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月の周期が人の健康に影響する? 最新研究の意外な結果

2024-09-06 | アイヌ民族関連

ナショナル ジオグラフィック2024年9月6日 5:00

太古の昔から、世界中の人々は、満月が心と体に変化をもたらし、われわれをより暴力的にしたり、奇妙な行動をとらせたりすると信じてきた。研究者らは長い間、そうした主張を否定してきたが、最近の研究では、月のサイクルが一部の人々にかすかな影響を与えることが示唆されている。とりわけ、睡眠、女性の月経周期、双極性障害の人の気分の変動といった、周期的な現象においてだ。

月の周期の影響を受ける動物はいる。海では、月は潮の満ち引きだけでなく、そこで暮らす生物にも影響を及ぼす。多くのサンゴや多毛類(ゴカイなど)、ウニ、軟体動物、カニが満月の前後に産卵するのは、光の増加によるものだと考えられている。

人間にも月のサイクルが影響するのかについては、研究者たちは長らく否定的であり、影響が「ある」か「ない」かで互いに矛盾する多くの研究結果が発表されてきた。実際、殺人や外傷センターへの入院、精神科への入院については、満月の前後での増加は見られないとする大規模な研究がある。

しかし、最近の研究により、潮目が変わりつつある。

近年の発見は、月がわれわれに影響を与えることはないという長年の認識に疑問を投げかけるのに十分であり、月が人間の体や心にどのように影響しているのかを調査する必要があると、オーストリア、ウィーン大学の時間生物学者クリスティン・テスマール・ライブレ氏は述べている。

「これはデータですから、われわれは科学者としてそれを理解し、説明するよう努めなければなりません」

睡眠と月

米シアトルにあるワシントン大学の睡眠研究者、オラシオ・デ・ラ・イグレシア氏は、2021年1月に学術誌「Science Advances」に発表した研究の結果に驚かされたという。

デ・ラ・イグレシア氏らのチームは、活動をモニターする腕時計型センサーを使って、2つの非常に異なる集団の睡眠パターンを、1週間から2カ月にわたって追跡した。ひとつ目のグループは、アルゼンチンの先住民トバ族(コム族)のコミュニティーに属する約100人であり、多くは電気がない、または室内灯はあるが街灯はない環境で暮らしている。ふたつ目のグループは、ワシントン大学の学部生数百人だ。

先住民の参加者は、満月前の数日間には、平均で約20分遅く眠りにつき、全体の睡眠時間も短くなった。しかし、デ・ラ・イグレシア氏にとって予想外だったのは、シアトルの学生たちの多くも、満月の前には睡眠時間が減っていたことだ。シアトルは大都市であり、人工的な光が月明かりをかき消し、学生たちは満月がいつなのかさえ知らない場合が多い。

満天の星空と輝く月が、エベレストに設置されたたくさんのテントを照らす。(PHOTOGRAPH BY CORY RICHARDS, NAT GEO IMAGE COLLECTION)

「これには非常に驚かされました」と氏は言う。古代の狩猟採集民はおそらく、月の周期を感知して、満月前の夜には警戒心を高めて活動的でいられるように、われわれのまだ知らない何らかの方法を進化させたのだろうと氏は考えている。満月の頃は夜の前半が比較的明るく、資源を手に入れたり、社会的な活動をしたりできるからだ。

もうひとつの予想外の結果は、どちらのグループでも被験者の多くが、一般には月が見えなくなる新月の前後にも、睡眠時間が短くなったことだ。

これには明らかに、月明かり以上の何かが関係している。デ・ラ・イグレシア氏の仮説は、満月と新月の時期に最も強さが増す潮汐力が、睡眠パターンに影響している可能性がある、というものだ。これらの時期には、太陽、地球、月が一直線に並び、地球の両側にかかる引力と慣性力が最大になる。

しかし今のところ、人間やその他の動物が、そうしたかすかな引力の変化を感じられるという証拠はないと、テスマール・ライブレ氏は言う。

月の周期を認識する海洋生物のイソツルヒゲゴカイ(Platynereis dumerilii)については、これまで非常に詳しく研究されてきたが、彼らが感じ取っているのは引力ではなく、月の光の持続時間だ。

