先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

[反ヘイト]差別反対は「反日左翼」 沖縄やアイヌ民族総称 杉田衆院議員 那覇で講演会 龍谷大の松島教授批判 「公人として差別やめるべきだ」

2024-09-08 | アイヌ民族関連

沖縄タイムス2024年9月8日 3:59

 自民党の杉田水脈衆院議員が6日、那覇市内で講演し、差別根絶に取り組む沖縄、アイヌ民族、在日コリアン、被差別部落などの人々を総称して「反日の左翼がどれだけ力を持っていて、どれだけ面倒くさいか」と述べた。差別問題で被害者側に非があるかのような誤った発言で、差別を根絶すべき国会議員の責務に反する。

会員の方はログイン

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1430625


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画『シサム』は「没入感がすごい」!アイヌと和人の歴史を描く本作を、北海道出身漫画家が描きおろしレビュー

2024-09-08 | アイヌ民族関連

ムービーウォーカー2024/9/7 12:30

人気コミックを映画化した『ゴールデンカムイ』(24)の大ヒットでアイヌへの理解と関心が広まるなか、この秋、江戸時代の“蝦夷地”(現在の北海道)を舞台に、アイヌと和人の対立と共生に迫った壮大な歴史スペクタクル映画『シサム』(9月13日公開)が公開となる。アイヌ語で“隣人”を意味するタイトルの本作は、『せかいのおきく』(23)、『首』(23)などの寛一郎の演じる若き武士が、アイヌの風習や文化に触れながら、彼らとの関係や自分自身を見つめ直していく物語。

アイヌと和人の歴史を描きだすスペクタクル映画『シサム』(9月13日公開)

[c]映画「シサム」製作委員会

すべての写真を見る(19件)

映画の舞台にして、ロケ地である北海道の白糠町と隣接する釧路市出身で、白糠に親族が住んでいたこともあるという漫画家の横山了一は、「アイヌのことを知らないライトユーザーでも作品の世界にスッと入っていけるわかりやすい語り口でしたね」と振り返る。さらに、「ウポポイ」(北海道白老郡白老町にある民族共生象徴空間=国立アイヌ民族博物館)を訪れ、アイヌ文化を学ぶ機会もあった横山が、「そんな僕でも知らないことがいっぱい描かれていました」と興奮気味に語るほどリアルな世界観を描きだし、迫力のエンタテイメント作品に仕上がっている本作の感想を、横山の描き下ろしの漫画と共に紹介する。

江戸時代前期。“蝦夷地”と呼ばれた北海道を領有する松前藩の若き武士、高坂孝二郎(寛一郎)は、兄の栄之助(三浦貴大)と共に、アイヌとの交易で得た物品を他藩に売ることを生業にしていた。だが、ある晩、品数と交易の歩合を捏造し、横流しをしようとしていた使用人の善助(和田正人)が、その現場をおさえた栄之助を殺害。敵討ちを誓う孝二郎は、善助を追ってアイヌが暮らす森の奥へと足を踏み入れるが、そのころ蝦夷地では、和人に対する反発と蜂起の動きが激化していた。

「あの村に迷い込んだような没入感がすごくありました」

映画は思いがけない出来事でアイヌの奥地に踏み入れることになった孝二郎の目線で描かれるが、横山は「主人公がなんの力もない、物事を深く捉えようとしていなかった武士の次男坊というのがよかった。そんな彼がアイヌに触れて成長していくストーリーだから、感情移入しやすかったし、アイヌの文化も丁寧に描かれていて見応えがありましたね」と観た直後の感想を素直に口にする。

そして、「あの村に迷い込んだような没入感がすごくありました」と強調する。それこそ、アイヌの人たちが発する言葉も本編の序盤までは字幕も出ず、観客も彼らが話している内容を理解することができない。だが、「途中から(字幕が)出ますよね」という横山は、そういった作り手の演出を評価する。「外国に行ったような感じを出すために初めはあえて字幕をつけていなくて。孝二郎とアイヌの人たちとの距離が縮まってから字幕がつくようになるんですけど、そのタイミングが絶妙でうまいなと思いました」。

