先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

アイヌ民族の遺骨故郷へ 北大、協会に返還

2017-08-22 | アイヌ民族関連
朝日新聞 2017年8月21日09時28分
■浦幌で再埋葬
 北海道大学が1930年代に研究目的で浦幌町内の墓から掘り出し、保管してきたアイヌ民族の遺骨64体が19日、故郷にかえされた。子孫らの手によって、町営浦幌墓園に再び埋葬された。
 浦幌アイヌ協会が北大に遺骨の返還を求めた訴訟で、3月に和解が成立。76体のうち64体が返還されることになった。残る十余体は子孫らの引き取りがなかった場合、協会に引き渡される。
 遺骨を載せた車が午後2時すぎに墓園に到着。64体と人数不明の遺骨の計82箱が、アイヌ民族衣装を着た若者らの手で下ろされ、木箱に浴衣や着物がかけられた後、土で覆われた。「クワ」と呼ばれる墓標代わりの白木が立てられ、祈りが捧げられた…
全文:538文字
http://www.asahi.com/articles/CMTW1708210100005.html

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台湾の研究者がアイヌ文化体験(動画)

2017-08-22 | アイヌ民族関連
NHK 08月21日 19時23分
台湾で先住民族について研究している団体のメンバーが21日、日高の浦河町を訪れ、アイヌ文化の一つの木の皮を材料に紡いだひもを使った工芸品づくりを体験しました。
浦河町を訪れたのは台湾の先住民族や大学教授らでつくる「台湾原住民族学院促進会」のメンバー30人で、日高地方のアイヌ文化などを体験するため4泊5日の日程で来日しました。
21日は町内の公民館で、アイヌ文化の伝承活動をしている浦河アイヌ文化保存会の人たちから工芸品づくりを学びました。
使うのはオヒョウの木の皮の繊維を紡いだひもで、色の異なる2本を交互によりあわせて30センチほどの長さにして、飾りとなるビーズを2つつけて腕飾りを完成させていました。
参加した台湾の63歳の女性は「台湾の先住民族にも同じような糸の紡ぎかたがあります。それほど難しくはなかったです」と話していました。
一行は今月24日まで日高地方に滞在する予定です。
http://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20170821/3098281.html

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイヌ民族伝統の「チプサンケ」(動画)

2017-08-22 | アイヌ民族関連
NHK08月21日 08時24分
木でできた舟で川を下り水の安全を祈願するアイヌ民族の伝統的な儀式「チプサンケ」が20日、日高の平取町で行われました。
毎年8月に平取町で行われる「チプサンケ」は、アイヌの人たちが人や物資の運搬に使用した「チプ」と呼ばれる木でできた舟で町内を流れる沙流川を下り、水の安全を祈願する伝統的な儀式です。
20日は5隻の手漕ぎの舟が川辺に用意され、はじめに「カムイノミ」と呼ばれるお祈りを行って、安全を祈願しました。
このあと、1隻ごとに2人の漕ぎ手とヘルメットと救命胴衣を着用した観光客が乗り、およそ1キロの川下りを楽しんでいました。
札幌市の女性は、「アイヌ民族のことを知りたくて来ました。ゆっくりと川を下れたので楽しかったです」と話していました。
http://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20170821/5920031.html


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マリモ恋伝説、和人の創作だった アイヌ民族の話聞き着想

2017-08-22 | アイヌ民族関連
北海道新聞08/22 05:00
 【阿寒湖温泉】阿寒湖を訪れる観光客らに、アイヌ民族の伝説として紹介されてきた「恋マリモ伝説」が、大阪市の元出版社社長(故人)による創作だったことが、遺族が釧路市教委へ寄せた資料から明らかになった。作者はアイヌ民族に聞いた話から着想を得たとのメモを残していた。阿寒観光協会まちづくり推進機構は「出典を明らかにした上で、今後も語り継いでいければ」としている。
 恋マリモ伝説は、恋仲となったアイヌ民族の若い男女が身分違いから結ばれず阿寒湖に身を投げ、魂が姿を変えてマリモになった物語。昭和初期に阿寒湖観光の宣伝で使われ始め、今もイベントなどで取り上げられている。1924年(大正13年)発行の「アイヌの伝説と其(その)情話」に収録されており、アイヌ民族の伝説と考えられてきた。
 ただ、アイヌ民族や研究者の間では和人の創作との見方もあった。釧路市教委マリモ研究室の若菜勇室長は十数年前、22年に朝日新聞社から発行された公募小説集「山の伝説と情話」にも同じ物語が収められ、作者が「永田耕作」だと突き止めた。それ以上の詳細は分からなかったという。
 今年7月、永田さんの次男夏雄さん(88)=大津市在住=から市教委に、永田さんの創作を裏付ける資料の寄贈の申し出があった。永田さんの手書きのメモには、釧路に住んでいた時に親しくなったアイヌ民族から聞いた話を基に「所も、話の筋も変えて作文をした」と記されている。
 永田さんは愛知県出身で、11歳の時に道内の親戚の養子となった。24年に大阪で出版社を創業し、84年に83歳で亡くなった。夏雄さんは40年ほど前に父親から創作だと聞いていたといい、「作品に対するアイヌ民族の気持ちが長年気になっていた」と語る。
 若菜室長は「マリモを有名にした物語の功績は大きい」と評価する。阿寒湖畔で民芸店を営む阿寒アイヌ工芸協同組合長の西田正男さん(71)は「内容が面白く、阿寒湖観光を盛り上げている。アイヌ民族の伝説ではないと明確にすれば、今後も紹介してもいいのでは」と話す。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/127057

