北海道新聞04/17 04:59

寄贈されたヘレン・ケラー直筆の署名が入った書簡

【函館】私の暗い無音の人生に同情してくれた―。視力、聴力、話す能力を失う三重苦の障害を乗り越えたヘレン・ケラー(1880~1968年)が1937年(昭和12年)の来日時、道南地方で交流したアイヌ民族への感謝を表した書簡が、渡島管内八雲町出身の男性から市立函館博物館に寄贈された。交流時の写真を米国のケラーに郵送した男性への礼状という。同館は「ケラーとアイヌ民族をつなぐ貴重な歴史資料」として、29日から函館市北方民族資料館で一般公開する。
ケラーは講演などのため来日し、37年6月18日に道内の滞在先の函館に到着。21日に現在の渡島管内七飯町の大沼公園に住むアイヌ民族を訪ね、飼育するクマや木彫りの様子に触れた。さらに小樽へ列車で向かう途中の22日も、同管内長万部町の駅で5分間停車した際に、アイヌ民族十数人と交流。ケラー側の求めを事前に受けた地元関係者らが設定したという。
ケラーからの書簡(縦約27センチ、横約19センチ)は2枚。「(届いた写真で)優しいアイヌ民族の人たちが私たちにお辞儀をして(中略)、素朴な家やクマの記憶がよみがえります」などと訪問時の感想が謝意とともにタイプライターで書かれ、末尾にケラー直筆のサインが記されている。
寄贈したのは、千葉県流山市在住の植村豊記さん(89)。八雲高(八雲町)に在学中の1949年、長万部駅でケラーとアイヌ民族が並ぶ当時の写真を持っていた人から友人を通じて「ケラーに贈りたい」と依頼され、学んでいた英語を生かして手紙を書き、写真を同封して送った。宛先は米国の雑誌社から聞いたという。
植村さんは長年、書簡を渡そうと当時のアイヌ民族関係者を捜したが見つからず、寄贈を決めた。「ケラー氏のアイヌ民族に寄せる心情がしたためられている。広く公開されてアイヌ民族への理解を深める一助につなげてほしい」と期待する。
市立函館博物館は「異国の学生に対して誠実に対応したケラーの一面も垣間見える」と指摘。書簡の日本語訳は、同館ホームページに掲載された研究紀要第32号で読める。一般公開は10月末までの予定。(今井彩乃)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/670472

寄贈されたヘレン・ケラー直筆の署名が入った書簡

【函館】私の暗い無音の人生に同情してくれた―。視力、聴力、話す能力を失う三重苦の障害を乗り越えたヘレン・ケラー(1880~1968年)が1937年(昭和12年)の来日時、道南地方で交流したアイヌ民族への感謝を表した書簡が、渡島管内八雲町出身の男性から市立函館博物館に寄贈された。交流時の写真を米国のケラーに郵送した男性への礼状という。同館は「ケラーとアイヌ民族をつなぐ貴重な歴史資料」として、29日から函館市北方民族資料館で一般公開する。
ケラーは講演などのため来日し、37年6月18日に道内の滞在先の函館に到着。21日に現在の渡島管内七飯町の大沼公園に住むアイヌ民族を訪ね、飼育するクマや木彫りの様子に触れた。さらに小樽へ列車で向かう途中の22日も、同管内長万部町の駅で5分間停車した際に、アイヌ民族十数人と交流。ケラー側の求めを事前に受けた地元関係者らが設定したという。
ケラーからの書簡(縦約27センチ、横約19センチ)は2枚。「(届いた写真で)優しいアイヌ民族の人たちが私たちにお辞儀をして(中略)、素朴な家やクマの記憶がよみがえります」などと訪問時の感想が謝意とともにタイプライターで書かれ、末尾にケラー直筆のサインが記されている。
寄贈したのは、千葉県流山市在住の植村豊記さん(89)。八雲高(八雲町)に在学中の1949年、長万部駅でケラーとアイヌ民族が並ぶ当時の写真を持っていた人から友人を通じて「ケラーに贈りたい」と依頼され、学んでいた英語を生かして手紙を書き、写真を同封して送った。宛先は米国の雑誌社から聞いたという。
植村さんは長年、書簡を渡そうと当時のアイヌ民族関係者を捜したが見つからず、寄贈を決めた。「ケラー氏のアイヌ民族に寄せる心情がしたためられている。広く公開されてアイヌ民族への理解を深める一助につなげてほしい」と期待する。
市立函館博物館は「異国の学生に対して誠実に対応したケラーの一面も垣間見える」と指摘。書簡の日本語訳は、同館ホームページに掲載された研究紀要第32号で読める。一般公開は10月末までの予定。(今井彩乃)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/670472