一方、米国立精神衛生研究所(NIMH)の名誉科学者で精神科医のトーマス・ウェアー氏は、どのような感覚を使っているのかはわからないものの、人間が引力の変化や、引力が地球の磁場に及ぼす影響などを感じられてもおかしくないと考えている。「生物が物理的な力にどのように反応するかについては、まだわからないことがたくさんあります」と氏は言う。

月と気分の変動

2017年に学術誌「Molecular Psychiatry」に発表した研究で、ウェアー氏らは、米国の双極性障害の患者17人を、延べ37年半にわたって追跡した。この病気では通常、数週間ごとに躁(そう)状態とうつ状態の間を行き来する。

多くの患者の気分の変動は月の周期と同期しており、満月の期間、またときとして新月の期間に起こった。「満月と新月の両方に反応する人もいます」とウェアー氏は言う。

ウェアー氏は、月に関連する睡眠の変化が、こうした気分の変動に影響している可能性があると考えている。氏が以前に行った研究は、睡眠不足が躁状態を引き起こすのに関わっていることを示唆している。

また、氏らが2021年に学術誌「Science Advances」に発表した研究では、平均28日間である女性の月経周期が、一部の女性では月の周期と一致する可能性があるという証拠が示されている。

こうした効果は断続的であり、しばらく月の周期との同期が続いたり、再びずれたりする様子が見られた。研究に協力した22人の女性の中には、満月の期間に月経が来る人もいれば、新月の期間に来る人もおり、またそのふたつの間で切り替わる人もいた。

この研究は、参加者本人が約15年間にわたってつけた月経記録に基づいて行われた。女性が年齢を重ねたり、夜間に人工の光にさらされる機会が増えたりするにつれて、月経周期は短くなり、月と同期しなくなっていったという。論文の著者らは、女性の月経周期はその昔、月と調和していたが、現代の生活によってそれが変化したのだと考えている。

「あり」「なし」で結果が分かれてきた理由

重要な疑問は、かつての研究では明確な結論がほとんど出なかったのに、なぜ最近の研究では、月の周期と人間の健康との間に関係性が見つかっているのかということだと、ウェアー氏は言う。

その理由のひとつは、以前の研究の多くは、月周期のさまざまな時点でさまざまな人々の一瞬の状態を調べたにすぎず、個々の人を長期間にわたって追跡したわけではないことだと氏は指摘する。長く追跡しない限り、人によって異なる微妙な周期的パターンを見つけることはできない。

また、以前の研究は、それぞれ設計や手法が大きく異なっていることが多く、結果を比べるのが難しいと、チュニジア国立スポーツ医療科学センターの科学者ナリメン・ユスフィ氏は言う。

「互いに矛盾した結果が出ていたのはそのせいかもしれません」と氏は言い、研究者は月の影響を調べる際には同じ手法や手順を使うことに同意すべきだと指摘している。

"潮目"が変わる

人間の健康に対する月の影響を調べることは、単なる科学的な好奇心の問題ではない。人間の健康についてのより深い理解につながり、パフォーマンスに睡眠が影響するアスリートのトレーニングの改善や、双極性障害のような、睡眠と強く結びつく症状への新たな治療法の開発に役立てられる可能性がある。

過去数十年間にわたり、こうした考えは一蹴されてきたが、新たな研究結果は、人間には本当に月が引き起こす変化を感知できるのかについて、またもしできるのであれば、どのように感じているのかについて、科学者らが決定的な結論を出すのを助けるだろう。

「私の知っている研究者の中にも、このテーマに真剣に取り組んでいる人たちがいます」とウェアー氏は述べている。

文=Katarina Zimmer/訳=北村京子(ナショナル ジオグラフィック日本版サイトで2024年8月7日公開)

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOSG198WZ0Z10C24A8000000/


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太平洋戦争の激戦地・アッツ島に眠る戦没船、日米合同チームが調査…かつての敵と共に戦争を記録

2024-09-06 | 先住民族関連

読売新聞 2024/09/05 15:00

 太平洋戦争の激戦地・アッツ島で7月、日米合同の研究チームが戦争遺構の調査を行い、周辺海域で沈没した日米の3隻を映像に収めた。日本から参加した水中考古学者の 山舩やまふね 晃太郎さん(40)は「かつて戦った日本とアメリカの研究者が力を合わせて戦争を記録することに意義がある」と力を込める。(加藤学)