そう、映しだされるものすべてがリアルだから、観る者も興味を持ってぐいぐい引き込まれていくのだ。そこでは、主演の寛一郎が小手先のことをしない、飾らない芝居をしていることも大きく関係をしている。彼は劇中の孝二郎そのままにロケ地の白糠町の大自然に触れ、されるがままにアイヌの伝統的な衣裳を着せられ、彼らの儀式の洗礼を受け、食事も共にする。その佇まいはまさに“孝二郎”で、横山も「僕はいままで寛一郎さんの出演作をあまり観たことがなかったのですが、ナチュラルな芝居がすごくよかった。うまい!孝二郎と同じ目線になれるんですよ」と絶賛。

「これまでのアイヌの映画ではあまり描かれることのなかった表現もあり、すごくこだわっているなと思いました」

小学生のころに授業でアイヌのことを習い、白糠と同じようにアイヌの文化がいまも残る阿寒に観光でよく行ったという横山は、「これまでのアイヌの映画ではあまり描かれることのなかったアイヌの女性の口の周りの刺青もしっかり再現されていたし、変わった音を奏でるアイヌの民族楽器“ムックリ”も出てきたから、すごくこだわっているなと思いました。鮭を獲るシーンもリアルで好きでしたね。アイヌの人たちが鮭漁をするのは僕も知っていたけれど、彼らが(“獲ったらすぐに命をいただかなければいけない”という)昔からの教えと伝統に則って、鮭の頭を棒で叩くのは知らなかったから、あれには驚きました。うまく叩くアイヌの人たちと叩き方が下手な孝二郎を比較するように描写し、そうすることで、あの方法の漁が長年行われていることを伝えているのもうまいと思いましたね」という言葉にも説得力がある。

敵を追ううちに怪我を負ってしまった孝二郎は、アイヌの人々に助けられる。彼らの手厚い介抱を受けることになるのだが、完治するまで頑なに外に出ることを禁じられる。「“病に侵された者は、ほかの人たちにうつすといけなから外に出てはいけない。村から出られない”というアイヌの教えは知らなかったので、目から鱗でした。勉強になりましたね」と述懐する横山。「その縛りによって主人公が動けなくなるのは、ストーリーを作るうえでも使いやすい設定だなと思いました」と、漫画家ならではの視点も披露した。

「戦いの壮絶さや怖さがリアルに伝わってきました」

さらに、孝二郎を取り囲む俳優陣の演技に言及する。アイヌの登場人物たちの大半は、全編がアイヌ語のセリフという難役だった。なかでも、和人によって愛する人を失ったアイヌの女性リキアンノに扮したサヘル・ローズを「すばらしかった」と褒めると、孝二郎の献身的な介護をするアイヌの少女ヤエヤムノに扮した、本作が本格的映画デビューとなる佐々木ゆかを「かわいくて、すごくよかった!」と称賛。「あの少女は孝二郎に恋心を芽生えさせているみたいだったから、今後発展していくのか…」とロマンス要素への期待もこぼれる。
もちろん、和人に敵対心を燃やすアイヌの青年、シカヌサシになりきった坂東龍汰を讃える言葉も忘れない。「カッコよかったですね。存在感がすごくありました。和人と戦うんだ!と最初はイキっていて。でも、初めて本物の戦いに直面した時のリアクションはリアルな感じがすごく伝わってきたので、すごく好きでした」。

そんな横山が個人的にいちばんシビれたのは孝二郎の先輩の松前藩士、大川を演じた緒形直人だ。「ドラマでよく拝見していてスゴい方だと思っていたんですけど、本作でもすごく深みのある演技をされていて、カッコよかった。大川はクライマックスで孝二郎の願いを聞き入れて“ある選択”をするんですけど、その時の芝居は特に重厚でよかったですね」。
そのクライマックスに向かって高まるのは、不公平な取引によって利益を得ようとする和人に怒りを燃やすアイヌと、そんな彼らの文化や風習を理解することなく、力で制圧しようとする和人の摩擦が生んだ、ただならぬ緊張感。それがついに爆発し、血で血を洗う戦いへと雪崩込んでいくスペクタクル・シーンも本作の大きな見どころになっていて、「壮絶でしたね。スゴかった!」と訴える横山の声も自然に大きくなる。「ドローンを使っているのかな?弓矢が飛んでいくのを上からとらえたあの映像は初めて見たからちょっとビックリしました。それに、生々しいアクションが多い。よくある時代劇みたいにただ斬って終わりじゃなく、本当に殺す気で相手に斬りかかっているから戦いの壮絶さや怖さがリアルに伝わってきました」。

そのスケールの大きな迫力の映像は、北海道の大自然だから撮れたものだが、横山はこれを「フキが画面いっぱいに映っているのも北海道ならではなんですよ(笑)」と地元の人ならではのマニアックな視点で評価。「僕も子どものころはフキを千切って遊んでいたけれど、あのたくさんのフキが映っているのを見て、白糠の大地でちゃんとガチで撮っているのがわかって感心しました」。

果たして、その戦の果てに待っているものとは?和人とアイヌ、双方の思いや考えを知る孝二郎が最後にとる行動とは?そこは観た時の感動が奪われるのでここでは言及しないが、横山は「史実があるし、松前藩の対応がガラっと変わるわけではないから、落とし方が難しそうだなって思いながら観ていました」と前置きをしたうえで、「すごくいいバランスの物語になっていましたね。青年が異文化のなかで成長していく姿を描く青春ストーリーでもあり、清涼感があってよかった」という感想を噛み締めていた。
※「シサム」「ヤエヤムノ」の「ム」の正式表記は、小文字表記
取材・文/イソガイマサト 漫画/横山了一

https://moviewalker.jp/news/article/1215565/


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

芝公園内の開拓使仮学校跡の碑の前で、日本の先住民族アイヌを想い、語り合う。

2024-09-08 | アイヌ民族関連

TBSラジオ 2024.09.07土曜日09:04

 東京・港区の芝公園の一角に「開拓使仮学校跡」という石碑があります。明治政府の開拓使は、先住民族のアイヌが暮らす北海道など北方の開拓のための官庁でした。
開拓の指導者養成のための開拓使仮学校は明治5年、1872年に設置されました。のちの札幌農学校、現在の北海道大学につながるわけですが、仮学校には付属の「北海道土人教育所」がありました。しかし、そのことは石碑の文章に書かれていません。
 8月25日、石碑の前で「アイヌ民族の権利回復を求める会」主催のフィールドワークが行われ、メンバーの加藤登さんがこの場所について説明しました。「1872年、開拓使仮学校附属土人教育所と第三官園に38名のアイヌ民族が連れてこられた。そのうち5人が亡くなって、多くの人が2年ぐらいで、もう私は国に帰りたいというようにして、この学校って2年間しか続かなかったんですね」。    
連れてこられたのは、10代から30代の男女で、年少者は日本語の読み書きにそろばん、裁縫、年長者は渋谷にあった第三官園(農園)で、西洋式の農業を学ばされたようです。
 北海道土人研究所について調べた、鹿児島純心大学教授の廣瀬健一郎さんは、「アイヌを明治政府の統治に組み込むため、アイヌの世界観、文化、生活のスタイルを破壊するような教育内容で、場当たり的な政策だった」としています。
 文明開化をうたっていたこの時代、行儀作法から和服・洋服、慣れない食事を強制され、体調を崩し、亡くなる人が相次いだことについて、廣瀬さんは「親、兄弟、妻に会えないで、ここで亡くなった方たちなんですよね。親、兄弟、子供にも会えないような生活環境。それが与える精神的なプレッシャーというところも一緒に考えないと、ただ病気の死因はこれですよということでは、ちょっと済まない問題があるだろうということを想像しなきゃいけないなというふうに思います」とこの日、補足していました。
 参加者の1人、宇佐照代さんは北海道・釧路出身のアイヌで、10歳の時、東京に移り住みました。現在は様々なアイヌ文化の継承に関わり、都内でアイヌ・北海道料理「ハルコロ」を経営する宇佐さんは家族と一緒に参加していましたが、「お墓には、そこには魂はないとわかってるけど、やっぱり自分の先祖のことを想いますよね。今日もここにね、亡くなった方たちの魂があるわけじゃないけど、やっぱりそのときのことを思うのが大事だし、それを思ってみんなで共有してるのを、その子供たちが見るのが大事だと思う」と話していました。

 石碑の辺りでは、20年ほど前から、首都圏に暮らすアイヌのグループ「レラの会」を中心に、教育所で亡くなったアイヌ、そして、現在に至るまで、故郷を離れて亡くなったアイヌを一人ひとりを追悼する「イチャルパ」(先祖供養の儀式)を行っています。レラの会のメンバーもこの日、参加していました。
 また、アイヌの権利回復や、明治以降、北海道大学をはじめ、各地の大学の研究者らが墓から掘り出して奪った、アイヌの人骨の返還を求めるといった様々な活動に関わっている日本人、アイヌから見た「和人」も合わせ、20人が参加しました。
 最後は参加者全員で黙とうし、連れてこられ、亡くなった5人、そして、アイヌが置かれた状況の中、何らかの事情、理由から、故郷の北海道を離れ、関東で亡くなったアイヌのことを想い、祈りました。

 「同化政策、差別について、この問題をきっかけに、皆さんとこれからも考えていけたらなというふうに思っております」「ここに無理やり連れてこられたアイヌ民族の無念ですよね。それはやっぱり晴らしたいというか、そういう気持ちがあります」「ここの碑に初めて来たんですよ。和人として、頭ではわかっていても現実的にね。芝公園っていうと、昔デモでは来たことがありましたけど」「ここで、集まりがあると聞いて、久しぶりに来ました。過去もしっかり見て、これからもね、見ていく。そういうふうな場所でありたいなと思います」。参加者の自己紹介の時にも、様々な声が聞かれました。終了後も場を移して、それぞれに語り合っていました。
 主催した「アイヌ民族の権利回復を求める会」には最近、北海道土人教育所に連れてこられた38人の中の1人の子孫から連絡がありました。その人は、身内が亡くなったことをきっかけにいろいろと調べ、初めて、自分とこの場所の縁を知ることになったそうです。宇佐照代さんは「ご親戚というか、身内の方が判明して関心持っていただいたってことは過去のことだけじゃなく、ちゃんと今現在にそれが脈々とね、広がったというか繋がったっていうか、それこそ、これからの未来に繋がりますね。いやびっくりした。いや嬉しいです」と話します。
 「開拓使仮学校跡」の石碑は芝公園の4号地、地下鉄御成門駅の近くにあります。追悼の場であり、様々な想いをめぐらし、多様な人、文化が共存する日本列島の現在、未来を考える場でもあります。

 TBSラジオ「人権TODAY」担当: 崎山敏也記者

https://www.tbsradio.jp/articles/87526/


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

作家・桜木紫乃さん 自分の中の「無意識」を確かめたかった アイヌの女性をテーマに〝静かに刺さる〟連作短篇『谷から来た女』

2024-09-08 | アイヌ民族関連

夕刊フジ2024.9/7 10:00

デビューから22年、直木賞受賞から11年、27作目にして、これまで書き得なかったテーマに挑んだ桜木紫乃さん。「原点回帰、2周目」という作品に選んだテーマは知らずにすまされない、〝静かに刺さる〟物語だ。

「差別」という言葉の取り上げ方が主観的

――この物語を書くきっかけは

「『オール讀物』の石井(一成)編集長から短篇小説の執筆を依頼されたんです。石井さんは私のデビュー本の『氷平線』の担当者でとても苦労させてしまって、あのときビシビシ鍛えてくれたのですが、当時は二度と会いたくないぐらいに思ったんじゃないかしら。今回、石井さんと原稿のやりとりができるようになって、あのときより少しはうまくなったところを見せたいし、私にとって2周目、原点回帰の意味があると思いました」

――それで選んだテーマはアイヌの人々

「実はデビュー前に何度かアイヌ女性の話を書いたのですが、筆が追いつかなくて表現しきれなかったんです。もう一度挑戦してみたい、と思って書きました。それと直接には『谷から来た女』で大学教授の滝沢がテレビ局の番組審議会で発言したこと。実はそれは私の言葉なんです」

――アイヌの女性のドキュメンタリー番組で差別という言葉の取り上げ方が主観的で質問者の偏りを感じるんだ、などと批評した件ですね。物語では第1話、2021年のことです

「オブラートにつつんだつもりが会の空気が凍ってしまって。そこにいたのがアイヌ紋様デザイナーの貝澤珠美さんでした。アイヌの彼女は番組を作ってくれてありがとうって大人の発言をしたんです。私が気負ったことを言っているところに彼女の発言は、私の心の傷だったんですけど、その席で貝澤さんが周りから〝あなたはアイヌに見えないから大丈夫よ〟って言われた話をしたんです。言うほうは発言のネガティブさに気が付いていないんだなって。でも、自分にもそんなことがないかどうか書いて確かめたかった、それも執筆の動機です。それとものづくりをする人が大好きで、彼女を主人公に借りました。中身は全部フィクションです」

――北海道出身でご自身の周囲にアイヌの人たちは

「道東ですから、多いのですが、ハーフでもクオーターでも気にしたことがなかったんです。親がネガティブなことを言えば、子供も同じく言っていいんだと思っちゃう。うちは幸い客商売だったし、お客様の噂話は子供の前では一切しなかったんです」

地味でも続けてきたどうだ!って気持ち

――1作目を書いて、それが連作となりました

「1作目が成功していないと、2作目はかかせてもらえませんから。今回はデビュー時のようなドキドキ感がありましたね。連作短篇を書くときは『ホテルローヤル』でもそうだったんだけど、中心に据えた人がいろんな角度から見えるようにして、連作が終わる頃には360度丸くなっている。1話1話完結しながら全部読んでいくとふわっと浮き上がって来るものがあるのは書き手としても気持ちのいいものなので、今回も赤城ミワを中心に年代と出会いを変えてます」

――各話の視点人物がまさに赤城ミワを見ている

「そう、そして視点人物は自分の無意識に(気づいて)傷ついているんです」

――先ほどの書いて確かめるというのは

「どんな原稿も自分の問いに答えが欲しくて書いています。自分の方程式でどこまで解けるのか。あるいは解けないのか、知りたいの」

――2周目にはいってこれからは。同じ北海道出身で今年直木賞作家となった河﨑秋子さんが桜木さんの背中を追いかけていると

「こんな背中でも役に立つんでしょうか。自慢できるのはどんな状況でも、やめなかったことぐらい。なかなか私、やるな、って。直木賞をいただいたとき、3年で消えるっていわれたの。こんな地味なことを書いていたら消えるって。でも、地味なところから動かなかった。どうだ! まだ続けているぞっていう気持ち。それとちょっとでもうまくなれたらうれしい。私の〝うまい〟の基準はファンじゃない人が作品を最後まで読んでくれるということです。これからもその時一番書きたいものを書く。だから本当の意味での商業作家じゃないかもしれませんね」

(取材・竹縄昌 撮影・酒巻俊介)

『谷から来た女』 文芸春秋・1870円(税込み)

アイヌ紋様デザイナー赤城ミワをめぐるうたかたの恋など邂逅と別離の6つの物語。「谷から来た女」「ひとり、そしてひとり」「誘う花」「無事に、行きなさい」「谷へゆく女」「谷で生まれた女」の6篇を所収。「2021年という〝現在〟からミワの若き日々、そして彼女の両親の出会い…。それらに通底する周囲の無意識。冒頭の「谷から来た女」で記された「あなたはアイヌに見えないからだいじょうぶよ」という一言がキーワードとなる。装画はモデルとなった貝澤珠美さんが本作のために描いた。

■桜木紫乃(さくらぎ・しの) 1965年、北海道釧路市生まれ。作家。2002年「雪虫」でオール讀物新人賞を受賞してデビュー。07年「雪虫」を所収した『氷平線』で初の単行本を出版。13年『ラブレス』で島清恋愛文学賞受賞。同作で初の直木賞候補。同年『ホテルローヤル』で直木賞受賞。20年『家族じまい』で中央公論文芸賞を受賞。『起終点駅(ターミナル)』『緋の河』『孤蝶の城』『俺と師匠とブルーボーイとストリッパー』など著作多数。他に映像化作品や作詞提供も。

https://www.zakzak.co.jp/article/20240907-SGQZ7ZKGWNPMJEFKYUVRU54IAA/


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

病気以外は外さない「リング・レディー」 マレーシア少数民族、消えゆく銅の輪の装い

2024-09-08 | 先住民族関連

共同通信 2024/09/08 07:04

銅の輪を腕に巻くシンガイさん(右)とタウドさん(中央)=2024年6月、マレーシア・クチン郊外(共同)

 マレーシアのボルネオ島サラワク州の州都クチンから山道を車で約1時間。突如、2階建ての家屋が並ぶ新開地が現れた。巨大ダムの建設とともに故郷を追われた少数民族ビダユ系の支族エンバハンの村だ。ここで、銅の輪を腕やふくらはぎに巻く女性たちと会った。(共同通信=角田隆一)

 「病気の時以外は外さない。私たちが輪を巻く最後の世代だ」。シンガイ・ネカンさん(78)は話す。地元では「リング・レディー(輪の女性)」と呼ばれる。手製の輪は美しさの象徴だ。

 1本の銅線をコイルのように腕とふくらはぎに巻く。ライムの果汁で磨き、光沢を放つ。女性は6~8歳になれば、寝る時を含め常時まとうのが伝統だった。ただ、集落でこの装いを続けるのは5人の高齢女性だけになった。

 1960年代に公立学校の教育が始まった。少女たちは学校で銅の輪を着けることを禁じられた。「何度も説得したが、若い子は誰も聞かない。着けるのが痛そうだと」

 サラワク州はマレー半島部と違い、マレー系が少数派だ。世界有数の雨量があるボルネオ島中心部から幾重もの川が南シナ海に注ぎ、多様な先住民族が暮らしてきた。ただ、近年は豊富な水資源を当てにしたダム建設や、アブラヤシ畑のための森林伐採が進み、人々の暮らしに影響している。

 シンガイさんが住むのは200人ほどの集落だが、もともとは車が走れる道路がない山中に村があった。2013年にダム開発に伴い、政府の開発した地に移住。「ここは土が乾いている。山の中ではドリアンがたくさん取れ、食べ物に困ることはなかった」と懐かしむ。

 集落から離れた見晴らしのよい丘に竹の小屋があった。シンガイさんの友人タウド・ルハンさん(78)が「集落はうるさくて、時々ここに来て休む」と自力で建てた。タウドさんは集落で輪を作ることができる最後の1人だ。「いずれ誰もいなくなる。伝統も消えるだろう」

https://news.goo.ne.jp/article/kyodo_nor/nation/kyodo_nor-2024080801001808.html


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする