・会話に話が弾みました。

 新潟県を抜けると、富山、石川県とどんどん車は進みます。
ナビの云うとおりに「加賀IC」で高速を降りて、今宵の宿「芦原温泉保養所」に到着。
ちょっと時間的にも余裕があったので、チェックインの後「東尋坊」に行ってみました。
         
   
 二度目の東尋坊でしたが、次回は「海から」じっくりと見上げたいものだと思いました。

 芦原温泉の湯は、とても良い湯で、3回も入り温泉三昧となりました。
第一日目はおよそ430kmの走行でした。心地よく熟睡できました。

  

 


 じつは、

豪雪地めざして

2008年02月18日 | 旅行など
 それは先週金曜日のことでした。
 ちょっといいことがあり、どうしても外泊したい気分でした。
そこで無理矢理、兄貴夫婦を誘って「大雪の予報」を承知で「大湯温泉」一泊となったのでした。

 降りしきる雪で圧雪状態の「関越道」、50キロ規制でした。
我が車・チャレンジャーは、このときとばかりにうれしそうに心地よいエンジン音をたてながら、たくましく前進してくれました。

 小出ICで降りて、「大湯温泉」のホテルを目指しました。
なんと道路は消雪パイプからの水で雪が見事消えています。しかし、道路沿いに見る雪の壁は半端ではありませんでした。

 ホテルから見る景色は、暖冬などというのはどこの話、と言うような具合でした。
  
 遠く、屋根の上で「雪下ろし」をしている人の姿が見えました。
   
 夕食時、ホテルの食堂から大きな窓ガラスを通して見る夜景は、なんともメルヘンチックなものでした。
ホテルの方が、ようやく雪がたくさん降ってくれてよかった、と言っていました。
雪景色がお客様への何よりのサービスなのだそうです。
    
 ところが、翌朝目を覚ますと、この冬一番の降雪だったとか。
出発のために、車に積もった雪の処理に小一時間もかかってしまいました。

 このホテルでのチェックアウトは正午までとなっていました。
夕食朝食ともバイキング形式で、ゆったりと食事が楽しめました。お風呂も大きな「大岩石風呂」など、いくつかのお風呂を楽しめます。
なんとも「ゆったり、のんびり」のサービスに大満足でした。

八ヶ岳高原

2007年11月06日 | 旅行など
 さて、今晩(11/6)は「山梨ほったらかしの湯」への旅の「帰り道」でのことを書いておきたいと思います。

 10/31(水)、この日もお天気は上々でした。
「ユースホステル清里」を出発して、141号線から「八ヶ岳高原ライン」に入りました。1400mもの高度があります。
 
 そこは、車の通りも少なく、そして紅葉がベストの状態でした。
「カラマツ」の林が続きます。そして色鮮やかな「東沢大橋」「八ヶ岳牧場」などと、まるで桃源郷そのもののようです。

  
    
       

 八ヶ岳高原ラインから少し下がった「泉ライン」に移りました。
その途中、TVの大河ドラマのロケにも使われた「風林火山館」を見学しました。
そして「平山郁夫シルクロード美術館」などに立ち寄り、シルクロードに寄せる平山画伯の思いを存分に感じたのでした。
          

 さらに車を進めると、「藤あや子ギャラリー」がありました。
彼女の書や絵の作品などが展示されていて、小さいがレストランもありました。
                

 さて、いよいよ山梨ともお別れです。小淵沢ICから高速へ。
東京経由という走り方もあったのですが、帰心矢のごとし、往路と同じ道を走り走って帰ってきたのでした。


 長い間のお付き合いとお読みいただいたこと、心から感謝いたしています。
            有り難うございました。


二日目・その2

2007年11月05日 | 旅行など
 今日は旅の二日目の午後のことである。

 「ほったらかしの湯」の外にある休憩場所で、軽くラーメンでの昼食とした。
いよいよ午後の部に出発。700mほどの高さから甲府盆地に下るわけである。

 下り始めてすぐの所に、陶芸のギャラリー「ROPPO」があった。
車を止めて作品の数々を鑑賞。芸術とか創造というのは「こだわり」の塊だな!などと感心したりであった。

 次に、フルーツパークを駆け下りて「山梨県立美術館」をめざした。
とても広い駐車場、広大な森の中の一角に「文学館」と「美術館」があった。
       
 この美術館には、「ミレーの作品」が約70点もあり、別名「ミレーの美術館」とも呼ばれている。

 
 作品「種をまく人」の前で、その作品解説をじっくり読んで、そして改めて作品を鑑賞してみました。どちらかと言えば、その作品の全体は暗くて、色合いもくすんでいます。でも、種をまく人の構図は実に生き生きとしています。
 近頃の私は、写真という表現手段でどのように撮ったらいいのだろう、などと考えることが多くあります。
このときも、ミレーの作品を鑑賞しながら、いろんなことを学んだような気がしました。

 一度高速に乗って、須玉ICで降りて、一路今宵の宿「ユースホステル清里」に向かいました。
           
 到着後、宿泊の手続きを済ませて、私たちは夕闇迫る「清里高原」散策ということで「清里駅」周辺を歩いてみました。
なんとも静かで、ほとんど人の気配がありません。ホテル、ペンションなどは閉店状態でした。
ここでは、やはり夏の避暑地として、夏休み頃には家族連れなどでさぞかし賑やかなのではないでしょうか。

 暖かくておいしい料理とビールでの夕食には、大満足でした。
私たちは、明日に備えて早めにふとんに滑り込みました。しかし、けっこう寒く、もう一枚の毛布などを引っ張り出して、やすみました。
 

二日目・その1

2007年11月04日 | 旅行など
 10月30日(火)
 この日、夜の明け始めた5時半前に、こっそり静かにホテルの前の広場に出て、三脚そしてカメラをセットした。

  

   
 時間が経ち朝日が昇ってきたら、その明るさと甲府盆地からわき上がる霞の中に富士山は消えていってしまった。

 フルーツパークのさらに上の方に「ほったらかしの湯」がある。
二つの湯「こっちの湯」と「あっちの湯」に別れていて、「湯」毎に¥600の入浴料金が必要となる。
        
 まことに風情があるというか、まさに露天風呂の名に恥じないものであった。
湯船に首まで浸かりながら富士山を待つが、ついにその姿を見せなかった。
別にお天気が悪いわけではないのだが、とても残念だった。
            

 ホテルでの朝風呂、そして「こっちの湯」「あっちの湯」と文字通りの温泉三昧であった。