「戦友のうめき声から逃れられない痛みを読むことができる」詩でつなぐ戦争の記憶

 調査は7月17~27日、米イーストカロライナ大のジェイソン・ラウプ助教授(海洋考古学)を中心に、海洋生物学やアラスカ先住民の研究者ら計14人で実施。日本からは、山舩さんをリーダーとする無人潜水機(ROV)による撮影チーム5人が参加した。

 山舩さんらは、米国の研究者が収集した米軍の記録や古い海図をもとに、海上のボートから水中音波探知機(ソナー)を使って海底に沈んだ船を探索。ROVで撮影を試みた。

 調査により、島北東約8キロの水深80メートルの地点で、日本の徴用船「 琴平ことひら 丸」とみられる船を確認した。

ソナーで確認された琴平丸。船橋を上にして沈んでおり、写真上部の船首部分は爆撃で大きく壊れている=ThayerMahan,Ink提供

水深約80メートルの海底に沈む琴平丸の船体の一部=World Scanning Project提供

水深80メートル付近に沈む琴平丸=World Scanning Project提供

 防衛省防衛研究所の資料によると、琴平丸は千島列島を出港し、食料や建築物資の輸送任務に就いていた1943年1月6日、米軍機の空襲で船首部分に爆弾が命中して沈没。100人以上の乗組員らが極寒の海に投げ出され、凍死したとされる。

 研究チームは、船が沈んでいた場所や損傷の状況から、海底で見つかったのは琴平丸と判断した。

琴平丸=大和ミュージアム提供

米軍機の攻撃を受ける琴平丸=米国立公文書記録所蔵

 このほか、日本の輸送船と米国のケーブル敷設船も確認し、映像に収めた。

 山舩さんは「現地で取得したデータをもとに琴平丸の3Dモデルを作り、多くの人が亡くなった船で何が起きたか忘れないようにしたい」と語る。研究チームは調査の成果を取りまとめ、今後、共同で発表する予定だ。

厚労省 遺骨調査を加速

 厚生労働省は8月13~31日、アッツ島での戦没者の遺骨収集に向けて調査を行った。同島では1953年に約320柱を収容したが、今なお多くの将兵が眠っているとみられる。同省は収集を強化するため米側と調整を加速させる。

遺骨の調査をする福永瞳さん(右)(アッツ島で)=日本戦没者遺骨収集推進協会提供

 日本戦没者遺骨収集推進協会(東京)の2人と遺族代表の3人が現地に出向き、日本兵の遺体が埋葬されたとの記録がある2か所を試掘。そのうちの1か所では、軍靴や 手榴しゅりゅう 弾とともに埋められた推定2柱の遺骨が見つかった。同協会は遺骨を米アンカレジにある日本領事事務所に移し、今後、鑑定を進める。

 調査には現地で大おじの祐正さんを亡くした東京都世田谷区の会社員、福永瞳さん(38)も参加した。

遺骨とともに埋葬地から見つかった手りゅう弾(米アラスカ州・アッツ島で)=日本戦没者遺骨収集推進協会提供

埋葬地から見つかった軍靴(アッツ島で)=日本戦没者遺骨収集推進協会提供

埋葬地から見つかった軍服の布地(アッツ島で)=日本戦没者遺骨収集推進協会提供

 祐正さんは31歳だった1943年2月、陸軍軍医としてアッツ島に上陸した。その後の詳しい状況はわかっておらず、命日は日本軍が全滅した5月29日になっている。

 アリューシャン列島の別の島まで飛行機で行き、船に乗り換えて片道2日間かけてアッツ島にたどり着いた福永さん。「地中から出てきた遺骨の泥を落とすと、自然に涙が出てきた。一柱でも多く、早く日本に帰れることを願っている」と話した。

地球観測衛星「センチネル2」が上空から撮影したアッツ島

◆アッツ島= アリューシャン列島にある米国・アラスカ州の島で、1942年6月に日本軍が占領し、守備隊を置いた。43年5月12日、奪還を図る米軍1万1000人が上陸してきたため、日本軍は2600人の兵力で迎え撃ち、激戦の末、同29日、全滅した。捕虜になって生還したのは27人とされる。このときから日本軍は全滅を「玉砕」と言い換え、美化するようになった。

https://www.yomiuri.co.jp/national/20240905-OYT1T50078/


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インフルエンサーが陰謀論で数千人のファンを獲得し、「複雑な」人物であることを明かす

2024-09-06 | 先住民族関連

instafamosos 05/09/2024 —BY REDAÇÃO NICOLLE

インフルエンサーが陰謀論で多くのフォロワーを獲得し、「複雑な」人物であることを明かす (写真: インスタグラムより)

シャニン・ブレイクは、100万人以上のフォロワーを持つインフルエンサーで、最近、Burning Manの「最後のボス」と自称した後にインタビューを受けました。

+ ケイティ・ペリーがオーランド・ブルームとのプライベートな生活について語る:「愛の言語」

Burning Manは、1986年から毎年サンフランシスコのベイカー・ビーチで開催される代替フェスティバルの名前です。そこでは、参加者たちは1週間、救急医療や教会も備えた一種の都市で生活します。参加者はその期間中にキャンプをし、消費するものすべて、包括的に水を持ち込む責任があります。

 

30歳のブレイクは、「確認の音楽」と呼ばれるスタイルの代替音楽でフォロワーを魅了し、アヤワスカや陰謀論について話しています。最近、彼女は「Burning Manの最後のボス」と自称しました。

しかし、彼女はまた、先住民の伝統を文化的に盗用していると批判されています。批判は、彼女がペルーの山々でシャーマンと過ごした経験について歌った「Peru Song」という曲をリリースした後に強まっています。

曲の中で彼女は「異星人」から多くを学び、人間が「時間旅行」をするためにピラミッドを使っていたと語っています。ローリング・ストーン誌で、彼女は「複雑な」人生の裏側について語り、アヤワスカが彼女の重度の腎感染症を扱う唯一の助けとなったと説明しました。

「これは、ペルーでシャーマンと一緒にアヤワスカとサン・ペドロを摂取したときの体験の日記そのものです」と彼女は説明し、17歳で妊娠し、父親との関係が悪かったことから「トラウマ」を抱えていると付け加えました。

写真とビデオ: Instagram @shaninblake. このコンテンツはAIの助けを借りて作成され、編集チームによってレビューされました。

https://instafamosos.com.br/インフルエンサーが陰謀論で数千人のファンを獲/


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謎の古代文明タルテッソスはなぜ突然消えたのか、未解読の文字も、2700年前に西欧で最盛期

2024-09-06 | 先住民族関連

ナショナルジオグラフィック9/5(木) 17:45

スペインのカディス港にある灯台と要塞は、かつてフェニキア人の世界の西の限界を示していた。(CAVAN IMAGES/AGE FOTOSTOCK)

 歴史家たちは、紀元前に繁栄していた古代社会タルテッソスがなぜ消えたのかを、今日に至るまで完全には説明できていない。発掘調査により、一夜にして消滅したかのようなこの先進的な多文化文明のことがより詳しく明らかになるにつれ、新たな疑問が生じている。

ギャラリー:謎の古代文明タルテッソス、未解読の文字も 写真と画像21点

 ヨーロッパ南西部のイベリア半島の南海岸沿いで勢力を拡大したタルテッソスは、紀元前10世紀に同半島に初めて到達した航海商人の集団であるフェニキア人と強いつながりがあったと考えられている。

 フェニキア人は、現在のレバノン、シリア、イスラエル北部の出身であり、熟練した船乗りかつ商人として地中海全域で知られていた。しかし、統一王国を作ることはなかった。彼らは非常に美しい紫色の染料を作ったことから、「紫色」を意味するギリシャ語にちなみ、ギリシャ人によって「フェニキア人」と名付けられたという説がある。

 タルテッソスは、フェニキア文化がイベリア半島の先住民の文化と融合して生まれたと考えられている。ただし、フェニキア文化の影響を受ける前からタルテッソスは存在していた可能性があると考える学者もおり、新たな発見によってその議論に拍車がかかっている。

タルテッソスの伝説

 物語にタルテッソスが登場するのは、紀元前7世紀半ばまでさかのぼる。

 ギリシャの商人コラエウスが、現在のトルコ沖にある故郷サモス島から出航した。エジプトに向かう途中、コラエウスの船は東からの強風にあおられ、地中海を西に進み、ジブラルタル海峡の東端にある岬「ヘラクレスの柱」を越えてしまった。

 コラエウスと仲間の船員たちは、ギリシャの商人たちには知られていなかった「商業の中心地」タルテッソスに到着した。コラエウスはタルテッソス人と交易を始め、主に1.75トン以上も集めた銀で大きな利益を上げた。

