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慶大医学部第40次派遣団が来伯 先住民族の伝統医療の調査も

2017-08-22 | 先住民族関連
サンパウロ新聞2017年8月21日

来社した武林団長、殿村さん、清水さん、白石さん(左から)
 慶応義塾大学医学部の学生団体「国際医学研究会」(IMA、武林亨会長)第40次派遣団の清水俊志さん、殿村駿さん、白石哲郎さんが団長の武林会長(同大学教授)と共に来伯し、10日、あいさつに来社した。
 同派遣団は、医学部6年生3人で構成され、研究調査のために毎年ブラジルを中心とした世界各国を訪れていて、今年で40年目となる。
 7月16日に着伯し、これまでにマット・グロッソ州クイアバやシングーインディオ国立公園、セアラ州アラカチなどを訪れ、インディオの伝統医療の現場を調査したり、眼科健診などを行った。今後はサンパウロ州内の大学や医療機関を訪れる他、ロライマ州ボア・ビスタ市とアマゾナス州マナウス市を訪れ、医療関係機関見学や、現場実習などを行う予定だ。
 同研究会は「医の原点の実体験」と「医学、医療を通じた国際交流」を基本理念として掲げて活動しており、「文化的・社会的背景に応じた理想医療の探求」をテーマに背景の異なる複数の先住民族の調査を行っている。
 初来伯となった団長の武林氏は、「40年前の(同派遣団の)人たちは今の医学界のリーダー。帰国後に先進医療を学んでも、心の中にアマゾンでの経験が残っている。今回、ブラジルの風土や人と接しながらそのことがよく分かった」と語り、今回の派遣団の学生が聖市内の学生とも積極的に交流を図っていることにも触れ、日伯間の交流と医療実習の経験を次世代につなげていくことに期待を寄せた。
 世話人として一緒に来社したサンパウロ日伯援護協会巡回診療医師の肥田ミルトン正人氏は、40年続く同派遣団に対し、環境の変化や先住民の自然との付き合い方と触れることで「毎年(同派遣団の)何かが大きく変わる」と指摘し、学生らの成長を確信していた。
http://saopauloshimbun.com/%E6%85%B6%E5%A4%A7%E5%8C%BB%E5%AD%A6%E9%83%A8%E7%AC%AC40%E6%AC%A1%E6%B4%BE%E9%81%A3%E5%9B%A3%E3%81%8C%E6%9D%A5%E4%BC%AF%E3%80%80%E5%85%88%E4%BD%8F%E6%B0%91%E6%97%8F%E3%81%AE%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E5%8C%BB/

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シャーロッツビル事件のその後

2017-08-22 | 先住民族関連
ハフィントンポスト 2017年08月21日 11時14分 JST 更新: 2017年08月21日 11時16分 JST
執筆者: Sebastian Murdock

アメリカ・バージニア州シャーロッツビルでの白人至上主義者らの集会で抗議した1人が殺害され、十数人が重軽傷を負った事件から1週間後の8月19日、ボストンでは、差別容認派による自称「言論の自由」集会が開かれた。
差別容認派の集会は通称「オルト・ライト」のメンバーによって取りまとめられた、数十名程度の規模だった。一方、これに対抗するべく集まった群集は数万人に達し、集会の参加者を萎縮させた。差別容認派に対抗した人々のメッセージは、「この国には白人至上主義者は要らない」だった。
カウンターの群衆はデモ行進し、集会が開かれている史跡公園ボストン・コモンに集結した。そして、「人種差別主義者をまた怖気づかせてやろう」「ナチスをかばうのは誰だ?トランプだ」と口々に唱えた。
また、空撮されたビデオには、差別を容認する「言論の自由」派がバンドスタンド内に身を寄せ合い、反対する大群衆が公園を取り囲んで抗議する様子が映されていた。
トランプ大統領もデモ参加者を称えた
Twitterでドナルド・トランプ大統領は大会を「警察嫌いのアジテーターでいっぱい」と批判した。その後、大統領はどちらのグループかは明確にしなかったものの、ボストンのデモ参加者を称えた。
「偏見と憎悪に対して声を上げたボストンのデモ参加者たちに拍手を送りたい」とトランプ大統領はツイートした。「我々の国はすぐに1つにまとまる!」とも。
ボストンは警察嫌いのアジテーターでいっぱいのようだ。警察は力強く賢く対応しているようだ。感謝。
「我々の偉大な祖国は何十年もの間バラバラだった。修復には時として抗議行動も必要だ。そして、我々は1つにまとまり、以前にも増して強くなるのだ。」
「偏見と憎悪に対して声を上げたボストンのデモ参加者たちに拍手を送りたい。我々の国はすぐに1つにまとまる!
差別を容認する「言論の自由」派の集会と、抗議集会、参加したのはどんな人々なのか?」
ボストン警察はこの日の夜までに33人を逮捕したと発表した。集会後、何万人もの抗議行動参加者がボストン・コモン周囲の街路に溢れたため、警察との間に若干の摩擦があったと報告されている。
差別を容認する「言論の自由」派の集会の主催者はフィッチバーグ州立大学映画科4年生ジョン・メドラー氏らだった。メドラー氏は、この集会の意図は「あらゆる個人には言論の自由があり、この基本的人権をまもることだ」と強調している。
Facebookへの書込みで、同グループは集会を「人種差別や偏見を助長する踏み台」として提供しているのではないと書き加え、バージニア州シャーロッツビルでの事件との繋がりを繰り返し否定してきた。
メドラー氏が当初姿を見せなかったことから、若干の混乱が8月19日に生じた。警察は、公園内の所定の場所への集会参加者の入場を少し遅らせた。
ロン・ヴィラリアル氏は、年代物の兵士の服装で「言論の自由」集会に参加しに来た。彼はシャーロッツビルでの暴力行為は「ボストンには関係無い、何千マイルも向こうの話です」と話した。
ヴィラリアル氏は、この「言論の自由」集会での発表者が誰かも知らなかったが、言論の自由を守るために参加することを決めたのだという。彼はプラカードを携えていたが、その内容をハフポストに見せることは拒否した。
「もしクー・クラックス・クラン(KKK)の会員がマサチューセッツ州内に6人居たら、ビックリです」「これはクランの集会ではありません」と、ヴィラリアル氏は取材に対して語った。
抗議側として参加した58歳のアフリカ系ボストン市民オデル・ラフィン氏は、血と土の観念論にはうんざりだと語った。
「彼らは松明も盾も催涙ガススプレーも持ってきていません。彼らはこの国を自分らのものにしたいと言っています。この国は一度も彼らのものだったことなんてありません」と、ラフィン氏は言った。「彼らはこの国を所有していたことなんかありません。奴隷制は終わっているのに、彼らはまだ続けたいのです。思うに、盗んだものを無くしたせいで彼らは騙されたような気分になっているのではないかと思います」。
5時間近くを予定していた「言論の自由」集会だったが、ちょうど2時間で集会の参加者たちは諦め帰路に就いた。
「言論の自由」集会が途中終了した後、ボストン警察本部長ウィリアム・グロス氏は、抗議に集まった人々に対して、前向きでいるように、また、憎悪に対する勝利を祝うようにと述べた。また、抗議活動の参加者に対して「誇りに思う」とも語った。
「彼らは、外見や生活様式、出自で私たちを見下そうとするものです ― そんなことはボストンではさせません」とグロス本部長は記者たちの前で述べた。
http://www.huffingtonpost.jp/2017/08/20/white-nationalist-christopher-cantwell-fights-back-tears-at-prospect-of-arrest_n_17794260.html

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アイヌ遺骨を再埋葬 浦幌 北大から返還の63体

2017-08-21 | アイヌ民族関連
北海道新聞 2017/08/20

町営浦幌墓園に遺骨の入った木箱を運び込む浦幌アイヌ協会の関係者ら=19日午後2時45分ごろ
 【浦幌】浦幌アイヌ協会は19日、北大が昭和初期に十勝管内浦幌町で発掘したアイヌ民族の遺骨63体の返還を受け、同町の町営墓園に再埋葬した。アイヌ民族の遺骨返還としては過去最多の規模。同協会関係者らが遺骨を1体ずつ土の中へと丁寧に埋め戻した。
 同協会関係者らは再埋葬に先立ち、神に祈りをささげる伝統儀式「カムイノミ」を浦幌町浜厚内生活館で行った後、町営墓園に移動。北大から到着した3台のバスの中から63体の入った木箱のほか、一体分として特定していない遺骨の入った19箱を運び出し、40平方メートルほどの穴の中に整然と並べた。副葬品69点は浦幌町立博物館に保管される方向という。
 町営墓園を訪れた北大の笠原正典副学長は浦幌アイヌ協会の差間正樹会長に「裁判の和解に基づいて遺骨と副葬品を持って来た」と述べた。
 差間会長は記者団に「先祖を故郷に戻したいという気持ちで頑張り、それが現実となり、大変うれしい」と語った。
 20日には浦幌アイヌ協会がイチャ〓パ(慰霊の儀式)を行い、供養する。
 今回返還された63体は北大医学部の研究者が1934~35年(昭和9~10年)に浦幌町内の墓地から持ち去った遺骨が大半。同協会が2014年に返還などを求める訴訟を起こし、今年3月に和解が成立した。
〓は小さい「ル」
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/126651