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイヌ遺骨、浦幌で再埋葬

2017-08-22 | アイヌ民族関連
読売新聞 2017年08月20日
 北海道大が研究目的で掘り出した遺骨63体と副装品などが19日、浦幌アイヌ協会(浦幌町)に83年ぶりに返還され、町営浦幌墓園で再埋葬された。墓地から研究目的で持ち去られた遺骨の返還訴訟での和解成立を受けたもので、昨年7月の浦河町に続いて2例目。
同協会によると、返還されたのは1934年に北大医学部教授らが、浦幌町のアイヌ墓地から持ち去ったもの。身元のわかる遺骨のほか、人数不明の遺骨と小刀なども含まれている。北大の笠原正典副学長が返還の目録を同協会の差間正樹会長に手渡した。
 再埋葬では、遺骨の入った大小の木箱を並べてアイヌの着物をかぶせ、土に埋められた。墓には墓標を立てて供養が行われた。差間会長は「ホッとした気持ちでいっぱいです」と話した。
 返還された遺骨を供養する祭事「イチャルパ」と神へ祈りをささげる「カムイノミ」は20日午前10時から、町浜厚内生活館で公開される。
http://www.yomiuri.co.jp/hokkaido/news/20170821-OYTNT50253.html

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

道新 アイヌ語小文字発音講座 5 小文字の「ム」(動画)

2017-08-22 | アイヌ民族関連
北海道新聞(2017/08/09)
アイヌ文化を伝える北海道新聞の記事に時々登場している、片仮名の小書き文字。小文字表記されるアイヌ語独自の発音の仕方を、音声と動画で分かりやすく伝えるため、北海道新聞のニュースサイト「どうしん電子版」で「道新アイヌ語小文字発音講座」を公開しています。
https://www.hokkaido-np.co.jp/movies/detail/5536238651001

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

慶大医学部第40次派遣団が来伯 先住民族の伝統医療の調査も

2017-08-22 | 先住民族関連
サンパウロ新聞2017年8月21日

来社した武林団長、殿村さん、清水さん、白石さん(左から)
 慶応義塾大学医学部の学生団体「国際医学研究会」(IMA、武林亨会長)第40次派遣団の清水俊志さん、殿村駿さん、白石哲郎さんが団長の武林会長(同大学教授)と共に来伯し、10日、あいさつに来社した。
 同派遣団は、医学部6年生3人で構成され、研究調査のために毎年ブラジルを中心とした世界各国を訪れていて、今年で40年目となる。
 7月16日に着伯し、これまでにマット・グロッソ州クイアバやシングーインディオ国立公園、セアラ州アラカチなどを訪れ、インディオの伝統医療の現場を調査したり、眼科健診などを行った。今後はサンパウロ州内の大学や医療機関を訪れる他、ロライマ州ボア・ビスタ市とアマゾナス州マナウス市を訪れ、医療関係機関見学や、現場実習などを行う予定だ。
 同研究会は「医の原点の実体験」と「医学、医療を通じた国際交流」を基本理念として掲げて活動しており、「文化的・社会的背景に応じた理想医療の探求」をテーマに背景の異なる複数の先住民族の調査を行っている。
 初来伯となった団長の武林氏は、「40年前の(同派遣団の)人たちは今の医学界のリーダー。帰国後に先進医療を学んでも、心の中にアマゾンでの経験が残っている。今回、ブラジルの風土や人と接しながらそのことがよく分かった」と語り、今回の派遣団の学生が聖市内の学生とも積極的に交流を図っていることにも触れ、日伯間の交流と医療実習の経験を次世代につなげていくことに期待を寄せた。
 世話人として一緒に来社したサンパウロ日伯援護協会巡回診療医師の肥田ミルトン正人氏は、40年続く同派遣団に対し、環境の変化や先住民の自然との付き合い方と触れることで「毎年(同派遣団の)何かが大きく変わる」と指摘し、学生らの成長を確信していた。
http://saopauloshimbun.com/%E6%85%B6%E5%A4%A7%E5%8C%BB%E5%AD%A6%E9%83%A8%E7%AC%AC40%E6%AC%A1%E6%B4%BE%E9%81%A3%E5%9B%A3%E3%81%8C%E6%9D%A5%E4%BC%AF%E3%80%80%E5%85%88%E4%BD%8F%E6%B0%91%E6%97%8F%E3%81%AE%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E5%8C%BB/