 この旅人の物語は、紀元前5世紀に書かれたギリシャの歴史家ヘロドトスの『歴史』に記されている。この物語が誇張されていることは間違いないが、ヘロドトスはサモス島に一時期住んでおり、そこでコラエウスの冒険談を聞いたのかもしれない。

 他の古典文献にも、イベリア半島南部のカディス湾周辺にあったというタルテッソスという町への言及がある。これらの記述から、歴史家と考古学者は、伝説に彩られたこの謎めいた文明の全体像を明らかにしようとしている。

タルテッソスの始まり

 最も議論の的となっている問題の1つは、タルテッソスがいつ成立したかだ。20世紀後半まで、ほとんどの専門家は、タルテッソスが現れたのは青銅器時代までさかのぼると考えていた。

 青銅器の文化は、イベリア半島南西部のウエルバ、セビリア、カディスの集落の間、つまりタルテッソスの中心部となる広大な地域に広がっていたと考えられていた。そうであれば、タルテッソスは、フェニキア人の最初の植民地ができる紀元前10~9世紀より前から存在していたことになる。

 しかし、考古学的な発掘調査が進むにつれ、この仮説はあり得そうになくなってきた。「タルテッソス後期青銅器時代」と呼ばれる時期について語る著者もいるが、紀元前12~11世紀にかけてイベリア半島南西部に明確な定住地があったことを裏付ける有力な証拠はほとんどないのだ。

 一方、鉱山からの原材料の輸出や農業を基盤とした新興の社会組織なら、存在していた可能性がある。考古学者は、この時代、ウエルバ近郊にコミュニティが存在した証拠を発見している。

 遺跡やその他の場所で発掘された遺物からは、このコミュニティが大西洋世界との交易に長けていたことが示唆される。ウエルバ産の銅で作られた製品は、現在のフランスやブリテン諸島など遠方でも発見されている。

 このような確立された交易網は、現在のセビリア北西部にあるアスナルコリャルなどの数多くの銀鉱山から利益を得るのに役立っただろう。

イベリアのフェニキア人

 カディス湾周辺のこれらの初期の交易コミュニティは、フェニキア人の到来によって大きな変貌を遂げた。東地中海の繁栄した都市から来た商人たちが、イベリア半島南西部に恒久的に定住したのは紀元前9世紀のことだった。

 フェニキア人の植民者たちは、神々を祭る神殿を海岸沿いに建てることから始めた。これらの施設は、宗教的な目的を果たしただけでなく、交易のための中立的な空間にもなることで商業でも重要な役割を果たした。カディス近郊のメルカルト(ヘラクレス)神殿は、この2つの目的を持っていたようだ。

 フェニキア人はすぐに、「工場」と呼ばれる恒久的な施設を建て、その後、最初の植民地を建設した。

 そうした新しい都市植民地の1つであるカディスは、この地域で最も重要な経済、政治、宗教の中心地となった。カディスは銀、スズ、魚の塩漬けを輸出するための主要港として機能した。そのような鉱産物や農業製品は、ウエルバからも内陸部からももたらされた。

 フェニキア人は、定住した地域に革新をもたらした。鉄、ラバなどの雑種動物、ブドウやオリーブの木などの植物種、ろくろ、陶器の炉などを持ち込んだのだ。また、交易に不可欠なアルファベットも導入した。

 建築にも影響を与えた。フェニキア人は直交構造(直角)を好み、それがより複雑な都市設計を生み出した。紀元前9~8世紀にかけて、これらのことが現地の人々の経済と生活様式を大きく変えていった。

 植民地化の初期のこの時期、イベリア半島の地元社会は、東部からの植民者の存在に徐々に適応していった。この統合がどのように発展したのかを、考古学者はより探ろうとしているが、人々は内陸部から沿岸部の植民地に移住したようだ。

 労働力は膨れ上がり、新たな都市や神殿、交通路の建設に必要な職人や労働者だけでなく、鉱夫や農民もやって来た。グアディアナ川とタホ川流域では、有力なエリート戦士が、フェニキア人の鉄や先端技術と引き換えに労働力を提供したのかもしれない。これらの内陸部では、地元の商人がフェニキア人に金やスズ、農産物を提供したのだろう。

 フェニキア人はイベリア半島の植民地に大きな影響を与えたが、その変化は不均一だった。

 例えば、グアダルキビル川流域やカディス湾などの人口の少ない地域では、やって来たフェニキア人は自分たちの都市を建設し、先住民を取り込むことができた。一方、ウエルバでは、より確立された経済と明確な社会構造がすでに存在しており、フェニキア人の影響力は弱かった。

