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八雲木彫り熊 次世代へ 作品誕生100年トークイベント

2024-09-15 | アイヌ民族関連

斉藤高広 会員限定記事

北海道新聞2024年9月14日 10:51

ジョバン社製の古い木彫品を町に寄贈したフラビウス・ジョバンさん(右)。左は長年交流を続けてきた元八雲商工会長の鈴木譲さん

 北海道を代表する木彫り熊産地の渡島管内八雲町で第1号の作品が誕生して100周年を記念する町教委主催のトークイベントが開かれ、関係者がその歴史を振り返り、次の100年に向けた展望を語った。

■柴崎、根本ら名工 「芸術家」自認

 木彫り熊作りが八雲に広がるきっかけをつくったのが、尾張徳川家第19代当主徳川義親(よしちか)。八雲に入植した旧家臣たちの困窮を憂い、新婚旅行で訪れたスイスから持ち帰った土産を参考に、農閑期の副業として木彫りを勧めた。戦後、柴崎重行、根本勲らの名工が独自の作風で作品を生み出した。

 義親が約100年前に買い求めたのは、スイス・ベルン近郊のブリエンツで1835年から続く木彫工房・ジョバン社製。8月31日と9月1日に開かれたトークイベントには5代目のフラビウス・ジョバンさん(56)が八雲町に来訪。100年以上前に同社で制作された、動物をかたどった木彫品など43点を町に寄贈した。

 ブリエンツでは木彫りの職人を養成する専門学校、工房、博物館が一体となって伝統を受け継いでいるという。「角ばった面彫りで抽象的な柴崎熊に感動した」というジョバンさんは「工房の職人に八雲の技法を学んでほしい」と語った。

 八雲の木彫り熊を紹介した「熊彫(くまぼり)図鑑」を編集・執筆した東京在住の編集者、安藤夏樹さん(49)は「柴崎と根本は初期の段階から芸術家であることを(自ら)認識し、他の作家と一線を画していた」と話し、共に抽象的な表現にこだわったと分析。「柴崎らの作品が今も評価されていることは、(今年春の)東京の百貨店での展示にすごい数の人が集まったことからも分かる」と語った。

 八雲の木彫り熊は、1971年に開設され一時休止を経て現在も続く公民館講座で後継者が育てられている。・・・・・

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 <ことば>八雲の木彫り熊 1878年(明治11年)、尾張徳川家の士族集団移住によって八雲の開拓が始まった。第19代当主の徳川義親(1886~1976年)が1921年(大正10年)から約1年かけて欧州を旅行した際に訪れたスイスで購入した木彫り熊のペザントアート(欧州の農民芸術)を持ち帰り、八雲の農民に農閑期の副業として制作を奨励。24年(大正13年)、八雲で第1回農村美術工芸品評会が開催され、スイスの木彫り熊をモデルに出品された伊藤政雄の作品が第1号となった。同じ頃、旭川でも松井梅太郎によって木彫り熊の制作が始まり、戦後の北海道観光ブームに乗って木彫り熊は北海道土産の定番となり、産地は全道に広がった。

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1062962/

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