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アイヌ遺骨 浦幌に帰郷 北大返還の63体 再埋葬

2017-08-21 | アイヌ民族関連
十勝毎日新聞 2017年8月20日 13時51分

クワを前に祈りをささげる浦幌アイヌ協会の関係者
 浦幌アイヌ協会(差間正樹会長)は19日、北海道大学(札幌)に持ち出されていたアイヌ遺骨の返還を受け、浦幌町営墓園に再埋葬した。初回返還分として63体が入った木箱のほか、人数不明の遺骨を納めた19箱が、約80年の歳月を経て古里の地に戻った。
 同協会は浦幌町内からは76人以上の遺骨が、北海道帝国大学(当時)の研究者らにより1934年から35年にかけて持ち去られたことを指摘。2014年に返還請求訴訟を起こした。今年3月22日に札幌地裁で和解が成立し、北大が同協会に返還することが決定していた。
 この日は理事・副学長の笠原正典教授ら同大の関係者がバスで浦幌入り。遺骨が納められた箱を受け取った同協会関係者が、町営墓園の長方形に掘られた墓穴に整然と並べた。さまざまな模様が施された浴衣で上部を覆い、土をかけて埋葬。アイヌ民族にとっての墓標である「クワ」を7本立て、食物などを供えた後に祈りをささげた。
 故人が死後の生活に困らないよう用意された刀などの副葬品69点も、併せて返還された。複製を作った後、同墓園と町立博物館にそれぞれ保管される予定。
 笠原教授は「当時の調査は国策として行われた背景がある」と述べ、差間会長が求めている謝罪については「和解の要件にはない」としたが、「個人的にはお返しできて良かった」と話した。
 差間会長は「謝罪や賠償についてはこれからだが、今は和解が成立し、遺骨が返還されたことがただただうれしい。先祖の皆さんには、申し訳ないと思う一方で、今まで待っていてくれてありがとうという気持ち」と思いを語った。
 同協会は20日午前10時から町浜厚内生活館で祈りの儀式「カムイノミ」と先祖を供養する「イチャルパ」を執り行い、埋め戻された先人を尊崇の念で迎え入れた。
http://www.tokachi.co.jp/news/201708/20170820-0027289.php

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アイヌ民族の遺骨63体、故郷浦幌へ 北大が返還

2017-08-21 | アイヌ民族関連
北海道新聞 08/19 17:00

北大アイヌ納骨堂から遺骨の入った木箱を運び出す浦幌アイヌ協会の関係者ら=19日午前8時ごろ(富田茂樹撮影)
 北大は19日午前、十勝管内浦幌町で発掘したアイヌ民族の遺骨63体を浦幌アイヌ協会に返還するため、北大構内の「アイヌ納骨堂」から再埋葬先の同町への搬送を始めた。アイヌ民族の遺骨返還としては過去最多の規模で、同協会会員らが遺骨を1体ずつ丁寧に確認しながら運び出した。
 63体は北大医学部の研究者が1934~35年(昭和9~10年)に浦幌町内の墓地から持ち去った遺骨が大半。浦幌アイヌ協会が2014年に返還などを求める訴訟を起こし、今年3月に和解が成立した。
 19日は協会の差間啓全(さしまひろまさ)幹事ら4人がアイヌ納骨堂を訪れ、北大関係者とともに63体のほか、一体として特定していない遺骨の入った19箱と、副葬品の入った11箱を搬出。遺骨などが入った木箱のふたを開けて中を確認した後、北大側が用意した3台のバスに積み込んだ。差間幹事は「一緒に浦幌に帰りましょうという気持ちで遺骨を確認した」と話し、午前9時ごろ浦幌町に向かって出発した。
 遺骨は同日午後、浦幌町の町営墓園で北大から協会に引き渡され、再埋葬される。20日には協会がイチャルパ(慰霊の儀式)を行い、供養する。
(☆イチャルパのルは小文字)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/126584

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コタン平穏の祈り 釧路アイヌ協会、春採で祭り

2017-08-21 | アイヌ民族関連
北海道新聞 2017/8/21 05:00

民族衣装を着て儀式に臨む参加者(金本綾子撮影)
 釧路アイヌ協会(二色守会長)は20日、第46回春採コタン祭りを釧路市の春採生活館で開いた。道内各地から60人が集い、祈りや舞踊の儀式を通じて、コタン(村)の平穏を願った。
■古式舞踊奉納*ムックリ演奏
 アイヌ民族の神と祖先に感謝する祭りとして、古くからコタンがある春採で毎年開いている。神に祈りをささげる「カムイノミ」では、男性参加者が、にごり酒をトゥキと呼ばれる杯に注ぎ、釧路だけでなく、白糠や阿寒など、それぞれの地域で伝わる祈りの言葉を述べた。
https://this.kiji.is/272094931037980153?c=110564226228225532

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北大から返還された遺骨を慰霊(動画)

2017-08-21 | アイヌ民族関連
北海道放送 HBC 8/20(日) 18:45配信
戦前、北大の研究者が持ち出したアイヌ民族の遺骨は、19日、浦幌アイヌ協会に63体が返還されました。遺骨を墓地に再び埋葬したアイヌ協会は20日、ふるさとに戻った先祖の霊を慰める儀式カムイノミとイチャルパを執り行いました。出席者らはアイヌ民族のやり方で遺骨を慰霊できたことにほっとした表情を見せていました。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170820-00000004-hbcv-hok


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アイヌ返還遺骨がふるさと浦幌へ(動画)

2017-08-21 | アイヌ民族関連
北海道放送 HBC 8/19(土) 21:35配信
北大に保管されていたアイヌ民族の遺骨が返還訴訟の和解を受けて19日、十勝の浦幌アイヌ協会に返還されました。
浦幌アイヌ協会は北大の研究者が戦前町内の墓地から持ち去った遺骨の返還を裁判で求めていましたが、今年3月和解が成立しました。
これを受けて19日63体の遺骨が浦幌アイヌ協会に引き渡され町営墓地に再び埋葬されました。
浦幌アイヌ協会はふるさとに戻った遺骨の霊を慰めるためあす、神への祈りの儀式「カムイノミ」と慰霊の儀式「イチャルパ」を執り行います。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170819-00000004-hbcv-hok

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北海道大学の納骨堂に保管されていたアイヌ民族の遺骨が返還される 北海道(動画)

2017-08-21 | アイヌ民族関連
北海道放送 HBC 8/19(土) 12:50配信
 長年にわたり北海道大学の構内に保管されていたアイヌ民族の遺骨が19日、アイヌの人たちに返還されました。
 返還されたのは、80年あまりにわたり北大に保管されていたアイヌ民族の遺骨63人分です。
 北大のアイヌ納骨堂には1934年に浦幌町から持ち出されたものなど少なくとも76人分の遺骨が保管されていました。
 浦幌アイヌ協会では、遺骨の返還を求めて訴訟を起こしていましたが、今年3月、札幌地裁で和解に達したことから、19日の返還となりました。
 遺骨は19日午後には浦幌町の墓地に埋葬され、20日に祈りの儀式「カムイノミ」や、慰霊の儀式「イチャルパ」が執り行われるということです。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170819-00000001-hokkaibunv-hok

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インパクト絶大。マオリ族の女性がアゴに施す聖なるタトゥ「モコ・カウアエ」(20世紀初頭)

2017-08-21 | 先住民族関連
BIGLOBEニュース8月20日(日)20時30分 カラパイア

 ニュージーランドの先住民族、マオリ族の女性たちは、青年への通過儀礼として、アゴに入れ墨を施すという伝統的習慣があった。これは "モコ・カウアエ"(moko kauae)と呼ばれ、自らのアイデンティティの象徴となるものである。
 1800年代、ニュージーランドがイギリスに植民地化され、その習慣は廃れてしまったかのように見えたが、現在また徐々に復活の兆しを見せている。
 ここでは1900年代初頭のマオリ族の女性たちのモコ・カウアエを見ていこう。
 マオリ族の女性は、心臓のそばに「モコ」と呼ばれる自分の本質を持っている。自分の本質を引き出すのに必要となってくるのがアゴへの入れ墨で、彫り師にこの入れ墨を入れてもらうことで、モコが表面に引き出されるという。
 この伝統はポリネシアからマオリに流れてきたもので、とても少女が大人の女性に代わるための神聖な儀式であった。
 自分が何者で、何に人生を捧げているのか?モコを引き出すことで自分のアイデンティティが明確化され、穏やかな気持ちになれるという。
 モコ・カウアエは、どれ一つとして同じものがない。その模様は、階級、社会的地位、権力、名誉の象徴であった。
 ていうかアゴに模様をつけるとかなり人相変わるな。
https://news.biglobe.ne.jp/trend/0820/kpa_170820_4055549127.html

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あの名作家に似ている? ゴールデンカムイ、アイヌ語研究者が語る魅力

2017-08-21 | アイヌ民族関連
BuzzFeed 2017/08/19 07:11 Ryo Yamaguchi
ただのサバイバル漫画じゃ、ないんです。

ゴールデンカムイっていう漫画、超いいんですよ。
ゴールデンカムイは作家・野田サトルによる、明治時代の北海道を舞台としたサバイバル漫画。そのストーリーは、大筋としてはこうだ。
元陸軍兵の杉元佐一は戦死した親友の願いを叶えるため、一攫千金を夢見て北海道で砂金を採っていた。ある日、彼はこんな噂を耳にする。
アイヌが秘蔵していた大量の金塊を奪った男がいる。男は死刑囚として網走監獄に収監され、同房の囚人たちの背中に、その金塊の隠し場所の暗号を記した入れ墨を彫った。囚人たちは脱獄。やつらを捕らえて入れ墨を集めれば、大量の金塊が手に入るはずだーー。
杉元は金塊探しを決意。道中、ヒグマに襲われそうになったところをアイヌの少女、アシㇼパに救われる。隠し金塊に関わった彼女の父が殺されたという話を聞き、杉元は自身の目的を告げて協力を求め、行動をともにする。生きるか死ぬか、囚人たちとの「追いかけっこ」が始まった。
こういったストーリーなのだが、これがめちゃくちゃ面白い。作中で紹介されるアイヌにまつわる話も興味深いが、さることながら登場する主要キャラクターが軒並み個性的だ。
問答無用で敵を斬り殺す土方歳三(実は生きていたという設定)。猟師を殺し獲物を奪う連中に狙われ、その三人を残さず返り討ちにした熊狩りの名手。弟の死をきっかけに、「殺人」に快感を覚えるようになった男。
バッタバッタと人が死ぬ。
そんなキャラクターが次々と登場し、息をつく間もなく物語が展開していく。しかも合間にアイヌにまつわる話が出てきて、これまた興味深い。すごい。読む手が止まらない。
なにこれ面白い……。ということで、同漫画のアイヌ語監修を務める、千葉大・教授、中川裕さんに話をうかがった。この漫画、なんでこんなに面白いんでしょう?
「物語として、(掲載誌の中で)一番よくできている」と評価する中川さん。展開の仕方が天才的だという。
「見ているだけでわくわくする。その中に、ただ物語の展開だけじゃなくて、『こんなことまで調べておく必要あるかね』という膨大な知識を放り込んで、とにかく膨大な知識のごった煮みたいなところから、物語を進めていっちゃう。あれはすごい技量」
野田サトルは、山田風太郎と似ている。中川さんは面白さの理由についてそう述べる。
山田風太郎は「甲賀忍法帖」などの伝奇小説を発表、忍法ブームを起こした立役者として知られる作家だ。二人の共通点について、中川さんはこう語る。
山田風太郎の特徴は、史実を徹底的に調べ上げて、その史実上、明らかになっていることは曲げないで、その上で奇想天外な話を作り上げちゃう。それがそっくり。
もうひとつ似ているのは、山田風太郎は元が医学部出身なので、その体験に基づいたグロい描写が満載。かつ、エロい描写もある。
エロとグロをごちゃまぜにして、歴史上の史実に関しては綿密に調べ上げて、それは動かさない。そういう作風。そういうところは似ている。ゴールデンカムイにエロはないけど。
忍法帖は人気があって何度も映画化されている。ハマった人は多数いる。それと同じ中毒性がある。リアリティを追求しつつ、一方で予想もつかない展開をしていくという。そこなんじゃないか。
あと重要なのは、絵が美味い。あそこまで綿密に書き込んだ絵を使って、あの話を作り上げていくというのは、なかなか普通の漫画家でできることではない。
それが、一番の魅力じゃないですか。
史実を重視した内容と、予想不可能な展開と、表現力。そういった点が二人の共通点だという。また、中川さんは「キャラが立っているということもある」と話す。
「杉元っていうのがすごい。狂気ぶりは一番。(ほのぼのとした場面があるかと思いきや)ページをめくると相手を猛攻撃して、っていう場面が出てくる。そこから相手の素性を聞く。攻撃してから相手が何者かを尋ねる、っていう、まず行動しちゃうというパターンていうのは、主人公のキャラクター付けとしてはとても面白い」
アイヌの世界観
中川さんは学生時代からアイヌの語りを聞き、収録し、それらを資料化する活動を続けてきた。同作品はフィクションも交えているが、現代には現代の伝承の仕方があるという。
では、そのようにして伝えていきたい、アイヌの根っこにある考え方とは、いったいどういったものなのか?
「それは、『人間以外のあらゆるものに対する共感』。つまり、人間だけじゃなくて、人間以外のあらゆるものが同じ立場で、社会を作っているという考え方」
自然だけではなく、スマホといった物質でさえもカムイ(アイヌ語で神様の意)である。人間以外の存在にもそういった見方を広げよう、そんな考え方だと。
作中でも、杉元と行動をともにするアイヌの少女アシㇼパは、折に触れてアイヌの考え方について語る。
「私たちは身の回りの役立つもの、力の及ばないもの、すべてをカムイ(神)として敬い、感謝の儀礼を通して良い関係を保ってきた」
「狩猟を生業にしている私たちにとって、動物のカムイは重要な神様。動物たちは神の国では人間の姿をしていて、私たちの世界へは動物の皮と肉を持って遊びに来ている」
中川さんは、「あらゆるものがカムイという観念によって位置付けられるので、カムイが理解できないとアイヌのことは理解できないと言っていい」とも話す。
ゴールデンカムイは単なる金塊を探すサバイバル漫画ではない。ページをめくる、物語が展開する。そのたびに、私たちをアイヌの世界に連れて行ってくれる。
カムイとは何か。その答えの一端が、ここにある。
https://www.buzzfeed.com/jp/ryoyamaguchi/golden-kamui?utm_term=.arggkkMQ73#.pe2rkkqdK6


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「平埔原住民」を先住民の分類に追加へ 改正案が閣議決定/台湾

2017-08-19 | 先住民族関連
フォーカス台湾2017/08/18 11:16

(台北 18日 中央社)政府は17日、これまで先住民として承認していなかった平埔族群(エスニックグループ)を「平埔原住民」として認定する原住民身分法改正案を行政院院会(閣議)決定した。
平埔族群は台湾西部を中心に平地で生活する先住民の総称。ケタガラン族やシラヤ族など複数の民族が含まれる。平埔族群は長年にわたり、政府に公認を訴えていた。
原住民身分法は先住民の身分を認定し、権利を保障する法律。現行では、先住民の分類が「山地原住民」と「平地原住民」の2分類のみになっている。改正案ではこれに「平埔原住民」が追加されたほか、平埔原住民の文化や言語、政治など各方面における客観的ニーズに合わせ、法律で権利を定めることも規定された。
改正法が成立すれば、日本統治時代の戸籍資料に「熟番」あるいは「平埔」と記載されている直系尊属がいる場合、「平埔原住民」の身分を申請できる。
改正案は今後、立法院(国会)で審議される。
(顧セン/編集:名切千絵)
http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201708180001.aspx

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グーグルアース、新機能で台湾先住民の伝統家屋を紹介

2017-08-19 | 先住民族関連
フォーカス台湾2017-08-18  12:56

(台北 18日 中央社)米グーグル社は17日、同社のバーチャル地球儀ソフト、グーグルアースの機能の一つで、世界の伝統的な家屋を訪れる特別なストーリー「This is Home」に22のコンテンツを追加したと発表した。この中には、台湾原住民族(先住民)の伝統家屋が2軒選ばれており、台湾の特色ある文化が世界の人々の目に触れることが期待される。
同社でアジア太平洋地域のストリートビュー事業を手掛ける魏キョウ君氏によると、台湾から選ばれたのは、柱と屋根以外は全て石板で造るパイワン族の「石板屋」と、離島・蘭嶼に住むタオ族の半地下式木造家屋「地下屋」。(キョウ=くさかんむりに郷)
「This is Home」は、4月に新たに提供されたグーグルアースの新機能で、上空、室内、屋外など360度のアラウンドビューと、住民へのインタビューによって構成されており、あたかもその家に入り込むような感覚で現地の暮らしを疑似体験できる。当初、第1弾としてペルー、グリーンランドなどの5軒が紹介されていた。
(呉家豪/編集:塚越西穂)
http://japan.cna.com.tw/search/201708180004.aspx?q=%E3%82%B0%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%80%81%E6%96%B0%E6%A9%9F%E8%83%BD%E3%81%A7%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E5%85%88%E4%BD%8F%E6%B0%91%E3%81%AE%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E5%AE%B6%E5%B1%8B%E3%82%92%E7%B4%B9%E4%BB%8B

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不健康なリンゴから黄金のリンゴへ?知られざるトマトの歴史と語源

2017-08-19 | 先住民族関連
リセマム 2017.8.18 Fri 9:00

不健康なリンゴから黄金のリンゴへ?知られざるトマトの歴史と語源
イタリアンでは欠かせない食材のトマト。実は、初めは食べるものではなく、見て楽しむ観賞用であった?トマトなのにリンゴと呼ばれている国もある?知られざるトマトが食べられるようになるまでの歴史と、トマトの語源について紹介していく。
1. 原産地のアンデス高原から、メキシコそしてヨーロッパへ
原産地はアンデス高原
トマトの原産地はアンデス高原が有力とされ、現在のペルー、コロンビア、エクアドル、ボリビアあたりに野生で生えていた「トマトゥル」が起源といわれている。トマトゥルは直径2ほどの大きさしかなく、現在のミニトマトのようなものであった。
メキシコで食用として進化
このトマトゥルが、アンデス高原からメキシコに運ばれてトマトの食用への歴史がはじまった。メキシコに伝わったトマトゥルは、1000年以上の長い年月をかけて少しずつ栽培に適したものに進化していった。
海をわたってヨーロッパへ
メキシコで食用へと進化してきたトマトは、それから海をわたってヨーロッパへ広がっていった。
1492年にコロンブスが新大陸を発見した。植民地にできる土地が新大陸にあることを知ったスペイン人はメキシコの征服に乗り出す。そして、その征服の戦利品としてトマトを持ち帰り、ヨーロッパに広めたと考えられている。このとき、ジャガイモ、トウモロコシ、ペッパーなどの今日のヨーロッパ人の重要な食糧も伝えられた。
ちなみに、トマトに出会った最初のヨーロッパ人は、1521年にアステカ文明を征服したスペイン人「エルナン・コルテス」という説が有力とされている。
2. 観賞用から食用へ
毒と考えられて食べられなかった
ヨーロッパでは長い間トマトは食べるものではなく、見て楽しむための観賞用として栽培されてきた。これは、トマトの強烈な匂いと鮮やかな赤い色によって、毒があると信じられていたためと考えられている。
実際に1544年、イタリアの博物学者P.A.マッティオーリの博物誌には、トマトはナス科のマンドラゴラの仲間であると書かれていた。マンドラゴラは別名「悪魔のリンゴ」と呼ばれ、当初トマトは「不健康なリンゴ」と呼ばれる始末であった。さらに、ナス科の植物には有毒植物が多かったのも、食用を遠ざける理由になってしまったと考えられている。
飢餓がきっかけで食用へ
15世紀には伝わっていたとされるトマトだが、それから100年以上観賞用とされてきた。トマトが食用になるきっかけは、16世紀半ばにイタリアでおきた飢饉である。毒があるとされていたトマトですら食べるしかない状態になってしまい、恐る恐る口にしたと言われている。しかし、このトマトが意外にもおいしかったことから、少しずつトマトは食べられるようになっていったとされている。
トマトの利用の道が大幅に進んだきっかけは、1838年にアメリカでトマト缶の製造技術が完成したことである。このことによって、トマトを1年中利用することが可能になり、栽培や加工技術の研究が進められた。そして1876年にはトマトケチャップが発売された。この頃から品種改良も盛んになり、トマトは欠かせない食材になっていた。
日本でのトマトの歴史
日本にトマトが伝わったのは17世紀なかばの江戸時代の頃で、長崎に渡来したといわれる。当時は「唐なすび」や「唐ガキ」と呼ばれており、日本でも食用ではなく観賞用とされていた。
その後の明治初めには、欧米から導入されたものを「赤茄子」の名で売り出したが、トマトの臭いと見た目は当時の人々に受け入れられなかった。大正時代になってからは、北海道と愛知県を中心にして栽培量も少しずつ増えていったがやはり普及しなかった。
しかし、第二次大戦後にトマトに転機は訪れる。食生活の洋風化が進み、トマトやレタスなどのサラダ野菜の需要が高まったのである。その後、現在のようなトマトへの品種改良が進められていき今日に至る。
3. さまざまな名で呼ばれるトマトの語源
語源は「膨らむ果実」
トマトという呼び名は「膨らむ果実」を意味する「トマトゥルtomatl」からきている。メキシコの先住民族アステカ人のナワトル語である。このトマトゥルは現在のトマトではなく、同じナス科のホオズキであった。トマトはこのホオズキに似ていたため、同じ名前で呼ばれていたとされている。
イタリアでは「黄金のリンゴ」
イタリアでは「ポモドーロpomodoro 」と呼ばれている。Pomo=リンゴ、oro=黄金。つまり「黄金のリンゴ」という意味である。なぜトマトなのにリンゴ、しかも黄金なのか疑問に思うであろう。
これには2つ理由がある。1つめは、ヨーロッパでは貴重なものを「リンゴ」と呼ぶ習慣があったこと。2つめは、当時のトマトは現在の我々が思い浮かべる赤色ではなく、黄色の種類であったためである。
フランスでは「愛のリンゴ」
フランスでは「ポム・ダ ムール(愛のリンゴ)」という。これは先ほど紹介した「ポモドーロ」が似た音の「Amore=愛」に変わり、フランスに伝わった際に「ポム・ダ ムール」になったと言われている。イギリスでは英訳した「ラブ・アップル(愛のリンゴ)」と呼ばれている。
なぜ「愛」が使われたのかという理由には面白い説がある。トマトは昔マンドラゴラの仲間とされていた。マンドラゴラの根の形は男女のからみあう姿にみえること、当時マンドラゴラは媚薬であると信じられていたこと。この2つからトマトに「愛」がついたといわれている。
結論
不健康なリンゴから黄金のリンゴと呼ばれるようになったトマト。観賞用からスタートし、食用へなるまでは長い道のりがあった。
黄金のリンゴ、愛のリンゴと呼ばれる理由も面白いトマト。実は学名はラテン語で「リコペルシコン・エスクレンタム=食べられる狼の桃」である。トマトがりんごへ、そして桃へ。桃へなった理由ははっきりしていないそう。さまざまな名前へ七変化するトマトは、料理でもたくさんのおいしいものへ七変化する。トマトを手に取る際には、トマトの歴史と語源について、イメージをふくらませてみよう。きっと料理がもっと楽しくなるはずだ。
《オリーブオイルをひとまわし編集部》
https://resemom.jp/article/2017/08/18/39873.html

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幾何学模様が壁のすべてに描かれたアフリカ、カッセーナ族の土の家。

2017-08-18 | 先住民族関連
BIGLOBEニュース8月17日(木)22時30分

 アフリカ、ガーナ北部にある国、ブルキナファソの非常に乾燥した地域には、カッセーナ族という先住民族が住んでいる。
 もろこし、粟などの雑穀を栽培する農耕民である彼らは、一夫多妻制度のもと、同じ敷地内に血縁関係にある男性と複数の妻、子どもたちが暮らしている。
 彼らの住む家はとてもユニークだ。土を水でこねた泥で作られ土の家である。主に四角い家には男性、ヒョウタン型や丸型の家には女性や子どもたちが住んでいる。家を作るのは男性の仕事。家の土壁には様々な幾何学模様が描かれているのだが、これを描くのは女性の仕事。女性たちの好みで模様が決められているという。
【合理的に作られている土の家】
 家が土でできているのには理由がある。乾季の強い日差しで泥はしっかり乾くので強度もある。泥を一段ずつ積んで壁を立ち上げ、横木を渡して木の枝を敷しき、その上にまた泥をのせて屋根をつくりる。泥でできた壁は 30〜50cmの厚さがあり、外の熱気をさえぎり、室内を涼しく保ってくれるのだ。
 各家への入り口は驚くほど小さく、高さは約60〜90cmほどである。これは外敵が入り込むのを防ぎ、熱が入り込まないように凝らされた工夫である。
 更に涼しさを確保する為、地面を 50〜60cm ほど掘り込んだ半地下に居室がある。ここは居間と寝室と食堂を兼かねている。
 台所は一段上がった奥にあり、居室とは仕切られていて、熱気が居室に入らないように工夫されている。天井には穴が開いており、煙抜きや明かりをとる役目を果たす。
via:SO BAD SO GOOD / Artists Without Borders など・translated by どくきのこ / edited by parumo
https://news.biglobe.ne.jp/trend/0817/kpa_170817_7645376739.html

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