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シャーロッツビル事件のその後

2017-08-22 | 先住民族関連
ハフィントンポスト 2017年08月21日 11時14分 JST 更新: 2017年08月21日 11時16分 JST
執筆者: Sebastian Murdock

アメリカ・バージニア州シャーロッツビルでの白人至上主義者らの集会で抗議した1人が殺害され、十数人が重軽傷を負った事件から1週間後の8月19日、ボストンでは、差別容認派による自称「言論の自由」集会が開かれた。
差別容認派の集会は通称「オルト・ライト」のメンバーによって取りまとめられた、数十名程度の規模だった。一方、これに対抗するべく集まった群集は数万人に達し、集会の参加者を萎縮させた。差別容認派に対抗した人々のメッセージは、「この国には白人至上主義者は要らない」だった。
カウンターの群衆はデモ行進し、集会が開かれている史跡公園ボストン・コモンに集結した。そして、「人種差別主義者をまた怖気づかせてやろう」「ナチスをかばうのは誰だ?トランプだ」と口々に唱えた。
また、空撮されたビデオには、差別を容認する「言論の自由」派がバンドスタンド内に身を寄せ合い、反対する大群衆が公園を取り囲んで抗議する様子が映されていた。
トランプ大統領もデモ参加者を称えた
Twitterでドナルド・トランプ大統領は大会を「警察嫌いのアジテーターでいっぱい」と批判した。その後、大統領はどちらのグループかは明確にしなかったものの、ボストンのデモ参加者を称えた。
「偏見と憎悪に対して声を上げたボストンのデモ参加者たちに拍手を送りたい」とトランプ大統領はツイートした。「我々の国はすぐに1つにまとまる!」とも。
ボストンは警察嫌いのアジテーターでいっぱいのようだ。警察は力強く賢く対応しているようだ。感謝。
「我々の偉大な祖国は何十年もの間バラバラだった。修復には時として抗議行動も必要だ。そして、我々は1つにまとまり、以前にも増して強くなるのだ。」
「偏見と憎悪に対して声を上げたボストンのデモ参加者たちに拍手を送りたい。我々の国はすぐに1つにまとまる!
差別を容認する「言論の自由」派の集会と、抗議集会、参加したのはどんな人々なのか?」
ボストン警察はこの日の夜までに33人を逮捕したと発表した。集会後、何万人もの抗議行動参加者がボストン・コモン周囲の街路に溢れたため、警察との間に若干の摩擦があったと報告されている。
差別を容認する「言論の自由」派の集会の主催者はフィッチバーグ州立大学映画科4年生ジョン・メドラー氏らだった。メドラー氏は、この集会の意図は「あらゆる個人には言論の自由があり、この基本的人権をまもることだ」と強調している。
Facebookへの書込みで、同グループは集会を「人種差別や偏見を助長する踏み台」として提供しているのではないと書き加え、バージニア州シャーロッツビルでの事件との繋がりを繰り返し否定してきた。
メドラー氏が当初姿を見せなかったことから、若干の混乱が8月19日に生じた。警察は、公園内の所定の場所への集会参加者の入場を少し遅らせた。
ロン・ヴィラリアル氏は、年代物の兵士の服装で「言論の自由」集会に参加しに来た。彼はシャーロッツビルでの暴力行為は「ボストンには関係無い、何千マイルも向こうの話です」と話した。
ヴィラリアル氏は、この「言論の自由」集会での発表者が誰かも知らなかったが、言論の自由を守るために参加することを決めたのだという。彼はプラカードを携えていたが、その内容をハフポストに見せることは拒否した。
「もしクー・クラックス・クラン(KKK)の会員がマサチューセッツ州内に6人居たら、ビックリです」「これはクランの集会ではありません」と、ヴィラリアル氏は取材に対して語った。
抗議側として参加した58歳のアフリカ系ボストン市民オデル・ラフィン氏は、血と土の観念論にはうんざりだと語った。
「彼らは松明も盾も催涙ガススプレーも持ってきていません。彼らはこの国を自分らのものにしたいと言っています。この国は一度も彼らのものだったことなんてありません」と、ラフィン氏は言った。「彼らはこの国を所有していたことなんかありません。奴隷制は終わっているのに、彼らはまだ続けたいのです。思うに、盗んだものを無くしたせいで彼らは騙されたような気分になっているのではないかと思います」。
5時間近くを予定していた「言論の自由」集会だったが、ちょうど2時間で集会の参加者たちは諦め帰路に就いた。
「言論の自由」集会が途中終了した後、ボストン警察本部長ウィリアム・グロス氏は、抗議に集まった人々に対して、前向きでいるように、また、憎悪に対する勝利を祝うようにと述べた。また、抗議活動の参加者に対して「誇りに思う」とも語った。
「彼らは、外見や生活様式、出自で私たちを見下そうとするものです ― そんなことはボストンではさせません」とグロス本部長は記者たちの前で述べた。
http://www.huffingtonpost.jp/2017/08/20/white-nationalist-christopher-cantwell-fights-back-tears-at-prospect-of-arrest_n_17794260.html

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする