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柄目木庵

良寛さまに思いをよせながら。

往路・山梨へ

2007年11月03日 | 旅行など
 10月29日(月)、この日は一路「山梨市」に向けて走りました。

 「米山SA」はじめ途中のサービスエリアでは、必ずと言っていいほどに、車から降りて休憩しました。いたってのんびり旅でした。

 「諏訪湖SA」では、ぽかぽかの日差しと眺めの良さに、しばし休憩。
   

 そういえば、途中に「昇仙峡」があるではないか、と急遽寄り道してみた。
でも、まだ紅葉には早すぎたようであった。
歩き出してみたものの、途中で引き返してしまった。
    

 その代わりと言っては何ですが、つづら折りの下り坂では富士山を眺めながらの走行でした。
      

 暗くなりかけた頃、ようやくホテルに到着。
見事な果樹類といくつもの奇抜なデザインの建物からなる「フルーツパーク」、その丘の途中にホテルはあった。鮮やかな煉瓦色の建物で、インドの「レッドフォート」城を思わせるものでした。
   

 毎度のことではあるが、カーナビの威力はすごい、ここまでよくぞ案内をしてくれました。
 この晩、私たちは2度も温泉に入り、おいしい「甲州ワイン」をいただきました。
         
 ホテルからの夜景は、新日本三大夜景の一つなのだそうです。
甲府盆地の夜景は、確かに美しく幻想的でした。

ほったらかしの湯

2007年11月02日 | 旅行など
 もう11月になってしまったのですね。

 先月10月末に、夫婦で共に空いている日が3日続いてあることに気づきました。
いつものように「まあ、何とかなるだろう!」というお手軽計画でロングドライブをしました。

 長男家族がつい最近訪れて、私どもにお勧めの山梨市「ほったらかしの湯」を目指すことにしました。
名前にえらく惹かれたわけです。

 10/29(月)
 磐越道----北陸道----上信越道----長野道-----中央道と走りました。

 中央道を長野県から山梨県に入り、すぐに目の前にくっきりと1/3が白銀の秀麗な富士山の姿。
感激して車の運転もふらついてしまいました。

 ちょっと道草、甲府昭和ICより「昇仙峡」、しかし紅葉には早すぎました。
 
 朝7時過ぎに出発して450kmを走行して、その日の宿「フルーツパーク富士屋ホテル」着。午後の5時でした。

 10/30(火)
 日の出前に起きだして、三脚にカメラをセットしてシルエット状の「富士山」を撮りまくりました。だが、日の出とともに富士山はかすんで消えていってしまった。 

 ゆっくりホテルを出て、その裏山にある「ほったらかしの湯」へ。
標高750mです。
「こっちの湯」「あっちの湯」と2ヶ所ある湯は、いずれも内湯といくつもの露天風呂があり、富士山が見えるというのが「売り」なのです。
さすが野性味たっぷりの露天風呂はすばらしかった。
野の花に囲まれて湯船に浸かりながら富士山のお出ましを待つが、残念ながらその姿を見せてはくれませんでした。
毎日なんか見えないのですよ、と土地の方がなぐさめてくれました。

 下界に降りて「山梨県立美術館」に行きました。
ここにはミレーの「種を蒔く人」などの作品でも有名です。「うーーん」とうなりながら作品鑑賞。こんなすばらしい美術館を持っている山梨県民はいいですね。

 甲府昭和ICから須玉ICまで走り、後は「清里高原」に向かいました。
今宵の宿は「ユースホステル清里」です。ここまでで総走行距離は510km。
心からの手作り料理の数々、おいしかった。

 10/31(水)
 この日は、ひたすら帰るのみの予定だったが、大変な道草となってしまいました。
八ヶ岳高原ラインを通ると、まさに「からまつ」などの紅葉まっさかり、カメラをセットしてはパチリ、パチリ。牧場でゆったり過ごす牛の群れなども見えました。1400mからの高度だと言うことで、これまたびっくりでした。

 そして、なんと「平山郁夫シルクロード美術館」を発見。すっかり堪能、圧倒されたのでした。
さらに、ちょっと下の「泉ライン」も走る。にわか作りの「風林火山館」にも立ち寄ってみる。「山本勘助」役のモデルと共に記念写真。
          

 次に、「藤 あや子」経営のレストランがあり、そこで昼食はパスタをいただいた。
ほんとは名物「ほうとう」と「アイスクリーム」のはずが、「藤 あや子」に負けたのでした。

 この辺の林の中には、とても多くの職人さんや芸術家の何々「工房」などが見えていた。すてきな環境です。こんな所に別荘がもてたらね、などと夢のまた夢。

 やがて、小淵沢ICから帰途についた。すでに午後の時間となっていました。
途中、夕食もとったが、帰り着いたのは夜の7時すぎでした。
走行は合計920kmとなっていた。さすがにくたびれた、というのが正直のところでした。

 二人で、とにかく3日間も出かけることができたのは久々であり、なんとも楽しく幸せなことでした。
多くの写真も撮ったので、整理ができたら紹介したいものと思っています。
例により、あまりきれいな写真は撮れませんでした。
自己満足の世界です。よろしくです。



春のドライブ

2007年04月22日 | 旅行など
 金曜日のことでした。
家内のある「検査結果」が心配なし、ということでした。

 うれしくなって、午後から急遽宿探し、新緑の「胎内市」までドライブと言うことになりました。
宿も「胎内パークホテル」で格安に宿泊できるようです。

 いそぐ旅ではないので、のんびりドライブで胎内リゾートに向けて走りました。
「胎内観音」にお参りもしました。
途中、桜の並木と遠くに見える白い「飯豊山」のコントラストのすばらしいポイントを通過しました。車を止めてパチリ。
         

 それから「胎内平」に上ってみました。
ここは毎年夏の「星祭り」に全国の天文フアンが集まることでも有名です。
ちょっと奥には「ブナ林」が見事です。
残念ながら、さすがに標高も高く、まだまだ雪が消えたばかりのようで、ブナの芽吹きは見れませんでした。
ただただ静寂そのものでした。
        

 この「胎内ホテル」では入浴と食事が、ハイクラスの「ロイヤル胎内ホテル」を利用できるのもうれしいことです。
温泉三昧のあとワインで「互いの健康」に乾杯でした。

  
 さて、翌日土曜日には同じ道を帰るのもばかげています。
大いに遠回り、道草をしてから帰ろう、となりました。

 山形県の「小国」を通り、米沢、白布温泉街にまで足をのばしました。
そこで「そば処吾妻軒」でおそばをいただきましたが、とてもおいしかったです。

 実は、西吾妻スカイラインを通って福島県に出るつもりでしたが、
いまだ冬期間の標識で通行不可でした。
やむなく米沢まで引返し、「大峠」を通り「喜多方」に出ました。
米沢も喜多方も何度か訪れているので、今回は車中からの町並み拝見で通り過ぎました。

やがて49号線に出ました。
新潟よりにしばらく走行していると、会津坂下の「みやま茶屋」がありました。
実は、ここを通過するときは必ず立ち寄っていました。
 今回も、いつもの定番「あんこもち」をいただきました。
つるりつるりと、いくらでも「のど」を通り過ぎてしまいます。
そのおいしいこと、絶対におすすめです。
私たちが、このお店の前を素通りできない訳なのです。


 外に出てみるとかなりの「雨模様」でした。
こうなると早めに帰りたくなって、「会津坂下IC]から磐越道に乗りました。
無事帰り着くことができました。久しぶりの長時間ドライブでした。

春の東京(その3)

2007年02月09日 | 旅行など
 さて、今日(2/6)で東京散歩も終わりである。
いささか疲れが出てきたかな、と言うところである。

 ゆっくりと朝食をすませ、チェックアウト10時まで休息。
今日は妹さんご夫婦もいないことであるし、二人だけで行動しなければならない。
大丈夫であろうか。何はともあれ、メモをみると「表参道、東京駅丸ビル」が残っている。

 青山から明治神宮への表参道は、私の好きな散策の道である。

 ホテルから、どんなにゆっくり歩いても数分である。
この辺のお店などの開店時間は11時からである。
歩道に沿って設けてある「2本パイプのベンチ」に腰掛けて、通り過ぎる人などを観察して時間を過ごした。けっこうおもしろいものである。
             
 いつ来ても何かが変わっている。
新潟県の特産品の紹介・販売や様々な情報の発信基地として「表参道新潟県ネスパス」がある。
           
 そして、新しく「表参道ヒルズ」ができていた。
        
 その内部は、地下三階、地上三階であるが、緩やかなスロープがスパイラルになっていて楽しく散策できる。
 いつも思うのだが、ほとんどが女性対象の洋品やブテックばかりで、男性相手のお店は数えるほどしかないのである。
   
 とある喫茶店のウィンドーをのぞき込んでみた。
どうみても「シャーベット」でしかないようだが、お値段は2,500となっていた。
店内を見ると女性客ばかりであった。そうか、やはり女性はお金持ちなんだ!
男性など相手にしても商売にならないのだと言うことが、わかったように思う。
そう言えば、ぼくも貧乏だもんなあ!
           


 「原宿」駅前の喫茶店で「トースト&コーヒー」の貧しいお昼のあと、私たちは山手線で「東京駅」に向かいました。

 東京駅周辺は高層ビルが次々と建てられて、それらのビル群のなかに東京駅が埋没しそうです。
近々、東京駅は改修が始まるそうです。この写真に見られるような重厚な佇まいの雰囲気は大切に残してほしいものです。
         

 その東京駅の真ん前に「丸ビル」が古い面影を残すスカートをはいたような姿で建っていました。
ショッピングゾーンやレストランゾーンなどと多目的なビルに生まれ変わっていました。

 ここでも、女性相手のショップがほとんどでした。
最上階の、とあるレストランの看板メニューに「ランチ50,000円」とありました。ここは私にとっては異次元の世界です。恐ろしくなって、大急ぎで下の階に降りました。
「書店」を見つけて入って、何冊かの本を手に取ってみて、ようやく落ち着きました。   
      
 写真に見える「舟形」のビルは「東京国際フォーラム」です。
いつか来てみたいところでもあります。
           

 じつは、コンサートとかミュージカルそれに演劇・芝居などを観たい、そんなことが「東京」だったのです。日にちを確保してそれから、中身を詰めようとしたのですが、いずれも満席でチケットの確保ができませんでした。

 結果的に、このような「東京」もそれなりにとても楽しいものとなりました。
さいわい、BLOGにまとめながら、すでに「次はどこにしようか」などと思い始めています。

 もしこれらの駄文をお読みいただけたとしたら、とてもありがたいことです。
            深く感謝申し上げます。ありがとうございました。 

春の東京(その2)

2007年02月08日 | 旅行など
 ゆったりと朝の「ヴァイキング」、コーヒーもおかわり、これがたまらない。

 「ホテルフロラシオン青山」を4人そろってハイヤーで出発。
乃木坂を通って「六本木ヒルズ」へ。
         
 見上げるとひっくり返りそうになる。なんとも巨大なビルである。
これが、かの有名な「六本木ヒルズ森タワー」である。
何はともあれ52階の「展望台・東京シティビュー」まで、超高速エレベーターであっという間に到着。          
 
        
 春霞にけぶる都内が一望できる。こちらより高いはずの東京タワーがすぐそこに見えたが、なんともかわいらしく見えてしまう。
都内の高層ビルは、いずれも「240m前後」のようである。
 すぐ眼下に、オープンしたばかりの「国立新美術館」が見えた。ガラス曲面のウェーブが美しい。
 遠く新宿の高層ビル群が望まれる。その中に「都庁」や「新宿センタービル」などが確認できた。
 それでも青山霊園、代々木公園・明治神宮、皇居などの「緑」がほっとした気分にしてくれる。
             
 展望台の上の53階には「森美術館」がある。
「日本の美術が笑う展」と言うことで、土偶・埴輪から始まり近世の絵画やモダンアートの中から「笑い」に関わる作品を集めて展示していた。
日本人の素朴な「笑み」から皮肉を込めた「笑い」まで、なかなかの切り口だと思いました。



 地上に戻り、ハイヤーで「築地市場」へと移動した。
磯の香りと活気が市場には充満していた。
細い路地には数多くの鮮魚店と「お寿司屋」が軒を並べていた。
その一軒に飛び込んで、ようやく「江戸前のお寿司」と思わしきものにありついた。そんなに奮発したわけではないのだが確かにおいしかった。
これでまた元気回復。



 地下鉄・大江戸線で「新宿都庁前」まで乗った。
お腹もふくれて、瞼が上下仲良しになったのだが、ほどなく「都庁前」到着。

 地上に出て、これまたびっくり仰天!
摩天楼のまっただ中であった。
通りかかった守衛さんに案内されて、都庁に入る。
   
 簡単な手荷物検査を受けて、エレベータで最上階へ。
無料で開放されていて、外国人の見学が非常に多いのだそうです。
(アメリカではとにかく至る所で手荷物検査が行われたことを思い出した。)

 とても明るく、広々した展望台である。
なんと午前中におじゃました「六本木ヒルズビル」がよく見えるではないか。
         
 下の写真の右手のビルが「東京オペラシティ」である。
ここでの催し物をインターネットで検索・予約したかったが、すべて満席で無念な思いであったのである。それが眼下に見えたので、あらためて残念さがこみ上げた。
            
 「都庁」の見学で、いただいた新聞やパンフレットなどから、首都「東京」の「変わろう!」という意気込みや「活気」を強く感じた。

 なお、都庁裏手、新宿駅寄りに「京王プラザホテル」があった。
このホテルは、このようにビルが林立する以前からあって、当時はその高さがひときわのものであった。私たち夫婦はずっと以前、このホテルに宿泊したことがあったのである。懐かしかった。


 さて、私たち二組の夫婦は、動く歩道などを利用しながら新宿西口から東口へと出て、「歌舞伎町」界隈へと歩いた。
「新宿コマ劇場」にたどり着いたが、時間的にも「出し物」からいっても、いまいちなので遠慮した。
               
 コマ劇場周辺は、まるでニューヨーク五番街的な雰囲気である。
たぶん、この辺は夜になると一層の輝きを増す歓楽街となるのであろう。


 さて、新宿駅に戻りいよいよ「妹さん夫妻」とは、ここでお別れである。
明日からの仕事の都合上、どうしても帰らなければなりません。
まだ現役ばりばりの若い夫婦です。
よくぞここまで「おつき合い」いただき、数々のスポットへ案内いただきました。
感謝・感謝です。いつかまたご一緒しましょうね。

 私たち二人は、青山のホテルに引き上げました。
今宵はホテルまで長男が駆けつけてくれることになっていました。
久しぶりの再会でしたが、彼にはちょっとした「うれしいこと」がありました。
そのことをぜひお祝いしてあげたかったのです。

 やがて、仕事を終えた長男が「お茶の水」からホテルに到着。
ホテルのレストランでの「祝賀会」としました。
親子でしみじみ味わう今宵のワインは格別でした。


春の東京(その1)

2007年02月07日 | 旅行など
 雪も降らないし、どこか行きたいね。
こんな事から、家内と私の予定表を調べてみると、4日(日)から6日(火)までが、奇跡的に空白であることが判明。

 ほんとは「熊野古道」なんだけど、「東京下町風情」を!ということにした。
さいわい、私たちの話に家内の妹さん夫妻が乗ってくれた。
 
 立春の日(4日)、朝二組の夫婦が新潟駅に集合。
まるで遠足の日の子供同様です。あっという間の東京。ちょっとはやすぎますね。


 ここは、葛飾柴又。おなじみ「寅さん」にお出迎えしていただきました。
参道に沿って「寅さんシリーズ」に必ず登場するようなお店が並んでいました。
「とん とん」と小気味よい音の「飴やさん」、老舗の「草だんごやさん」などが軒を連ねていました。
 帝釈天にお参りをしてから、草だんごをいただきました。
おいしかったけど「越後の笹だんご」はさらにおいしいように思われました。

           
             
               


 午後からは、ちょっと移動、はやくも浅草でした。
雷門到着、これはえらいことです。とんでもない人出!
それでも、
我らシニアパワーはすごいです。「バリッ、バリッ」と焼きたての厚手「醤油せんべい」を噛み砕きながら、仲見世の通りを前進前進!

    
         
 浅草寺さまにお参りをして、これからお楽しみ浅草界隈の散策です。

 路上にちょっとはみ出した喫茶店で「カフィー」を飲みました。
「モカ系」でしょうか、酸味の強いコーヒーが疲れをとってくれました。

 この辺は何度か訪れている妹さん夫妻のお勧めもあり、浅草演芸ホール隣の「東洋館」で「お笑いのひととき」を楽しみました。
85歳という「内海桂子」さんの「かくしゃくたる芸」に感服。
若手、年輩の方々の漫才に腹から「笑って」気分爽快でした。

 やがて、ここ浅草も「たそがれどき」となってきました。
急ぎ足の芸人風や水商売とわかる人たちも、けっこう行き交いました。さすが浅草です。
ここは、日本のブロードウェイなのでしょうか。
そう言えば五番街のような雰囲気のところもありました。

 相変わらず「新仲見世」などの通りは、多くの人が散策を楽しんでいるようです。

             
 私たちを誘うかのように、お店の前を寒風よけのビニールで覆った「飲み屋」が現れました。
 その内の一軒に入り込みました。
ちょっと一杯の晩酌のつもりが、暖かい「もつ煮込み」やストーブの温もりに、しっかりと腰を落ち着けてしましました。
私にとっては、ほんとに久しぶりの「赤ちょうちん」でした。
こんなのって、いいものですよね。大勢の人が「ワイワイガヤガヤ」と飲んでいます。例により私の「梅干し酎ハイ」は心地よく、全身を駆けめぐってくれました。
この温もりが、何とも言えないですね。
 浅草って、すごく大衆的で気兼ねすることもいらない、素敵なところでした。
 

瀬波温泉

2006年09月05日 | 旅行など
 画像はアップしておいたのですが、どうも文章をそえる機会を失していました。なんと言うこともなく、気ぜわしさで落ち着きませんでした。

 我が家では、中旬には米国から帰国してくる次男家族4人を迎えて、しばし同居を予定しています。
同じ頃、長男家族はヨーロッパへの研修旅行となります。
そんなことで落ち着かないのでしょうね。
とにかく安全・無事を願っています。

 ところで、
 私たちの義兄夫婦に「旅行券」が当たるというラッキーなことがありました。
加えてすぐ上の義兄夫婦と私ども夫婦は、便乗して「瀬波温泉」への一泊のお出かけとなりました。
9月4,5日のことでした。

 途中には旧中条町にある古刹「乙宝寺」で一休みでした。
なかなか残暑の厳しい日でした。

    
 
 私たちは瀬波温泉の「夕映えの宿・汐見荘」での宿泊となりました。
残念ながら夕方になると、雲がでてきて肝心な夕日が隠されてしまいました。

 まあ、おいしい夕食と源泉ならではの湯にはいることができたので満足でした。
                


 翌日(5日)、村上市内の「観音寺」と「イヨボヤ会館」を見学しました。

 観音寺には、日本で一番新しいミイラ「仏海上人」が安置されていました。
庶民の幸せを願って自ら「ミイラ」になられたのだそうです。
明治の時代のこととか。
    

 村上は鮭を「イヨボヤ」と呼んでいるそうです。
私も以前にこの「イヨボヤ会館」には入ったことがあったのですが、今回は会館内に自然の川を引き込んで、その川の中を鮭が遡上する様子が見れるようにしてあった。
残念ながら、10月、11月にならないと遡上の様子は見れないとか。
          

 ここ村上の「鮭道場」で、鮭の塩引きづくりに挑戦したことがあった。
独特な腹切り(一カ所は切らないでおく)ことや尻尾からぶら下げる伝統の流儀であった。持ち帰った鮭を、お正月まで軒下にぶら下げておいて、おいしくいただくことができたのであった。

 それに鮭というと、何年か前に「アラスカ」に行ったときに、大きな川で「鮭のルアー釣り」を体験したことがあった。
いくらでも釣れたが、たいがいはリリースした。豪快な引きの感触は、思い出すと今もって身震いがする位である。

 さて、帰路の途中、みなさん思い思いのお魚などを「瀬波鮮魚センター」で仕入れて無事帰還したのでした。

霧の谷川岳

2006年08月28日 | 旅行など
 私たち夫婦の夏休みがようやくやってきました。

 孫は迎えにきた母親と一緒に新幹線で帰りました。
駅まで二人を送って、そのまま私たちは新津ICから「水上」に向かって走りました。

 今回は一泊です。「天神平」からの「谷川岳」を眺めて、そして「一之倉沢」を見上げて来たい、というものです。
とにかく心身ともにリフレッシュしてこよう、という魂胆です。

 目指すは「谷川岳ラズベリーユースホステル」です。
ところが、湯沢をすぎて「大清水トンネル」にはいるときに見上げた県境の山に、「綿帽子のような雲」が被さっているではありませんか。
案の定、トンネルを抜けると、そこは雨でした。

 水上ICで降りて、谷川温泉街を抜けた「谷川」沿いにあるペンション群の中に「ラズベリーYH」がありました。
オレンジ色の外壁が鮮やかでした。
   

 ユースホステルでの楽しみは、初めてお会いする人たちとの交流でしょうか。
親子4人の家族、旅の達人の男性が二人、女性が一人、そして私たち二人でした。
 
 夕食後は、宿のご主人の運転で、曲がりくねった細い道を猛烈なスピードでマイクロバスで走り、月夜野の「真沢(さなざわ)温泉」に入りました。
とんでもなく鄙びたすてきな温泉でした。
 
 帰ってくると、「ティータイム」となり、差し入れの「茶豆やすいか」などと、
好きな飲み物をそれぞれ楽しみながら、山のこと旅のことなど話が尽きませんでした。
それにしても「人生は旅、旅は人生」などと、それはもう世界中を旅されている女性の方もいて、そのお話に皆さん魅せられてしまっていました。

 その方は、僕が朝方目を覚ましたときには、すでに出発されていました。
朝の散歩をしていると、目の下を流れている「谷川」の岸辺には「萩の花」がもう咲いていました。気温は20度Cくらいのようでした。なんと秋が来ていました。
              

 ホステルの窓から見えるはずの「谷川岳」は、雲にすっぽり覆われていました。
それでも、僕たちは同乗希望のEさんも乗せて、「谷川岳ロープウェー・土合口」に行き、ロープウェーに乗りました。
 やはり、すぐに中腹以上になると深い霧の仲に突入、視界がほとんど無い状態となりました。
    

 「天神平駅」でロープウェーを降りてみたものの、まったく視界がききません。
少しは散策してみたのですが、全身がぬれるばかりです。
引き返して、雲の上のレストランで谷川岳の水で入れたという「コーヒー」を飲みました。ようやくほっとしました。

              
 ご覧のように、気温も20度Cを下回っていました。
それでも、どんどん大勢の方が次々と下界からやってきていました。
      
 せめてもと思って、晴れていたならこんな写真が撮れたのですよ、ということで写真の写真を撮りました。

 ついで、土合口に戻り291号線を「一之倉沢」目指して走りました。
すれ違いに気を遣いながら、やがて道もなくなる終点に到着です。
この道は、さらに徒歩で「蓬峠」を越えて「越後」に入る古道でありました。

            
 いつものことながら、眼前には息をのむような風景が展開されています。
消えることのない万年雪と多くの岳人を虜にした岩の屏風です。
多くの命を奪った「一の岩」沢です。あちこちに埋め込まれた「故人の顕彰銘板」も風雨のためにかすれがちです。
しばし、立ち去ることができませんでした。

おぶせの風

2006年08月23日 | 旅行など
 息子と孫が、新潟港からカーフェリー「らいらっく」で北海道に出かけた。
父親と息子のアウトドアー体験とか。一週間ほどの予定である。
8月14日(月)の真夜中の出港であった。

 ようやくにして訪れた私たち夫婦の「夏休み」である。
とにかく飛びだそう。決断!

 お友達のお薦めである「ユースホステル・おぶせの風」が予約できた。
一度は泊まってみたかったYHなのだった。
 
コースは2泊3日で、信州小布施、志賀高原、白根山、ここでは「駒草」に再会したい。最後は軽井沢に抜けようか、そんな風に計画ができた。
2日目の宿は嬬恋の「鬼押出し園」近くのペンション「ティンカーベル」がインターネット検索で決まった。
 
 16日(水)、午前中に越後川口ICで降りて、十日町を目指す。
お昼には、おいしい「十日町そば」を食べようと「由屋」を目指すが、すでに長蛇の列だ。炎天下の長時間待機では死んでしまいそうである。認識が甘かった。お盆休みの最中ではないか。

途中、津南町の「ひまわり園」に寄り道した。
これまた駐車場の空きを待つ状態。みごとな「ひまわりの花」は道路からの鑑賞でがまんした。

 信濃川も「千曲川」となり長野県へ。
実はこの道は、私が10年間、JARL新潟県支部役員として毎年長野を訪れていた、いわば通い慣れた道でもある。栄村、飯山市、中野市と走り「小布施の町」へ。
 
 やがて、ご覧のような「パラボラアンテナ」を発見。
アマチュア無線家は、いつも空の方を見ている習性があるようだ。

 そのすぐ近くにYH「おぶせの風」を発見。
ちょっと時間も早かったので、車をおいてさっそく小布施の街を散策。
おいしいお菓子の匂いがあちこちから流れてくる。
本日初めて味わうことのできた小布施のコーヒーもおいしかった。

      
 ご主人の人柄といい、朝夕のお料理には存分に満足。

 翌日の出発時は、日差しも強く車の窓ガラスを通してもひりひりする感じであった。
ところが、中野からのオリンピック道路を通り、どんどん高度を上げて「志賀高原」をめざしたが、なんと「横手山駐車場」につく頃には、ついに横殴りの雨となった。

 それでもと思い、白根山駐車場まで霧と雨の中を慎重に走った。
駐車場でしばし待っても、いっこうに天候は回復の兆しがない。

               

 こうなると、「本白根山」に登り「駒草」に再会などとはとうてい無理である。
駐車場からすぐそこの白根山の「湯釜」見学もかなわないと判断。
ビジターセンターのような資料館で、多くの写真や展示資料を見てさらにビデオを見せていただいて、せめてもの慰みとした。


時間もあることとなり、草津まで車で走ってみると、どんどん高度が下がるにつれてお天気は回復。草津の町中に入ると完全に雨は上がった。
 草津から、改めて「ナビ」に「鬼押出し園」を入力、指示に従って走る。
到着した「鬼押し出し」も何回目かである。
残念ながら浅間山は、ほとんど姿を見せていない。今回は見学コースの最外周を選んで歩いてみた。改めて「浅間山の噴火」のすさまじさとそのすそ野の広大さと荒々しさを見ることができた。

 「鬼押出し園」のすぐ近く、林の中に今宵の宿「ティンカーベル」があった。
こじんまりしたこのペンションは、なんとまあ素敵な名前がついているのだろう。
小さな子供たちをつれた家族が5組くらい。微笑ましくもにぎやかな食事時となった。

        

 最後となった3日目、ゆっくり目のスタートである。
今日は軽井沢から、一路新潟を目指すことにしてある。
途中、久しぶりに「白糸の滝」を見学して、緑あふれる高級別荘地を静かに通り抜ける。実は貸し自転車でこの辺を走ってみる方がよかったのである。

 
 軽井沢銀座、ここも何度もきていた。性懲りもなく駐車場に車を止めた。
女房の後ろに従って、次々とお店にはいるが、すべて女性対象のお店ばかりである。しかも、数年前と何も変わっていないではないか。
訪れる客は、僕らのような年輩のご夫婦が多いのだが。

 かくも男性を無視した街作りでは、早晩廃れてしまうのではないか。
私には、足を止めることのできるものが、ひとつだに無いのだった。
それとも、男性には文化がないとでもいうのであろうか。馬鹿な!

 お昼に今度こそと「おそばや」さんに飛び込んだ。かなりの「老舗」のようなたたずまいであった。
ところが、なんとも「まずい!」のである。
こんな「おそば」を平気で食べさせていることを、腹立たしく思いながら我慢して、お腹にいれた。今回の旅は「おそば」には縁がなかったようである。

 帰る潮時と、「ナビ」に自宅を指示。佐久ICから上信越道に乗り上越経由となった。
 640kmの旅が、かくして終わった。

 実は、話が前後したのだが、「第30回ハムフェアー」には、この翌日に出かけている。
 

「まんたらの旅 最終日」

2006年07月17日 | 旅行など
 今日は7月15日(土曜日)、まんたらの旅も三日目、最終日である。

 まず、「大王わさび園」を訪れた。何度目かのわさび園であった。
相変わらずの「わさび企業」に違いないし、立派である。


 わさび園を流れている清流「万水川(よろずいがわ)」とそこに架かる水車、黒澤明監督も惚れた一服の絵である。
    
              

 次に訪れたのは「安曇野ちひろ美術館」でした。
実は私たち夫婦で所属している新潟市の「音楽鑑賞会の事務所」には、いつも「ちひろさんの絵」が飾ってあります。あのかわいらしい子供の絵を描く方くらいの認識でした。
 しかし、今回の美術館を一巡りしてみて、その認識がぐっと違ってしまいました。
その人となりを知り、改めてその絵にこめられたメッセージが伝わってくるのでした。「世界中の子どもみんなに 平和としあわせを」という願いをこめて、子どもを生涯のテーマとして描かれたのでした。「ちひろBOX]と「おかあさん(サトーハチロー詩 いわさきちひろ絵)」を2冊、計3冊をおみやげに買いました。

 さて、いよいよ帰路につかねばなりません。
これから「鬼無里、戸隠、信濃町IC」を経由して、上信越道から上越JCTとなります。

 「いわさきちひろ」さんは「モーツアルト」が好きだったとか。美術館に「蓄音機」とLPレコードが展示してありました。私の車チャレンジャーは今年一杯は、オートチェンジャーに「モーツアルト100」のCDが入っています。
無線によるチャットをしながら、静かにモーツアルトも流しながら走行しました。
すてきなことでした。

 そうこうしている間に、ごつごつした山並みが見えてきました。「戸隠山」のようです。
        

 ようやく駐車場が確保できて戸隠神社横の「宿坊兼そばや」の「極意」なるところで「戸隠そば」にありつきました。2時を過ぎた遅いお昼でした。
おいしかったけど、「そば通」ではない私には「十日町そば」の方が好きですね。
               

 とにかく、日本人は何でも神様にしてしまいます。そして頭を下げ手をあわせるのですよね。原始的なアニミズムと言ってしまうならその通りでしょうが、一神教ましてその原理主義では、多くの人との平和的な共存は難しいこととなりますよね。
 そんなわけで、ここでも「手を打って」、お参りをしました。
とんでもなく大きな3本の杉の木が合体して生育していました。神木だそうです。

 さて、帰りを急ぎましょう。
私たちは、上信越道「あらいサービスエリア」で最後のお土産を買ったりして、そしてここで「黒部の太陽夫妻」とお別れと再会を約しての挨拶を交わしました。
 やがて、上越JCTで右左・北陸道の上り、下りと分かれました。

 ところがです、北陸道に入りすぐに「柿崎」あたりで稲妻が走りました。
いやな予感がしました。「晴れ夫妻・黒部の太陽」はどんどん離れているわけです。ついに柏崎付近を走行中にあまりの激しい降雨となり、前車のテールランプがもう見れない(見えない)状態となりました。
これではとても危険です。無線で連絡を取りながら「刈羽PA]に3台とも緊急避難をしました。

 いやはや飛んだことでした。小降りになったことを確認して再度走行にはいりました。
「栄PA」で「いわき」のみなさんとは一応のご挨拶をして、一路「新津といわき」を目指しました。やがて磐越道に入りました。
そして途中「いわきまで200km」というポストが目に入りました。
ああ、まだ200kmもあるのか、無事かえってくださいよ、と念じていました。

 私たちが新津ICで降りてもまだ無線の電波は届きます。
何度も何度も、「またね。ありがとう」を繰り返しながら、さすが別れはつらいものがあります。

 やがてトンネルに入ったようでした。なにか、ほっとしたものを感じていました。
いずれ、改めてしみじみとこのたびの「まんたらの旅」を思い出すことでしょう。

「まんたらの旅 二日目」

2006年07月17日 | 旅行など
 今日は7月14日(金)である。曇り空。

 早朝から栂池高原駅からゴンドラリフトで20分、さらにロープウェイ6分と乗り継いで、しびれるほどの眺望を楽しみながら「栂池自然園」到着。
 
 さっそく散策コースに入る。栂池というとおり「栂の木」が多い。しかし、写真に見られるようにその途中で無残にも幹が、不連続状態となっている。
いかに冬期が厳しいかがわかる。逆に積雪が樹幹を保護しているのであろうか。


 ここではようやく春が来たのであろう。峰峰には残雪も見られるが、花々は急いで咲き出していた。
水芭蕉、イワカガミ、ワタスゲ、シラネアオイなどなど。まだまだたくさんお花に出会っているのだが、肝心な名前が出てこない。

   
      
           

 とても小さな「浮島」があった。
そういえば、「苗場山」頂上の多くの「池塘」が思い出される。


 再び、お昼近く地上に戻り移動開始。
すぐに「塩の道・千国街道」の一部があり、そこに旅人の安全を祈ったのであろうか「百体観音」があった。手をあわせて旅の無事を祈る。
         
 ところがである。元の道に戻るべく動き出した先頭車・スタークラフトが側溝を渡るときに端の板が一枚跳ね上がった。左後輪が溝に一部はまってしまったようだ。
給油のために寄ったガソリンスタンドで、左後輪の空気圧が異常に低いことに気づいた。どうも、タイヤのカーカス部分から空気漏れしているようだ。

 急遽、緊急用のタイヤに付け替え、ミシュランタイヤを扱っている松本市の店に急行。プロの作業であっという間に交換完了。さすがである。
この間、スタンドの方からのご支援などが旅先での不案内を吹き飛ばしてくれた。
ほんとにありがたいことであった。

 さて、午後の3時頃である。しかし、驚いたことに暑すぎる日差しもある。
明日の予定であった「美ヶ原」に登ることになった。
ここは松本市、市内の「浅間温泉」から行けるはずであった。
私も、何度か浅間温泉から美ヶ原に車で登っている。

 早速、出発。私の車が殿(しんがり)である。
くにゃくにゃ道をぐいぐいと気持ちよく登る。しかし、私のナビが指示する道とはどうも違ってきていた。
ここです!というわけで到着した駐車場。やっぱり違っていた。
しかし、ここも美ヶ原の頂上らしい。眺望はすばらしかったのが救いであった。
            

 私の登ったことのある「美ヶ原」は美術館があったり、屋外展示物が多くあったり、売店なども整っていた。
まあ、今日の頂上もたぶん峰違いなのだろうが静かで好ましい環境ではあった。

 今宵の宿は安曇野市にある「ほりでーゆー 四季の郷」である。
いや、なんとも大きく立派な保養所(3セク経営)である。「国設 アルプスあづみの公園」内にあって、環境も抜群であった。温泉もたっぷり、リッチな夜を堪能できた。

「まんたらの旅・初日」

2006年07月17日 | 旅行など
 さて、ちょっと大げさですが「まんたらの旅」の一日目(7月13日)です。

 すでに早朝五時に、いわきを出発したはずの「オーロラグループ」から電話が入り、あわててこちらも出発の準備。予想外に早い到着のようだ。
 新津ICより磐越道へ。買ったばかりのETC装置が小気味よくバーを動作させた。ちょっとかっこいいかな。新潟PAで待ち合わせる。

 ほんとに久しぶりの再会である。あちらから七名 2台。こちらの二人 1台。
挨拶もそこそこ、車に飛び乗って無線でお喋りをしながら快適に進む。
すでに北陸道に入り、車の数も増えてきた。
ところが、下越、中越地区には大雨の予報であり、さっそくシャワーのような雨の中の走行となった。

 さいわい、休憩予定の「米山SA」に近づくと雨はやんできた。立山権現様のご利益がここまで届いているのか?
写真は、一列に勢ぞろいした3台の車である。それぞれに逞しい車達である。
   

 さて、一路「糸魚川IC」に向かった。
ICでは「黒部の太陽ご夫妻」とこれまた懐かしい再会であった。
しかもである。なんと日差しがさしてきたではないか。
まこと立山権現様の霊験はあらたかであった。

 さっそく、ご夫妻お勧めの「フォッサマグナ ミュージアム」に誘導いただく。
               
 その昔学生の頃、私はここ糸魚川の小滝川での「地学実習」で巨大な「ヒスイの原石」を見たことがあった。
写真はミュージアムの庭におかれた原石である。

 このミュージアムは始めての見学である。
「地球誕生・魅惑の石たち・大地のロマン(1,2)」それぞれの展示室は、まさに壮大なストーリーとなっているのであった。
「恐竜のうんこ」の展示があり、思わずにやりとなってしまった。
絶対に「孫たち」をここにつれてきてあげようと思ったのでした。

 さて、車も4台が連なって糸魚川を出発。大糸線に沿った148号線を松本方向、小谷村を目指しました。
しかし、立山権現様もお疲れになったのでしょうか。手を抜かれたようで雨となってしまいました。
 そこは、お互いアマチュア無線家同士、走行しながら情報交換して、おいしい「そばどころ」を発見。雨はやまない。

 食後さらに姫川に沿って走る。冷たい川水に触れて水蒸気が盛んに上がっているという幻想的な光景が続いた。

 そして、ついに八方の「白馬ジャンプ競技場」に到着。
雨の中ではあったが、「あのジャンプ台か!」、 かつて「長野オリンピック」での華やかな選手達の活躍と声援が、今でも聞こえてくるかのようであった。
               

 このあと、「白馬村オリンピック記念館」で、冬季オリンピック関連の資料(写真やポスター)、関連グッズ(ユニフォームやコートなど)を見ることができた。
あの栄光よ!今一度、と願わずにはおれなかった。

 途中、別荘地「白馬村みそら野」にあるアンティークな喫茶室「森川」で、すてきなジャズが流れる雰囲気のなかでコーヒーをいただいた。特別なブレンド(ゴールドキャメル)をお願いしたのに、ちょっと物足りない香りと味ではあった。

 少し戻るような道であるが、今宵の宿、栂池温泉「元湯 栂の森」に無事到着。

 湯船も大きくゆったりしていて「じょんのび」であった。
夕食の宴は、それぞれが自分の適量を楽しむようになっている。これが、ありがたい配慮である。ビールあり、日本酒ありだが、私はあらかじめ買い込んだ「焼酎のお湯割り」であった。
 さらに、一部屋に改めて集まり、明日のことなど語り合いながら、それぞれが飲み物などを楽しんでいる。
 明日への準備と体力回復のために早めに休みました。
 おやすみなさい!

「まんたらの旅」

2006年07月17日 | 旅行など
 今日は「海の日」七月十七日(月曜日)である。

 ここ新潟市では、まさに梅雨まっさかり、連日の雨である。
今日は、むしろ肌寒いような日となっている。

 我が家では「むくげの花」や「ガクアジサイ」が盛りとなっている。
    
            
 
 先週、13日(木)から15日(土)の三日間、もう何年も続いている「まんたらの旅」を今年も楽しんできた。
ちなみに昨年は「JARL仙台総会」に出席後、「栗駒高原」など南東北の旅でした。
 
 毎年、この「まんたらの旅」を心待ちにしているのである。
実は、ある年に越中立山の麓で「曼荼羅(まんだら)」を拝み、立山に登るという旅の途中のことでした。
 トンネルまたトンネルの北陸道で、緊張した私は仲間の無線による誘導にもかかわらず「越中境PA」をうかつにも通り過ぎてしまった。気づいたときは後の祭りであった。そのPAでの名物「たら汁」をいただくこともできなかった。
仲間の人たちが、おいしい「たら汁」をいただいているのに、私ども夫婦はその先のPAでさびしく一本のバナナを二人で分けて食べたのでした。

 そして、こともあろうに、今度は帰り道でリベンジとばかりに「たら汁」のおかわりをして2杯もいただいたのです。
 以来、私ども夫婦は「まんたら夫婦」と呼ばれるようになりました。

 そのほかに「まんたら」のメンバーには富山からはせ参じる「黒部の太陽ご夫婦」がいます。立山権現様を篤く信奉されて?私たちの「まんたらの旅」はこの「晴れ夫婦」のお陰で、快適な旅ができるのです。
今年の旅では、お二人の活躍はいかがだったのでしょうか。あとでお知らせしましょう!

 そしてそして、もちろんメンバーの中心は福島県「いわき市オーロラ」グループのメンバーです。今回もコーディネーターのOH田ご夫妻はじめ二組のご夫婦と3人のメンバー合わせて七名の方が2台の車に乗っての参加でした。
 
 いつも、このメンバーとの旅は、必ず思いがけないハプニングがあったりして、旅をいっそう思い出深いものにしてくれています。
今年は、どうだったのでしょうか。

 私も次なる記事で今年の「まんたらの旅」を書くつもりですが、すでに「いわき」のほうではホームページに紹介されたようです。
どうぞ、そちらで(下記URL)もじっくりとご覧いただきたいと思います。
   http://www4.ocn.ne.jp/~aurora/nakama.htm

 なお、上記URLの入力が大変でしたら、この「柄目木庵」の「ブックマーク」の一番最初に紹介されているので、ご利用ください。

護摩堂山を楽しむ

2006年01月04日 | 旅行など
 今日の朝は、新雪がうっすらと積もり白一色となっていた。

 年始の挨拶に来た私の弟もお昼近くには帰っていった。
お日様も顔を出してきた。こうなるとじっとしている手はない。
すぐに車で護摩堂山を目指した。
そして30分後には登り始めていた。

     
          
               

 実は、ちょっと出発が遅かったことと、登山途中には雪景色に見とれて写真をばちばち撮っていたら、なんのことはない時間不足となり5合目で引き返すこととなった。しかし、里山ながら冬山を十分に堪能できた。
もちろん、ふもとの湯田上温泉のホテルでたっぷり温泉に浸かり、湯上りのコーヒーをいただいて帰ってきたことは言うまでもない。

我が家へ

2005年12月15日 | 旅行など
 この記事は12/13(火曜日)のことである。
ここは、「ホテル・リステル猪苗代」。窓からの眺めは白一色の銀世界。

 さて、居心地のいいベッドから起き出すことはつらいものがあります。
でも、今日は何が何でも新潟に帰らなければなりません。かなり遊んでしまったものですから。家の様子もとても心配でした。

 ホテルのレストランでの朝食は「バイキング」である。
僕はこのバイキング方式が大好きです。ちょうど混み合うひとときが過ぎたようで、ゆったりと時間をかけていただきました。
いつも結果的には和洋取り混ぜた様々な品を食べてしまいます。早い話が何でもじゃんじゃん食べてしまうのです。
特に食後のコーヒーのお替わりは うれしいものの一つです。

 いよいよチェックアウトです。
駐車場に行ってみるとごらんの通りの有様でした。


 長靴に履き替えて、スノーブラシを使って車に積もった雪を払って、暖気運転。
ようやくスタートできました。
さっそく、磐越道に乗り一路新潟を目指しました。
さいわい雪も降らず道路の様子もよく、思いの外早く我が家に到着できました。

 最後までお読みいただいた方がおいでになったなら、望外の喜びです。
ありがとうございました。