 フェニキア人、先住民コミュニティ、内陸部の人々が互いに影響し合い、現在タルテッソス文化と呼ばれる文化が生まれたのは、紀元前8世紀のことだ。「タルテッソス」という言葉がギリシャの史料に初めて登場するのは、さらに後の紀元前7世紀だ。

考古学的証拠が示す文化の融合

 フェニキア人の植民者とイベリア半島の先住民との接触は、陶工、金細工師、鍛冶屋、建設業者、港湾労働者、船乗りなどの仕事を生み出し、目覚ましい経済発展のきっかけとなった。海上貿易がこの社会の特徴だ。

 海上貿易は労働集約的で、木を伐採し、船を建造し、商品を運ぶためのアンフォラ(2つの持ち手のついた壺)などの容器を作るために、多くの労働者が関わった。

 このような変化は、フェニキア人との新たな関係で利益を得るようになったタルテッソスのコミュニティと、新たな経済資源の支配を求める内陸部の他の先住民コミュニティとの間に緊張を生み出した可能性がある。

 タルテッソス文化では、新たな社会集団が出現し、はるかに複雑な社会組織が生まれた。この社会は約400年続いたが、エリートがどのように支配を維持したのかは明らかになっていない。タルテッソスの遺跡や墓のどちらからも、多くの武器は見つかっていない。

 タルテッソスにはいくつかの注目すべき文化的な特徴があったが、均質な社会ではなく、統一王国、ましてや帝国とみなすべきではない。

 ヘロドトスは、アルガントニオスが支配する王国について言及しているが、それはギリシャ人がタルテッソスと呼んでいた地域の長のことだ。他にも王や指導者がいたはずで、各支配者は相互に経済的な利害関係があったにもかかわらず、政治的な独立を維持していた。

 この社会構造は、階層的というよりも並列構造的で、様々な指導者や権力のネットワークを含んでいた。

 先住民とフェニキア人の結婚は、両コミュニティの統合を強固なものにした。この慣習は、アリセダとタラベリヤ(ともにカセレス県)の宝物や、トレドのカサ・デル・カルピオの墓など、タルテッソスの中心地から遠く離れた内陸部で発見されたものの説明となるかもしれない。

 これらの遺跡で発見された豊富な宝物の多くは、現地の工房で、フェニキア人の金細工技術を学んだ職人によって作られたものだった。作品にはフェニキア人の宗教のモチーフが多く含まれており、エル神、バアル神、アスタルテ神が表現されている。

 スペインのエストレマドゥーラ州とタホ川流域では、カディス県エル・プエルト・デ・サンタ・マリアのラス・クンブレスといったタルテッソスの中心地の墓地で、先住民とフェニキア人の両方の要素を備えた嫁入り衣装が発見されている。

 最近、グアディアナ川のそばの墳丘の下から日干しレンガの巨大な建造物が発見され、タルテッソスの文化と建築がフェニキア人の影響を受けていたことを示す新たな証拠が得られた。

 それは、紀元前5世紀後半まで使用されていたバダホス県グアレーニャのカサス・デル・トゥルニュエロ遺跡だ。西地中海地域で最も保存状態の良い先史時代の建物があり、宴会場には青銅器が備えられていた。

 現在進行中の発掘調査により、この構造物が紀元前8世紀にフェニキア人の植民者との交流から生まれた初期のタルテッソス文化の特徴をもつことが確認されている。タルテッソス文化は、これまで考えられていたよりもはるかに深く、広く痕跡を残している。

 紀元前7世紀の繁栄期を経て、タルテッソスは衰退の一途をたどった。つい最近まで、考古学者はタルテッソス文化が紀元前6世紀に突然終わりを迎えたと考えていた。

 しかし、グアディアナ川流域での最新の発見は、タルテッソスの中心地で衰退期を迎えた後、文化自体は内陸部のいくつかの地域に広がり続けたことを示している。タルテッソスの調査は、新たな発見によって青銅器時代のこの文化の謎を明らかにしながら続けられている。

文=Sebastián Celestino Pérez/訳=杉元拓斗

https://news.yahoo.co.jp/articles/0fb12f45530e79d4c68047176939f2d5c7b90799


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